正規労働者と非正規労働者との労働条件格差は大きい。この格差の是正は、ますます大きな今日的課題ととなっており、それゆえに労働法実務の問題ともなっている。昨日(6月1日)、この問題に初めての最高裁判断が示されて話題を呼んでいる。
当然のことながら、あらゆる労働条件をめぐって、労使が鋭く対立している。非正規格差に関しては、労働者側のスローガンは「同一労働同一賃金」だ。しかし、使用者者側は非正規を安価で解雇容易な労働力として使いたい。あるいは使い捨てたい。格差大歓迎なのだ。
たとえば、パートで働く労働者には期末手当が出ない。同じ職場で同じように働いても、正規労働者には30万のボーナスが出て、パートにはゼロ。ありふれた光景だ。社長が、パートに1万円だけを支給したとして、これを「社長のありがたい思し召し」と受けとるべきか、「29万円の不当な格差」と考えるべきか。使用者側の頭になっていると、契約にない1万円が好意で支払われたことになり、「同一労働同一賃金」の原則からは「わずか1万円、バカにするな」ということなる。
労働条件は、労使の交渉で決まるのが本筋。労働者は労働組合を結成して団体交渉で高い労働条件を勝ち取るのが、法が想定するあるべき姿。とはいえ、現状、そのような想定が普遍性を持っていない。そこで、法が労働条件の最低限度を決める形で規制することになる。正規と非正規の格差についての規制はどうなっているか。これが、最近話題の労働契約法20条である。
労働契約法20条は読みにくい。毎日新聞が上手にリライトしているから、それをご覧いただきたい。
2013年に施行。正社員のような無期雇用労働者と、非正規の嘱託社員や契約社員のような有期雇用労働者の労働条件の差について
(1)職務の内容
(2)異動や配置変更の範囲
(3)その他の事情--
を考慮して「不合理と認められるものであってはならない」と規定する。現在、国会で審議されている働き方改革関連法案では労契法から削除され、パートタイム労働法に盛り込まれる方向で条文の表現も変更される。
お分かりのとおり、正規と非正規に「労働条件における格差があってはならない」とはしていない。「不合理な格差があってはならない」というのだ。では何が不合理か。「労働者の業務の内容」「責任の程度」「配置の変更の範囲」「その他の事情」を考慮して判断する、という。要するに、個別事例ごとに裁判で決着を着けるしかないことになる。
ということは、格差は不当だから納得できないとする非正規の労働者が、裁判を起こすしかないのだが、これは大仕事だ。これまで、幾つかの大仕事が労契法20条の要件を少しずつ具体化する成果を上げてきた。
通勤手当・家族手当・精勤手当・物価手当・住居手当・扶養手当・早出残業手当、夏季・冬季・病気休暇などでの差別は不合理とされてきた。
そして、昨日の「ハマキョウレックス契約社員訴訟」と、「長沢運輸定年後再雇用訴訟」の各最高裁(第2小法廷)判決である。労働者側の反応は対照的だった。「格差からの解放へ」とハタを出した前者と、無念の記者会見の後者と。
本日(6月2日)の毎日社説が要領よくまとめている。以下は、これをベースにした判決内容の紹介。
正社員と非正規社員が同じ仕事をした場合、待遇に差があるのは、労働契約法が禁じる「不合理な格差」に当たるのか。最高裁は、通勤手当などを非正規社員に支給しないのはその目的に照らし、不合理だと初めて認定した。
判決があったのは、物流会社(ハマキョウレックス)の契約社員として働くトラック運転手が提訴した裁判だ。
1審では通勤手当、2審ではそれに加え無事故・作業・給食の3手当について「支払われないのは不合理だ」と認定されていた。
最高裁は、四つの手当に加え、皆勤手当についても、乗務員を確保する必要性から支払われるのだから格差は不合理だと判断した。
しかし、住宅手当については、正社員と契約社員の間に転勤の有無などの差があり、契約社員に支払わないのは「不合理ではない」とした。
一方で、定年後に再雇用された嘱託社員のトラック運転手3人が原告の裁判(長沢運輸定年後再雇用訴訟)では、基本給や大半の手当について、格差は「不合理ではない」とした。退職金が支給され、近く年金が支給される事情も踏まえた。
ただし、全営業日に出勤した正社員に支払われる精勤手当や、超勤手当については、やはり個別に考慮して格差は不合理だと結論づけた。
この裁判で原告らは、同じ仕事なのに年収が2~3割減ったと訴えていた。企業側は「再雇用の賃下げは社会的に容認される」と主張し、2審はそれを認めていた。最高裁は一定の格差を認めつつも、そうした考え方にくぎを刺したと言える。
長沢運輸訴訟は、1審は労働者側の全面勝訴だったが、控訴審で逆転敗訴となっていたもの。労働者の側からは到底納得しがたい。
この点、本日の東京新聞社説は、こう述べている。
最高裁の考え方は明確である。同じ仕事をしていて、同じ目的を達成するための手当ならば、正社員、非正規社員を問わず、会社は支払わねばならない-という当たり前の結論である。
問題は定年後の再雇用者の給料だ。一審判決は「職務が同じなのに賃金格差があるのは不合理」とし原告勝訴だった。だが、最高裁は「定年制は労働者の長期雇用や年功的処遇を前提としながら、賃金コストを一定限度に抑制するための制度」だから、定年を境に賃金体系が変わるとし、原告の言い分を退けた。
ただ判決には疑問も覚える。運転手がハンドルを握る時間が同じなら、やはり「同一労働同一賃金」という物差しを当てるべきではないのか。
▽長沢運輸の定年後再雇用訴訟判決の要旨はこう述べている。
再雇用された嘱託乗務員と正社員は、職務内容と配置の変更の範囲が同じだが、賃金に関する労働条件はこれだけでは定まらない。経営判断の観点からさまざまな事情を考慮でき、労使自治に委ねられる部分も大きい。
定年制は賃金コストを一定限度に抑制する制度。正社員は定年までの長期雇用が前提だ。再雇用者は定年まで正社員の賃金を支給され、老齢厚生年金も予定されている。こうしたことは、不合理かの判断の際に考慮する点として20条が挙げる「その他の事情」となる。
世の使用者はこの最高裁の判断を納得するだろう。非正規労働者は納得できるはずがない。問題は、正規労働者諸君だ。格差の上位の立場にある者として納得してはならない。労働者の団結こそが労働者の利益で、分断こそが使用者の利益なのだから。
なお、最高裁は賞与の格差についても言及している。定年前、正規社員と当時は5か月分出ていた賞与は、定年後の再雇用で非正規となったとたんに、ゼロとなった。この点について、最高裁は、こう言っている。
賞与は多様な趣旨を含み得る。嘱託乗務員は老齢厚生年金や調整金が予定され、年収も定年前の79%程度と想定。不合理ではない。
賞与なくても、定年前後で年収2割減程度なら不合理な格差とはならないというのだ。やむを得ないとして納得すれば、これが世の常識として定着することになる。批判を続けなければ事態は変わらない。労契法20条は、「明らかな合理性に裏付けられていると認められる場合を除いて格差は許されない」と読むべきであろう。
最終的には不本意で無念な判決ではあったにせよ、裁判を起こして原告となった長沢運輸の定年後再雇用労働者の皆さんに心からの敬意を表したい。
(2018年6月2日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2018.6.2より許可を得て転載 http://article9.jp/wordpress/?p=10461
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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