民芸と救済:『仏教者 柳宗悦―浄土信仰と美―』を読む

 今月の初め、詩人で文芸評論家の岡本勝人氏から、『仏教者 柳宗悦―浄土信仰と美―』(以後サブタイトルは省略する) という本を送っていただいた。氏とは昨年の終り頃から幾つかの研究会でご一緒し、お話ししていたが、氏の著作は前著の『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』を読んだだけで、今回の著作を入れても二冊しか読んだことはない。また、今回の著作のテーマである柳宗悦に関する知識は、私には殆ど皆無である。このような私が『仏教者 柳宗悦』に対する書評を書こうとすることは蛮勇以外の何ものでもないかもしれない。だがそうであっても、この著作について語ることで、岡本氏が新たに提示した柳宗悦を巡るリゾーム的な広がりを凝視し、新たな何らかの認識論的断面を提示することが可能であるように思われたのである。

 柳は主著の一つである『南無阿弥陀仏』の中で、他力を中核とする浄土思想を考察するに当たって、「幸か不幸か、私はその宗門に育った者ではない。そのため、おそらく幾つかのことにおいて、在来の宗学による解釈と異なる見方が見出されるかも知れぬ。またきっと幾つかのことにおいて、宗門の人たちには分かり切ったことを、事新しく述べる場合があろうかと思う。しかしそれはそれで各々に何か意味があろう。宗門の教養を欠くということは、私にとって引け目とも思われるが、同時に宗学にとらわれぬ強みもあろう」と述べている。この主張と同様に、岡本氏が綿密に考察している柳宗悦に対する知識がないゆえにかえって可能な切断面があるように私には思えたのである。

 前置きはこれ以上必要ないであろう。だが、このテクストの本論を展開する前に、テクストの主要探究視点を示さなければならない。何故なら、それは岡本氏の著作を通して私が抱いた柳宗悦像への接近方法の提示であると共に、私が明確化したい思想的・美術的な問題性も浮き上がらせる根本的な観点ともなっているからである。今ここで私が取ろうと思っている探究視点は三つある。それは「遊歩者と星座」、「文化相対主義的問題」、「不二の美とエロスの美」である。この三つの視点はいずれも柳の考えや探究方法とある思想家・研究者の考えや探究方法とを対比することによって岡本氏が解明した柳のイマージュと柳自身の考えとを、スラヴォイ・ジジェクの用語を使えば「斜めから見ること (looking awry)」を、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの用語を使えば「横断性 (transversalité)」を可能にするものである。この視点は考察対象に対する知識が不足している場合でも、何らかの新たな分析アプローチを展開できる分析方法だと私には思えるのである。

 

遊歩者と星座

 「遊歩者」も「星座」もヴァルター・ベンヤミンがしばしば語った言葉であるが、ベンヤミンがパリのパサージュや、ベルリン、モスクワといったヨーロッパの様々な都市を歩き回ったことはよく知られている。歩き回るだけでなく、おもちゃのコレクターであった彼は都市のパサージュにある小さな店で、路地の露天商で、たわいのないおもちゃを買い漁った。卑小で、些末的で、下賤で、すぐに捨て去られても仕方がないもの。そういったものを見つめることに意味を求めたベンヤミン。その姿は忘れ去られた木喰の彫った仏像や名もない職人たちが作った民芸品を探し求める柳の姿と重ならないだろうか。

 岡本氏はこの類似性に注目し、「柳の営為によって、自らの木喰上人に関する出会いから調査・研究による新たな発見が、星と星を一本の線でつなぎ、夢から覚めた現実や錬金術師の合成や廃墟の道跡のように足跡線を描いて、星座 (曼荼羅図) を示す図像となったのである」(以後、岡本氏の発言の引用はすべて『仏教者 柳宗悦』からである。) という指摘や、「(…) 第二次大戦のときにピレネーの麓で死を遂げたベンヤミンは、ユダヤ教の神秘思想に描かれたアレゴリー (寓意) を、美の直観理論として考察した」という指摘を行っている。前者の指摘の中にある「星座 (Konstellation)」や「図像 (Bild)」という概念も、後者の指摘の中にある「アレゴリー (Allegorie)」という概念もベンヤミンの主要考察概念である。岡本氏はベンヤミンと柳の思想の交差、類縁性、相似性、更には、対話性を確かに見つめている。ベンヤミンと柳との共通性は非常に興味深い問題であるが、この小さなテクストで語るには余りにも複雑な問題を数多く含んでいる。それゆえ、ここでは「ミクロロジー (Mikrologie)」(些少事学) と「救済 (Erlösung)」という二人の思想を考える上で特に中心的となる問題に絞って検討していきたい。

