死刑廃止論へのプレリュード (16)

78. 刑事犯をつめていく論理は基本的には「5W1H」 である。誰が、いつ、どこで、誰に、何を、どのようにやったかが、基本的には詰められていく。
会社組織では、作業のプランニングでも5W1H が重んじられる。組織内では、ここに二つの秘密事項が発生する。ひとつは「誰が」ということで組織自身の責任乖離が可能になり、組織そのものの性格と責任は別の次元に移行してしまう。組織の目的と実績を握る一部幹部の世界とは異なった展開が進むこともある。もうひとつは、組織の諸活動の中でのリーダーシップが、比較的自律的に語られうる余地を大きく残すことになる。この場合は組織そのものの性格として、「リーダーシップ」という言葉が積極的に活用されることもある。
組織も所詮は人と人との集まりであるという立場から組織の人間的つながりによって組織の固有性も醸し出されるという論理が生じる。しかし、この人間関係の強調は組織運営や収益の事情にも影響される。
同時に組織の集団的方針は、あるいは幹部の方針は、企業であれば、作業のプランニングに大きく影響する。それは「5W1H」の実質的な内容を変えてしまうし、その責任性を大きくゆがめる働きもする。同時に組織内部の関係性にも大きな影響を与え、例えば各企業体の体質とも呼ばれるものに収斂する。
ゾルゲ事件などの現場の事実関係をつめていくのには裏付けや証拠が必要であり、そのためにあちこちに関係を探り、裏付けを求めて旅行したりする。しかし、ここでは事件の組織的性格を突き止めるのか、犯人探しが目的なのかでは、研究作業そのものの性格も変わってくる。誰が尾崎秀実を戦争中にどういう理由で密告したのかは、5W1Hで詰めていくと「組織集団」あるいは軍事体制下の「スパイ組織」そのものの性格と深く関係してくる。必ずしも問題の所在は裏切り犯人探しに落ち着くものではない。
尾崎秀実は基本的には公式主義的な「スターリン・ソビエト至上主義者」で、戦争を利用する点では軍事主義者でもあった。彼が死刑になったことは問題だが、彼はコミュニズムの持つ平和への立場を共有してはいなかった。確かに獄中書簡にみるような家族への愛情にあふれていた人であるかもしれず、現在の東大出身者のような閉塞的な社会観の中に自足する人ではなかっただろう。彼の組織は、しかし、彼のかなり軍事的なレトリックを前にふらついていたのではないだろうか。
さて、現在の刑法では基本的には個人の5w1H を詰めていくことで死刑の根拠を『捏造』し続けてきた。北朝鮮のように、支配者の以前の恋人のファッションが挑発的であるという理由で彼女を死刑にしてしまうというのは、現行の死刑そのものへの挑発的なからかいでさえある。個人や「共謀関係」の5W1H を詰めていくことには、特に日本のような「株式会社」組織の中では、大きな見落としを伴っていると考えるべきだろう。