歌壇、この一年を振り返る季節(2)歌人によるパワハラ?セクハラ?~見え隠れする性差

歌壇の内情に疎い私には、今年「未来」という短歌結社の選者の一人である加藤治郎の発言やツイートによる発信が物議をかもしていることを最近知った。加藤が、2018年2月から『短歌往来』に「ニューウェーブ歌人メモワール」という1頁ものを連載しているのは承知していた。自分に関する記録はかなり丹念に残している人だな、というのはわかったが、岡井隆との縁から始まり、なんか“きらびやかな”過去を自慢したい年齢になったのかの思いで読んでいた。今も続いている。

昨年6月、名古屋で「ニューウェーブ30年」というシンポジウムにおいて、「ニューウェーブに女性歌人はいないのか」という会場からの質問に、パネリストの一人荻原裕幸は回答をスルーし、同じくパネリストの加藤はみずから「加藤、荻原、西田政史、穂村弘の4人だけがニューウェーブだ」と断定したという。
短歌史における「ニューウェーブ」という定義はあるのかないのか。1980年代、俵万智『サラダ記念日』がベストセラーになったころと前後して、いわゆる「前衛短歌」を継承する一つの潮流として、口語的、風俗的、軽妙でもあり、ときには現代の文明批判?にもなっていると持ち上げられることもあった作品の総称くらいに、私は思っていた。男性4人に限定する意図はどこにあるのだろう。なんか、おもちゃを独占したい子供みたいな、と一笑に付したいところだった。

ところが、その加藤が、今年の2月「ニューウェーブに女性歌人はいないのか」の題で「水原紫苑は、ニューウェーブのミューズだった。・・・」というツイッター上での発信があったらしい。今は消去されているが、その辺の事情は、高島裕「これ以上ニューウェーブを語らないために」(『未来』2019年2月)、中島裕介「ニューウェーブと『ミューズ』」(『短歌研究』2019年4月)、川野芽生「うつくしい顔」(『現代短歌』2019年4月)で知ることができる。さらに、中島は、自らのツイッターと“note “において、この問題から端を発したもろもろの出来事を追跡、加藤批判を緩めず、糾弾を続けている。加藤も、反省したり、謝ったり、画策したり、反論を繰り返している。その中で、歌壇における女性歌人の位置づけから、短歌結社内の選者による権力によるハラスメントやセクシャル・ハラスメントの問題にもなっている。
ここでは詳しく述べないが、加藤が選者を務める『未来』(1951年近藤芳美を発行人として創刊、岡井隆の編集復帰で、近藤没後は岡井が理事長を務めている)のホームページ上の理事会報告(11月30日開催)の討議・決定事項の一つに、以下が掲載されていた。
「当会一選者のハラスメントに関わる事案が理事の一人から提議されました。事実確認の方法を模索しているところですが、協議の結果、今後ハラスメントに関する委員会、相談会等を設置するべく検討し、防止に努めることとしました。」

当日出席の理事は、さいとうなおこ、佐伯裕子、池田はるみ、道浦母都子、山田富士郎、 加藤治郎、大辻隆弘、笹公人、黒瀬珂瀾、中川佐和子 の10人で、欠席が理事長の岡井隆、副理事長の大島史洋、との記録がある。たんなるお家騒動、結社内の内紛としてではなく、真剣に取り組んでほしいと思った。

昨年から、今年にかけて、重大な問題提起がなされたにもかかわらず、その後の時評や二つの年鑑の年間回顧などでの言及が見当たらなかった。『短歌研究年鑑』の座談会では、「『ジェンダー』をめぐる問題意識」の小題で、折口信夫や菱川善夫にまでさかのぼりながら、佐佐木幸綱は「ジェンダーという問題意識は新しいから、まだ検証中」だという主旨の発言をし、穂村弘も将来の大きな課題との認識を示すのみで、語りたがらない「判断留保」に感があった。また、『歌壇』2019年12月号の歌壇一年の動向をまとめたとする奥田亡羊「穂村弘と新しい世代」においても、三上春海「『極』/現在」(『現代短歌』〈2019年5月〉)の「運動体」までには至らなかったとする「瀬戸夏子、服部真理子、大森静佳、川野芽生らの〈性〉と〈暴力〉をめぐる積極的な論作」を固有の運動性を有しながらの「流動体」として評価をするにとどまった。

この間、高松霞「短歌・俳句・連句会での、セクハラ体験談をお寄せください」というサイトまで現れ、第一・第二集が公開されている(https://note.com/kasumitkmt)。併せて以下のネット上「詩客」の時評も参照ください。

・短歌時評alpha(1) 言葉を読むことと、心を読むことのむずかしさ 玲 はる名(2019-05-03 07:17:15)

・ 短歌時評alpha(2) 氷山の一角、だからこそ。 濱松 哲朗2019-04-22 03:25:51)

・短歌時評alpha(3) 権威主義的な詩客 中島 裕介(2019-04-22 02:23:43)

それにしても、大昔?渦中の加藤治郎と歌会始選者の三枝昂之と私の三人による「時代と短歌~社会詠の意義」と題する座談会の企画があった(『歌壇』1995年10月)。いったい三人は何をしゃべったのか。私といえば、ひがむこともなく?いまだに相変わらず、同じことを言いつづけているんだなと、つくづく思ってしまう昨今である。

初出:「内野光子のブログ」2019.12.22より許可を得て転載

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/12/post-b5862e.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔opinion9289:191222〕