毎週金曜日の首相官邸前行動を持続し7月29日国会大包囲へ

2012年7月19日 連帯・共同ニュース第273号

■   いつもなら家族で夏の旅行に出掛けているころだが今年は予定も立たない。毎週金曜日の首相官邸前行動や経産省前テントに出掛けるのが優先的なこととなっているからだ。別段、嫌なことではなく嬉しいことである。せいぜいのところ東京テレビの旅番組で気分を満足させて、国会や霞が関界隈に足を運びたい。僕らは歴史的な舞台に立ちあっているのかもしれないのだ。今週の金曜日(7月20日)も18時~20時(午後6時~8時)まで首相官邸前での大飯原発再稼働に反対する行動がある。7月27日の金曜日にもこの行動は行われる。さらに7月29日(日)には国会大包囲行動もある。こちらは15時30分《日比谷公園中幸門集合》、19時《キャンドルナイト》。以前の国会前座り込み闘争を何年かぶりに開始した時《2006年の3月》、いつか国会周辺を意志表示する人々が埋め尽くすことはあるのだろうかと想像した。想像したというよりは夢想したということだった。もちろん、ここには1960年の安保闘争等で国会を取り囲んだ日々が想起されていた。今、想像を超えて国会周辺を意志表示の人々が取り囲み埋め尽くすという事態を出現させている。つい先までは誰も想像できなかったことである。この事態については様々な議論が生まれ出している。当然といえば当然である。今、新しい歴史的な運動が現れているのであり、僕らは歴史的な経験をしているのだからである。

■  首相官邸前を起点にした国会や霞が関周辺の毎週金曜日の時間帯(6時~8時)は脱原発や原発再稼働に対する声を発する場になっている。この場に加わり声を発することで解放感を得ており、そのことでまた場は場になり、みんなのものになっている。ここで人々は自分の心的な動きとしてある怒りや不安や希望を行動にあらわし解放感や連帯感を得ているが、その愉のしみで本来のまつりごと(政治)を演じている。これは国会で政治家や政党が演じている政治ではない。

それは公的なものかもしれないが、国民の意志や声とは離反した退屈なものであり、やがては取って替えられるものだ。毎週金曜日のある時間帯に成立する場と国会という場は国民的な政治の場として対照的である。政治的空間として毎週金曜日こそが本来のものであり、未来につながるものだ。体制や権力は警察の規制やメディアの歪められた評価などで人々の行動や場を貶めようとする。その有形無形の闘かいの中にある。僕らは人々の結集こそが場を場たらしめ、場が人々の結集を可能にしている原則を忘れないで置こう。知恵はそこでこそ生きる。 (文責 三上治)