「梅棹忠夫」という名前を知っている人は、もはや多くはないだろうから、簡単に略歴を紹介しておこう。
1920(大正9)年京都市生まれ、2010(平成22)年逝去、享年90。学生(京都大学)時代より白頭山登山を始め、世界各国・各地の調査・探険を重ねた。専攻は民俗学、比較文明論。最後は国立民族学博物館長および顧問も務める。
そして、世界の様々な国の「男と女」「結婚・家族」の実態を見聞した上で、梅棹は「歯に衣着せぬ」論調で、スパスパと切り捌いていく。初出の有名な文章は次の3つである。
「女と文明」『婦人公論』1957年5月号
「妻無用論」『婦人公論』1959年6月号
「母という名の切り札」『婦人公論』1959年9月号
敗戦から10年後の1955年は、「もう戦後ではない!」と謳われ、政治の世界でも自由民主党、日本社会党の二大政党がそれぞれ合流して成立し、日本共産党も「六全協」を経て大同団結している。それからさらに2年ないし4年、梅棹の文章が書かれた頃は、すでに、60年の安保闘争に向かう政治的対決状況は顕著となり、それ以降の「高度経済成長」をも着々と準備していた時代である。しかも、「男女の性別役割」を前提にする「戦後の近代家族」が社会的に主流となり定着しはじめるこの時期に、あえて「妻無用」を唱えるとは!「主人」は問われないまま「主婦」に焦点が当てられる時代、
ある意味では「主婦批判」として、今でも「快挙」と言っていいかもしれない。
梅棹のこれらの著作は、書き下ろされた時期からほぼ30年経った1988年、本人が「目をわずらって」、これまで通りの社会的活動も制限されざるをえなくなり、改めて過去の著作を残しておこうと本人自ら「申し出」た結果、『女と文明』という一冊が中公叢書として刊行されている。
それからさらに32年後の2020年、上野千鶴子の「解説」付で、再度「中公文庫」化されたのである。1950年代の終りには、「快挙」と言われて注目を浴びたものが、さて、2020年、わざわざ文庫化される意味はあるのだろうか。今回は、その点を考えてみようと思う。
梅棹忠夫の「妻無用論」
梅棹の「妻無用論」の根底は、次の認識である。
「封建武士の家庭が、現代サラリーマンの家庭の原型となった」。「商家、農家においても・・・つよいサラリーマン化の傾向がある」。「サラリーマン化は、封建的人間関係のひとつの清算法のようにみえながら、家庭における夫と妻との関係をかんがえたら、それはじつに封建体制のまっすぐの延長であり、その終局的な形態でさえある」。
その上で、梅棹はズケズケと「妻とは無用の産物である」と論を展開する。少々長いが引用しよう。
― 封建武士の家庭でも、サラリーマンの家庭でも、はたらくものは男だけ。女はその付属物であり、せいぜいのところ補助物にすぎない。サラリーは、封建武士に於いても現代サラリーマンにおいても、妻のあるなしに関係なくくれる。現代においても、独身ものと妻帯者のちがいは、わずかな手あてだけである。/要するに、男のあげる社会的成果、あるいは収入という点では妻はあってもなくてもよい存在なのだ。内助の功というものは、たとえあるとしても実証しがたいし、なんとでもいえることだ。妻はいわば、夫の好意によっておいてもらっているだけのことである。家庭のなかにおけるその地位は、愛玩用の家畜によほどちかいものであったといわなければならない(p.96)。
そして、提案するのは次のことだ。「女自身が、男を媒介としないで、自分自身が直接になんらかの生産活動に参加することだ。・・・じっさい、わたしがいうまでもなく、社会は大すじにおいては、その方向にむかってまっしぐらにすすみつつあるようだ」。
最後の結論を見よう。
― 女の男性化というといいすぎだが、男と女の、社会的な同質化現象は、さけがたいのではないだろうか。そして、今後の結婚生活というものは、社会的に同質化した男と女との共同生活、というようなところに、しだいに接近してゆくのではないだろうか。それはもう、夫と妻という、社会的にあいことなるものの相補的関係というようなことではない。女は、妻であることを必要としない。そして、男もまた、夫であることを必要としないのである(p.108)。
