民主主義は闘って守れ

コラリー弁護士の起訴が取り下げられる

今月7月7日、東チモールとオーストラリアにとって好ましい発表がありました。オーストラリアの検事総長が、バーナード=コラリー弁護士の起訴を取り下げる決定をしたのです。

コラリー弁護士とは、チモール海の資源開発をめぐる東チモールとオーストラリアの交渉のさなかにオーストラリア側による不正行為を内部告発した「証人K」の弁護人であった人物です。この決定にたいし東チモール側は一斉に歓迎の意を表明しました。

コラリー弁護士の起訴が取り下げられるまでの経緯をざっと振り返ってみます。

チモール海領海画定条約の締結

2018年3月6日、東チモールとオーストラリアのそれぞれの代表がニューヨークでアントニオ=グテレス国連事務総長の立ち合いのもと、チモール海の領海境界線を画定する合意書に調印しました。

この条約締結は、領海画定が「国連海洋法条約」に基づいて中間線がひかれる点で歴史的であると国連や当事国そして国際社会によって賛美されました。

なお、中間線がひかれることですっぽり東チモール側の領域に入る「グレーターサンライズ」ガス田にかんしては特別制度が設置されました。特別制度には、当ガス田の利益配分は、東チモールにパイプラインがひかれない場合は東チモールへ80%、オーストラリアに20%、東チモールにパイプラインがひかれる場合は東チモールへ70%、オーストラリアに30%、とするという内容などが含まれています。

このチモール海領海画定条約によって、「チモールギャップ」(インドネシア軍事占領時代)とか「共同開発区域」(独立後)とか呼ばれ、オーストラリアに利益もたらしていた区域は東チモールのものとなりました。領海画定交渉団長を務めたシャナナ=グズマンは「領土の次は領海の解放だ」と唱えそれを実行したのです。

またこの領海画定条約によって、2006年に東チモールとオーストラリアが調印した条約CMATS(Treaty on Certain Maritime Arrangements in the Timor Sea、チモール海における海洋諸協定にかんする条約)は完全に過去に葬り去られました。CMATSはチモール海に境界線を引くことなく「グレーターサンライズ」ガス田の開発による利益配分を50-50にするなどの内容が盛り込まれていた条約です。

問題はCMATSの成立に向けて交渉中だったときのオーストラリアの行動です。2004年、交渉を優位に進めたいオーストラリアが東チモール政府庁舎の閣議室に盗聴器を仕掛けたことが2012年に東チモール側にばれてしまいました。こうしてチモール海の領海問題そして「グレーターサンライズ」ガス田の開発問題は思わぬ方向へ旋回したのです。

盗聴器を仕掛けたことが判明したのは、この盗聴作戦にかかわったオーストラリア諜報部の人物・「証人K」(今日に至るまで素性は一切明かされないで、こう呼ばれている)が内部告発したためでした。オーストラリア側による不正行為のうえに成立したCMATSは無効であると、東チモールは国際司法裁判所の常設調停裁判所に訴えを提出し、裁判闘争を開始しました。

ところが2013年12月3日(当時のオーストラリアの首相は与党・保守連合[自由党と国民党]のトニー=アボット、就任期間:2013年9月~2015年9月)、オランダのハーグでいよいよ調停裁判の審問が始まる直前のこと、「証人K」を弁護する同じオーストラリア人のバーナード=コラリー弁護士がすでにハーグ入りし、「証人K」の到着が待たれるときに、オーストラリアではコラリー弁護士の自宅と事務所がオーストラリア当局による家宅捜査にあい、翌日4日、「証人K」は拘束、東チモール側の証拠も「証人K」のパスポートも押収され、「証人K」は盗聴活動の裏づけを証言できなくなってしまったのです。

オーストラリアのこの暴挙に当然の如く東チモール人は怒り心頭に発しました。東チモールは、国際裁判所を舞台にして「証人K」とコラリー弁護士から押収した物証の返還を求めるなどオーストラリアにたいして徹底した法廷闘争を挑んでいきました。法廷闘争を先導したのはシャナナ=グズマンでした。

東チモールを見下したオーストラリアの姿勢は、東チモールに中国という選択肢を与えるに充分すぎる環境を生み、オーストラリアによる対東チモール政策は失敗したといわれるようになりました。アジア・太平洋地域における中国の影響力が拡大していくなかでオーストラリアは姿勢の軟化を余儀なくされ、法廷闘争からCMATSの見直しの交渉へと事態は進展し、先述したように2018年3月、チモール海の領海画定の合意・調印に至ったというわけです。

 領海画定条約締結前のチモール海

領海画定条約締結後のチモール海

パイプラインの行方は今後の交渉次第。

「バユ ウンダン」の油田は今年10月に枯渇すると東チモールの石油関係機関から発表があったばかりだ。

証人Kとコラリー弁護士の起訴

2018年3月にチモール海領海画定条約が成立したことで、盗聴作戦に絡んだCMATSの件は過去のもの、内部告発者の「証人K」の件も過去のもの、オーストラリア当局は「証人K」にパスポートを返して、自由の身にすればよいではないか、多くの人はそう思ったのではないでしょうか。

ところがそうなりませんでした。2018年6月、オーストラリア当局は「証人K」とコラリー弁護士を東チモール政府に秘密情報を提供したとして起訴したのです。これにより2人は複数年の禁錮刑に処せられる可能性が出ました。「証人K」とコラリー弁護士の闘いが始まりました。