 ミクロロジーは小さなもの、些末的なもの、取るに足らないものの中にこそ大きな意味があると考えたベンヤミンの学的姿勢を端的に表す用語である。無名の者、下賤の者、卑俗な者としての歴史の渦の中に消えて行く民衆の一人によって作られた民芸品に、大乗仏教、特に、浄土思想の具現を見た柳の学的探究もミクロロジーと呼ぶことができる。ベンヤミンは小さなものの中にこそ見ることが可能な真理の欠片を求めたが、このミクロロジーは「救済」という方向性に収斂していく。柳の民芸に対する評価も、最終的には大乗仏教的な、浄土思想的な他力としての救済という方向に収斂していった。「民藝は、衆生済度に立つ考え方から民衆の心性へと接近する。柳の民藝と仏教をやさしく語る言葉は、差別の事象を知り、衆生の宿命を済度する知慧の菩薩へと志向する還相の方便であった。柳宗悦の方法によって、民藝の「モノ」と仏教の「法」が美のもとに結合できる道が開かれたのだ」と岡本氏は述べているが、過小評価され、忘れられたものを集めるために歩き、求める行為を積み重ね、探究する品々を発見する旅の痕跡を辿ることで、求道の星座が完成していったのである。

 しかし、救済を具現した美とは何であろうか、また、救済は美の最高形態であろうかという疑問が沸いてくる。神や仏をひたすら信じ、自らの主体性を消して、神や仏と同化してしまうこと。言葉を変えれば、我が神や仏の中に溶解して一つになること、つまりは、不二が美の世界における最高の至高性なのだろうか。この問題はこのセクションで考察するのには余りにも大きな問題過ぎる。それゆえ、後続するセクションである「不二の美とエロスの美」で再検討することとする。

 

文化相対主義的問題

 岡本氏はこの著書の前半部で、クロード・レヴィ=ストロースの言葉を引用しながら、柳宗悦の構造主義的眼差しという問題について言及している。そして、「文明人の思考と異なる具体の論理である古代の思考や神話的思考は、近代が見失ったものに光を当てる民藝の思考に通じるものがある。そこには、自民族優越主義を超えた普遍的な「野生の思考」がある。「物質」の「物」は、民藝の「もの」であり、常数としての「モノ」である。「職人の功績」「実用の美」「健康の美」といった柳宗悦の思考が、期せずして、民俗学で論ぜられた文明人と野生人をつなぐ構造主義的な回路をもっていると理解できる」という見解を述べているが、この見解をよりよく見つめるためにここで文化相対主義という問題について詳しく語る必要があるように思われる。

 文化相対主義はレヴィ=ストロースの著作によって広く知られるようになった概念であるが、元々はフェルナン・ド・ソシュールが『一般言語学講義』の中ですでに語っていた考え方である。一言で述べれば、各言語は音韻、語彙、文法などのレベルにおいて各言語固有の構造を持ち、ある言語の構造が他のある言語の構造よりも優れているという根拠は存在しないという主張である。ソシュール以前の言語学の主流であった歴史言語学の一派である青年文法学派では、アウグスト・シュライヒャーが唱えた言語有機体説が大きな影響力を持っていた。この説はヘーゲル的な歴史的発展を言語にも応用しようとしたものであり、言語の歴史とは生物の歴史と同様に誕生し、成長し、成熟して、消滅するものであるというものである。そして、言語有機体説のこの基本的な流れに対応させて、言語を大きく三つのタイプに分け、言語は孤立言語から膠着言語へ、更に、屈折言語へと変化するものであるとした。

 言語有機体説にとってこの変遷は単なる変化ではない。孤立言語の中国語よりも、膠着言語のトルコ語の方が優れた言語であり、更にそれよりも屈折言語であるドイツ語の方が優れたものであるのだ。何故なら、言語は発展していき、成熟し、消滅するからである。因みに、有機体説の主張において、英語は老衰して、死を迎えようとする言語であり、優れた言語とは言えないとシュライヒャー達は考えた。こうした言語に優劣をつけることに強く反論したのが、ソシュールであり、この言語相対主義を、文化システム全体に反映させたのがレヴィ=ストロースである。そして、彼らの考えをベースにした思想を構造主義と呼ぶ。それゆえ、どのような分野の構造主義であっても複数のシステムを比較する場合、そこに優劣をつけることはなく、中立的な立場での考察を要求する。また、その探究はコーパスの中にある小さな構成要素の考察から始められ、より大きな構成要素の考察に向かうという探究方向性があり、上位のものから下位のものへ向かって階層化していく分析を行わないという特質がある。

 小さなもの、些末的なものからより大きなものへと探究していくという方向性は柳宗悦の民芸研究の方向性と重なっている。また、美にはレベルがあり、芸術作品と言われる作品の方が民芸品よりも美的に優れているという考えに反論する柳の立場も柳とも類似している。それゆえ、文化相対主義者としての柳宗悦について考えることは十分に可能であり、その立場は構造主義的な側面を持つと述べることもできるのである。しかしながら、単位や、構成要素の分析、主体性の排除などという構造主義的な側面は、直観性を重視した柳の立場と大きく異なる側面もある点も強調しておく必要性があるであろう。

