楽しいピケティ③《哲学ー経済学研究は、何歳からでも遅くはない~ちきゅう座に集おう!》

序説

巷に、「ちきゅう座」読者を数人、増やしています。昨日(23日)もまた、友愛党対話にてこの一文などを広報していました。

面白い本を見つけた。

http://revolutio.exblog.jp/22914466/

今のままの左翼で良いわけはない。

具体的で、実践的な、または、心理的な側面としての野性やヘイトの在り方の荒野に切り込む必要があるのではないだろうか?

何故、安倍政権の支持率が、高止まりしているのだろうか?

(月曜日報道ステーションでもこの話題が出ていました)

野党共闘の理論的基盤を是非、ここ「ちきゅう座」でも討議にあげていかねばならない。一愛読者の僕でもその様に思う。

(植草ブログは、繰り返し以下の様に分析している。この数字を生かせる「野党共闘」の道筋とただ選挙だけではない、政権奪取後の具体的政策の道筋を引いていかねばならない。官僚に負けない政治主導を。)

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/5318-2d16.html

2014年12月の総選挙で、自公の与党に投票した主権者は、主権者全体の24.7%だった。

自公以外の政党の得票率は28.0%だった。

ところが、議席数は自公が68.4%、非自公が31.6%だった。

問題山積であるのだが、

https://chikyuza.net/archives/60230

理論から具体的実践へ。それは、如何にして可能であるのだろうか?

楽しいピケティ③(本文)

昨年のピケティブームと学術書にしては破格の180万部越えであったわけであるのだが、マルクスの再来理論を期待した者からマルクスと切り離したい者まで、長年のデーターの蓄積として「客観的データー」の出現と統計そのものへの異論の中で、

格差是正としてのグローバル税制などと言うユートピアにはほど遠いい現実、シリア難民やイスラム国問題から、

植草ブログが、指摘する

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-a6dd.html#search_word

所得税と消費税の根本的問題が、軽減税率と言う「子供だまし」にすり替えられている日本政治の稚拙性に絶望してか、机上の理論として、ピケティ理想にほど遠い日本の現実として通り過ぎた感があるわけであるのだが、「格差と税制改革」としての問題は、本来、粘り強く問い詰めねばならない。

本来、再配分としての税制改革だけに問題を限られるのは、僕としても本意ではないのであるのだが、経済学改革の前に、政治学改革が、先行しており、その為の「夏の参議院」決戦としての優先性が今はあるだろうからだ。

ピケティの「格差論」=「教育格差」について、僕は、「情報弱者性」としての貧困の結語とされる「認知症」問題を絡めて、具体的な社会問題たる在り方、人間の一生としての幸福論「ゆりかごから墓場」までの在り方を、日本が今、具体的に抱えている問題から開始する事を説明してきた。

ピケティの『21世紀の資本』は、一度は、図書館の順番が回ってきたので僕は、主要部分を、家のプリンターでコピーして手元においていたのだが、やはり、経済学素人、全くこれまで機会がなく、触れた事もない「格差被害者」「貧困」の中にある友愛党の中で、苦労して、一冊、購入する事として、「回し読み学習会」を始める事としたのだ。

それには、前回の

2.11「資本主義はどこへ?」研究会の映像公開

https://chikyuza.net/archives/60405

自由・平等・友愛―政党と経済

https://chikyuza.net/archives/60486

そして、多めに頂いて来たレジメが役に立っている。

21日(日)再び、友愛党の会合を持ち、その場に来られなかった東京の友人へも電話参加、LINE参加など試みた。

一度、明治大学やその他あちらこちらで、「ちきゅう座」集会が開催されているので暇なときに来てくださいと誘ってはいるのだが、怖がっているのは、旧来の左翼然としている僕にも責任はあるのだが、それ以上に、まだまだアカデミズムそのものが、雲の上のものの様に敬遠されている巷の事情、地方の事情があるのをひしひしと感じるばかりであるのだ。

その溝を埋めたい。

それこそが、「民主主義的引き上げ」であり、どぶ板選挙としての具体的な政治行動そのものであるからだ。

同じ仲間で動いているのであっては、以前、「たんぽぽ舎」落選運動の戦略【4】の中にあった「もともと自民・公明に投票していない人同士が話しても金と時間の無駄だ。」を越えたいものだ。

https://chikyuza.net/archives/57232

友「うぁ、仕事が忙しいから今は読んでいる暇がない」(レジメをこちらでも紹介すると情報量に恐れをなして)

俺「カルト宗教やオレオレ詐欺商法への抵抗力を養うのが目的にもなっている」(電話説明にて)

何故、哲学や文学、経済学が面白いのか?その人生としての戸口から語らねばならないわけであるが、

「政治を信じないでください、政党を信じないでください、山本太郎も含めて」

この文言の様に、デカルト的にすべてを疑う強さをどの様に「貧困格差」の中にある者が、養っていけるのだろうか?

