桜と鎮魂と喜連川の思い出

フクシマの放射能を逃れて南洋の海辺の町を転々としているが,この海辺の町にも桜に似た花が3月咲いた。桜花の美しさとそん色がない。また春霞ではないが,ヘイズという靄(もや)がかかる。インドネシアからの,自然発火や焼き畑の煙が南シナ海一帯を襲うらしい。一種の野焼きである。

こちらの人々に,また食堂で今日も聞かれたが,日本へ帰るのか、帰らないのか、帰るとすればいつ帰るのかと聞かれた。おそらく桜の花の美しい季節を聞き及んで質問してくるのであろう。

ところで,小原紘氏の『私の桜物語』(2019年 4月 7日)を本サイトで拝読した。その中に栃木県の喜連川の桜の話が出てくる。小生は地元のことをあまり知らない外国かぶれであるが,この町の名前「喜連川」は印象深い。どうしてこういう名前になったのであろうか(その他に忘れられない地名に「祖母井」という地名も本県にある:ウバガイ)。また喜連川には先輩がいて顔を合わせるたびに喫茶店で曳き立てのコーフィーをご馳走してくれた。最近、今市市-鹿沼市付近の上空をオスプレイが飛ぶようになったがそこにも知り合いが少なからずいて,桜の花も満開になったと推測される。

しかし悲しいかな本県の桜は放射性物質で汚染されている。小原様もそのことを心配されていると思う。そんなことを考えているとき平野貞夫元参議院議員の講演会を思い出して拝聴した(FB憲法九条の会 0414 平野貞夫講演会)。

前回のコメント『日本の雑種文化』で平野氏が加藤周一の『日本文学史序説』を評して「日本人の精神文化史の本」だ,と仰っていたことを紹介するのを忘れていた。しかし驚いたことに話の中で『和』の語源を説明しておられた。「和」とは「不戦」を指すと,いう。したがって新元号は「不戦を命じる」という意味にもなる。誰が?誰だっていいじゃないかというのが小生の意見である。なぜなら国連であれ天皇であれ現首相であれ誰であれ,「不戦を命じる」のだから。

平野氏は,不戦が日本国憲法第9条の精神を表すこと及び新元号の一部になることをすでに5年前に論じられていたのである。

さて話を戻すと,桜の木を当時の人々はなぜ植えたのか。平野先生のご解説では「鎮魂」のために植えたという。その中の一人が西行法師であったらしい。あちこちに桜を植えたという。したがって都を中心に戦乱の世が長く続いたことを示す。故に桜の木の下で宴会をするのは平和の証であり,<冠岳山の桜>に限らず桜の木を『静かに見る』のは「鎮魂」の一形式であろう。小生は今,後者をとる。