日本は果たして民主主義国家か(澤藤統一郎、サイトちきゅう座 2月25日)。 ―私たちは、この国にはいまだ民主主義政治が健在であると信じたい(2019年2月24日「辺野古」県民投票の会 声明)。
澤藤弁護士の問いかけと「辺野古」県民投票の会の声明はその通りだと思う。米国のトランプ政権には通知がなされるべきである。日本政府は米国の操り人形,奴隷国家であるから通知してもしなくても結果は変わらないだろう。ガイアツがない限り方針転換は無理だ。
しかしそこで思うことが3つある。1つは米国はすでに「民主主義の国」ではないということである。24日小生は『まだ民主主義が栄えていた頃の米国と後藤謙次氏の「気骨ある発言」』を書いて,故・加藤周一は「米国がすでに民主主義が栄えていない」国(1970年代後半)と認定していたことを紹介した(報道三題,『夕陽妄語』)。
そこで第2に,米国の民主主義は完全に滅んだのか,ということ。皆無かどうか。B.サンダースやロン・ポール下院議員の活動を見れば,ほとんど皆無に近いが滅んではいないということが分かる。ならば復活したのか。トランプ政権のヴェネスエラに対する政策をみれば分かるだろうか。正当に選挙された大統領マド-ロ氏ではなく,選挙でえらばれない野党第3位の,No.3のグアイド氏を「暫定大統領」に任命した。これは内政干渉の最たるものだろう。
しかしクリントン大統領は正当に選挙されたミシェロヴィッチ大統領のユーゴに攻撃をかけ捕らえ,彼を司法裁判所の裁判にかけた。結果は無罪。G.W.ブッシュは大量破壊兵器を持っていないにもかかわらずイラクの,正当に選挙されたフセイン大統領を捕まえて殺した。オバマ大統領はウクライナの,正当に選ばれたヤヌコビッチ大統領を追い出して,ネオナチの政権を造り,大統領を据えた。今またトランプ米大統領も同じことをしようとしている。
米国の保守主義の伝統の一つは,他国の内政に干渉して,自国の州の地方自治になるべく介入しないことである。例えば米国領プエルトリコが財政破綻しても支援しない。それでも米国は自由と民主主義の国だと信じられている。すなわち,民主主義の定義如何。内政干渉してもそれが「民意」であれば,民主主義は健在しているというのであろうか。
思うことの3つ目は,30万筆を超えた米ホワイトハウスWHへの請願署名の件である。辺野古・大浦湾埋め立て反対の署名,今何処。WHは10万筆以上集まった場合に何らかの反応を示すことになっているが,まだ回答がない。今回の沖縄県民の辺野古埋め立て反対42万票意志表明通知に対するトランプ大統領の回答も併せて待たれるところである。
民主主義の要諦は少数意見の尊重である-沖縄県民・辺野古埋め立て反対多数に事寄せて その2
民意は間違うことがある。例えば9.11事件のあとできた法律「アメリカ愛国者法」は10年間の時限立法とはいえ,基本的人権無視であるからアメリカ憲法違反である。
しかし民主主義の要諦は少数意見の尊重である。大多数の国民,司法関係者や議会議員が「愛国者法」を歓迎したとき,これに反対する少数の人々がいたことを忘れてはならない。
日本における少数意見の尊重はどうなっているのだろうか。民主主義はまた多数決で方向が決まる。今回の沖縄県民の辺野古埋め立て反対多数決は議論が十分尽くされた後,なされたから二重の意味で民主主義は機能していると言えよう(賛成派の主張する「どちらでもない」が付け加えられた)。
しかし小生は,一昨年の臨時国会が3ヶ月も引き延ばされた上に,開会後「2分間」で閉じられたことは少数意見が無視され,民主主義が否定され,日本国憲法が破壊されたと考える。
憲法第53条は国会議員の4分の1以上の賛成があれば,臨時国会を開くことを規定している。開かれた以上国会審議がなされるのは当然である。しかし2分間で閉じられた。
国会議員の4分の1というのは「少数意見の尊重」を意味する。したがって審議なしに2分間で国会が閉じられたことは憲法第53条無視である。
ところで,法律に暗い小生はここまでしか考えなかったが,憲法破壊が内乱予備罪に相当すると指摘されたのは,平野貞夫元参議院議員である。
平野氏によれば,集団的自衛権を閣議決定した自民・創価学会政権の長安倍首相は,内乱予備罪に当たるとする。つまり憲法を破壊したのである。そうして最高検察庁に訴えられた。
憲法破壊のより具体的内容は40以上に及ぶらしいが辺野古埋め立て強行も最終的に含まれるそうだ。沖縄県民の意思を無視しているのである。3度の知事選結果が示すように辺野古埋め立て反対の民意を国は無視できない。49都道府県の一県とはいえ,少数意見は尊重されなければならない。
具体例をさらに充実させて,再度先月,平野貞夫氏は最高検に訴状を届けられた。正式に受理されるかどうか。静かに見守りたい。