この戦いがあった事を改めて痛感させられる。

今、在住しているところは、小さな本屋が、生協と忽然と繋がっているだけしか「文化」がない片田舎だ。

しかし、この小さな本屋が優れもので、上記のリンク本も置いてあり、植草一秀「日本経済復活の条件」も2冊並んでいる。

いつも立ち読みばかりしていて済まないと思い、演歌ファンの友愛党同志である老婆に、氷川きよしカレンダーを昨年、買ってプレゼントしたりしていた。

僕の夢想としては、新書にて、「ちきゅう座読本」と言う話題の本が、夏の参議院決戦前にこの片田舎の本屋にも並ぶことだ。

この本は、予約して入れてもらい、友愛党学習会の手引きとするために、5冊は買い、広めるのだが、この経済効果のチャンスを生かせていないのが残念でならない。

更に、そこより、2018年マルクス生誕200年祭へと繋がる具体的道筋を目標としている。

(5月総会にて是非、討議していただけないだろうか?)

さて、まずは、マルクスの前に、ピケティを片付けておきたいところである。

改めて、「資本主義はどこへ向かうのか?」の動画を見直して、

西部先生の論について、盛りだくさんである事を感じ、岩田先生との共通点も多い事を感じた。

それでも、やはり、「学者は、様々に解釈してきたのだが、重要なことは変える事だ」

このマルクスの言葉へとそれ以上に戻されるものを感じた。

古沢先生の誠実なる資本主義研究の踏襲を感じた。

伊藤誠先生の「生産様式」と柄谷行人「交換様式」批判については、欠席裁判的不満を若干感じたりしていた。

更に、具体的内容の吟味としては、次回以降、時間のある時に回す。

まずは、「野党共闘」理論的バックアップと夏の参議院選挙決戦への道筋を越えて、政策論から経済学的転回に至る「生々しいピケティ」乗り越えの討議を持続活発にしていく事である。

「アソシエーション連携」柄谷行人ー山口二郎ー中野晃一「市民連合」。

更に、一人一人の顔(考え)が見えるインターネット活用を、「ちきゅう座」「阿修羅掲示板」更に、「オールジャパン」に至るまで、拡大しつつ、声を出せる人を増やしていく事、「インターネット革命」「情報革命」として、展開していく具体的な行動規範こそが、今、問われているのではないだろうか?

野田元首相VS安倍晋三、更に、菅直人、どう考えても植草ブログは、「悪党十人衆」とは言うのだが、民主党の方が、安倍晋三政治よりは、数百倍ましに見えるのだが、それでも、世間にとっては、政治は、遠い、経済は、遠いままである「貧困格差」の中で、喘いでいる「現代平安地獄年間」が広がっているその結末が、「認知症」である事を忘れてはならない。

この悲劇をこれ以上広げてはならないと問い続けたいばかりであるのだ。

「デフレ脱却」の一点張りの安倍晋三総理の幼稚さにうんざりしながらも、植草一秀「日本の奈落」も図書館の順番が今回って来て手元にあるのだが、一年前であると古くなってしまうこの短期性、「本の寿命」とはと考えたり、

「リフレ」の自縄自縛に陥った黒田日銀

https://chikyuza.net/archives/60508

知的批判が、何故、安倍政治の支持率に反映されないのか?

阿修羅掲示板や植草ブログでも指摘されている巨大メディア(大企業)の暗躍によるものであるのか、

「情報弱者性」としての「貧困格差」による支配によるものであるのか?

これを解き明かしていくばかりである。

いつなくなるのか――身分制

https://chikyuza.net/archives/60555

「他人の振り見て我が日本を振り直せ」ですね。みなさん。