女たちの強力な反発に対しての「母無用論」
上記のような「妻無用論」が世に出ると、賛否両論、熱気のある反響が続いたという。中でも「不快感」を抱いた女の多くが、梅棹は「家庭内の女の『母』という役割に無頓着である!」という論を展開した。それに対して、梅棹は「予想していた通り」という感想を持ちながら、「女は母で勝負する」というタイトルを引っ込めて、「母という切り札」に「やんわりと」収めている。要するに、ここでも「母無用論」の展開である。
梅棹の「母無用論」の前提には次のような認識がある。
― じつは、女のひとにはしばしば誤解があるようだが、子どものことというと、妊娠から分娩、育児、そして成人するまでのいっさいをひっくるめて、それを女の問題、母の問題とかんがえる傾向があるが、それはすこしまちがっている。女の特権は妊娠と分娩までであって、あとは女だけのことではない。現代は、機械や製品ばかりでなく、小児科医学、教育施設の発達などもかんがえにいれると、育児労働は大はばに社会によって肩がわりされているのであって、男手ひとつで子どもをそだてることだって、できないわけではない(p.116‐117)。
― たいへん意地のわるいことをいうようだが、「子どもはだれがそだてるのか」とひらきなおる女性たちの語気のなかに、わたしは、「このだいじな労働対象をとられてなるものか」といったような気がまえを感じるのである。なぜそういうことになるかといえば、おそらくは、立場のよわいサラリーマン家庭の妻にとっては、子どもこそは最後の防衛拠点であり、育児こそは最大の偽装労働になっているからだろうと、わたしは推測している(p.117)。
そして最後に、梅棹は「一個の生きた人間としての女をすくいだす」ことに頭を痛めている。
― 一個の人間であるところの女が「母」で勝負しなければならないということは、やはりたいへん非人間的なことのようにわたしはおもう。・・・母という名の城壁のなかから、一個の生きた人間としての女をすくいだすには、いったいどうしたらよいだろうか(p.128)。
最後に―梅棹論へのひっかかり
確かに、「子どもの成長、学力、就職、結婚」まで、すべてを「母の責任」と背負いこむ「母幻想」の強い社会の中で、「妊娠と分娩までは女の特権」と梅棹は一応限定している。当時の社会の中では、それ自体、梅棹のそれなりの考慮とは思うが、はたしてそれが「女の特権」なのかどうか・・・細かく言えば、この辺りも論議の対象であろう。しかし、今回は、その辺りのことはひとまず置く。
昨年の文庫化に当たって、上野千鶴子はその解説を担当し、「梅棹家庭論の驚異的な予測力」を評価している。また、そこで、「梅棹忠夫著作集」第9巻『女性と文明』(1991年)の編集を担当した端信行の、梅棹の的中率は「90%以上」と判定していることを好意的に紹介している。
だが、私には、梅棹の「妻無用論」「母無用論」の論理の展開に当たって、どうしようもない不快感、抵抗感が拭えなかった。それは近代科学技術の発展の手放しの礼賛という姿勢への疑問もさることながら、戦後の労働体制、「性別役割」に基づく近代の結婚制度自体が、社会の産物であるという認識が希薄であり、「女」だけが愚かにもその制度にしがみついている、という批判の姿勢そのものへの違和感である。男は、一度も問い直しされてはいないのだ。梅棹は、「わたしは、家庭の雑用をするのが好きである」「とりとめのない雑用をしていると、頭のやすまるおもいがする」と言う。それなのに女は「家事は大変大変という」と。
社会の制度である限り、男にも女にも矛盾はつきまとう。戦後の近代家族は確かに未婚、少子化など綻びは目立っている。しかし、男にとっても女にとってもいまだ真摯な批判は十分になされていないのではなかろうか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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