それにしてもこの起訴は腑に落ちません。「証人K」とコラリー弁護士を起訴するなら2013年にガサ入れをしたときにすればよかったではないか、チモール海の領海画定条約が両国政府によって合意・調印されたあとになって起訴する意味がどこにあるのか、国家機密を暴露するような内部告発者が今後出ないようにするための締め付けか、はたまたCMATSが無効になったことで「グレーターサンライズ」からの利益が減ったことにたいする怨念のなせるわざか、あるいは小国東チモールにたいする強国としての「なめんなよ」という嫌がらせのメッセージか?……疑問が残ります。

この起訴にたいし、オーストラリア国内の各分野から抗議の声が上げられ、東チモールの指導者も市民も起訴の取り下げを求めました。オーストラリアと交渉を率いてきたシャナナ=グズマンは驚く事実が出るかもしも知れないと示唆しつつ、必要とあらば裁判で証言する用意があると述べるなど、両国から「証人K」とコラリー弁護士を擁護する声が高まり2人への支援活動が広がっていくことになります。

内部告発者たちの闘い

2018年6月(当時の首相はマルコム=ターンブル、就任期間:2015年9月~2018年8月、この時は保守連合による長期政権[2013年9月~2022年5月]の真っただ中にあった)に起訴された「証人K」とバーナード=コラリー弁護士はこのときから4年間、裁判に向けての準備である審問会が一貫して非公開で行われるという不条理な状態に置かれました。とくに「証人K」の場合、どのような状況に置かれ日々の生活を送っているのか知る由もないので人権状況が懸念されました。

裁判に向けての審問会は延期と遅延が繰り返され、裁判手続きはのろのろと進められました。2019年、「証人K」とコラリー弁護士は別々の裁判に切り離されてしまい、コラリー弁護士は「証人K」の弁護士でなくなりました。ますます「証人K」は孤立化され、理不尽極まりない状況が深まっていきました。その反動としてオーストラリア国内では2人にたいする起訴を国の恥としてとらえられ、この状況は民主主義の危機であるとして2人への支援の輪がますます拡大していきました。

2019年8月、「証人K」が罪を認めると審問会で語ったと発表されました。このことが2人への起訴は国の恥という認識がさらに共有化されることになっていきました。このような状況下で同年8月30日、つまり東チモールにとって住民投票から20年目の記念日、スコット=モリソン首相(就任期間:2018年8月~2022年5月)が東チモールを訪れ、チモール海の領海画定条約の批准式を行いました。しかし2人への起訴が大きな影を落とし、まったく盛り上がりに欠ける形式的な行事になってしまいました。オーストラリアはチモール海の領海画定条約によってせっかく東チモールにたいして〝名誉挽回〟する絶好の機会を得たのにもかかわらず、自らこの機会を台無しにしてしまったのです。さぞ中国はほくそえんでいたことでしょう。

2020年になっても裁判手続きは相変わらずのろのろと進みました。その一方で2人を支援する運動はオーストラリア全国規模に広がっていきました。野党・労働党の影の検事総長であるマーク=ドレイフスは裁判の公開を求め、緑の党からは秘密裁判は東チモールにたいするオーストラリアのペテンを覆い隠すためだという意見が出ました。

2021年、罪を認めるという「証人K」にたいする刑罰が審議され、6月18日、3ヶ月の禁錮刑(執行猶予12ヶ月)が言い渡されました。理不尽極まりないこの判決には、「証人K」の勇気が罰せられた、「証人K」は権力のスケープゴートにされた、「証人K」の背後にある事実を知る必要がある、などという批判が寄せられ、無所属のレックス=パトリック上院議員にいたっては、「オーストラリア人であることが恥ずかしい」とまでいわせしめました。8月、野党・労働党は次(2022年)の選挙で勝利したら、本件のスパイ活動について調査するだろうと述べました。

2022年2月8日、東チモール国会は「証人K」とバーナード=コラリー弁護士への連帯の意思表示を正式に採択し、5月20日、大統領に就任したラモス=オルタは改めてコラリー弁護士の起訴を取り下げるようオーストラリア当局に呼びかけました。

そして2022年5月21日、オーストラリアの総選挙で9年ぶりの政権交代が実現、労働党が政権に就きました。影の検事総長だったマーク=ドレイフスは本物の検事総長となり、7月7日、コラリー弁護士の起訴を取り下げると発表したのです。東チモールではラモス=オルタ大統領とシャナナ=グズマンそして政府や市民団体はこの決定を歓迎したのはいうまでもありません(以上、起訴から起訴取り下げの経緯は東チモールの市民団体「共に歩む」のホームページを参照にした)。

残された課題、そして日本は……

バーナード=コラリー弁護士への起訴が取り下げられたからといって、この件が完全に終わったとはいえません。「証人K」は〝密室〟のなかで濡れ衣を着せられた可能性があります。冤罪は晴らされなければなりません。そして1年前に当時野党だった労働党がいったとおり、本件のスパイ活動に果たして本当に調査のメスが入るのか、わたしたちは注視しなければなりません。

翻って考えてみるに日本です。特定秘密保護法、軍事費倍増、〝台湾有事〟などなど…平和が危機にさらされるなかで義憤にかられた内部告発者がでた場合、わたしたちは内部告発者を守ることができるでしょうか。「証人K」の勇気ある行動と、バーナード=コラリー弁護士の民主主義を守る毅然とした態度から、わたしたちは多くのことを学ぶことができます。

政権交代が起こると変化が起こりうる……日本人が忘れてはならないことの一つです。

 

青山森人の東チモールだより  467号(20220717日)より

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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