 

不二の美とエロスの美

 ここで敢えて柳宗悦の不二の美とはまったく異なったジョルジュ・バタイユが主張しているエロスの美について語ることも無意味なことではないと思われる。何故なら、柳宗悦の思想を検討する場合、救済と美は一致するかという大問題を検討しなければならないからである。バタイユは『エロスの涙』の中で、「宗教というものは、おそらく、基盤においてさえ、壊乱的なものである。それは、法律の遵守から外れさせる。少なくとも、それが命ずるものは、過度なことであり、供犠であり、祭りであって、恍惚こそが、それらの絶頂をなすのだ」(森本和夫訳) という指摘を行い、こうした狂気の中にある美の始原性をバタイユは強調している。彼のこの立場は宗教的なものこそが美であり、救済であると考えた柳の立場とかなり異なるものである。私にはバタイユの立場と柳の立場を比較して、どちらの立場が美という問題を考えるために有効であるのかを判断できる能力はない。しかし、この二つの立場の比較は美という問題の探求にとって根本的な意味を提示するように思われる。

 柳は『南無阿弥陀仏』の中で、素晴らしい工芸品を作る職人の繰り返される手仕事の作業に対して、「この繰り返しの動作と、念々の称名とは、似ないようでおおいに似たところがある。称名には「我」が入ってはなるまい。工人の働きにも「我」が残ってはならぬ。この「我」を去らしむるものは。多念であり反復である」という言葉を書き、更に他力本願という浄土思想の原理について、「それは信の領域だけの教えではなく、美の分野にもあて嵌まる原理なのである」と書いている。このことは美の平等性という問題をわれわれに提起する。岡本氏は「如来像=仏性の深層から生起する平等の思想が説くように、人間は本来何人も救済にもれなく預かる存在である。一切のひとは、美の済度にも預かっている。そして、人間は、本来は美しいものをつくる力を平等にそなえている。それを阻むものは、誤謬によるものである」と述べている。この言葉は不二の美を示している。

 「美しいものをつくる力を平等にそなえている」という考え方は、一般的に言って、人間は言語化能力ランガージュ (langage) を持っているという近代言語学以降の考え方に類似している。だが、ランガージュの平等性を強調し、人間は人種や国籍に関係なく、あらゆる言語が習得可能であるがとした近代言語学において、習得後のラングの使用は個々人で異なるゆえに、ソシュールはパロール (parole) という用語を提唱した。能力としては平等であっても、ラングはあくまで個人が習得するものであるゆえにその実現は様々な形で表現される。では、美はどうであろうか。私が思うに、美を求め、美を作ろうとする力は人間に平等に与えられたものだと言うことも可能であろう。だが、その実現は同じものではあり得ないであろう。ただ、求める方向性における一致は可能かもしれない。しかしながら、この問題は簡単に結論づけられるものではない。

 このセクションで示したバタイユの言葉と柳の言葉は常識的に考えれば、宗教や美に対する真逆の捉え方であると述べ得るであろう。しかしながら、「恍惚」という概念から見つめたならば、二つの捉え方に類縁性を見ることはできないだろうか。あるいは、こう言ってよければ、二つの捉え方の中に対話関係を築けるのではないだろうか。他力本願によって得た不二の中にもエロスの探求によって得られた恍惚と同じ側面があり、それが救済という問題を解く鍵になるように私には思われるのである。そして、そこに美というものの魅力があるようにも思われるのだ。この仮説を実証する力が私に十分備わっているとは言えないが、このテクストの結論部分では、リーチノスチという概念を導入しながら、今語った問題について可能な限り検討していきたい。

 

 ロシア文学者の安岡治子氏は東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻論集である『Odysseus』に掲載された論文「ロシア文化におけるリーチノスチ」の中で、ロシア特有の、伝統的概念であるリーチノスチ(личность)に関する考察を行っている。この言葉は全体から独立した個人ではなく、全体と共にある個人を指すものであるが、この概念の展開において生まれたシンフォニック・リーチノスチについて安岡氏は、「シンフォニック・リーチノスチとは、一なる存在と多なる存在が互いなしでは存在し得ないような、多様性の有機的な統一体である。これは、個人の個性を否定するものではないが、個人(индивид)は全体との相関においてはじめてリーチノスチとなり得るというのである」という注目すべき指摘を行っている。全体と個は別々の存在ではなく、全体は個の単なる集合体でもない。更には全体と個人は互いの相互行為を前提として存在している。この考えに大乗仏教、それも特に、浄土思想との相似性を見ることは可能ではないだろうか。

 安岡氏はドストエフスキーのリーチノスチに対する発言を考察して、「皆がそれぞれのを自発的に無にすることによって、が溶け合い、しかもそれがリーチノスチの究極の発達になる」と述べているが、この考えは浄土思想と言ってもよいものではないだろうか。恍惚と他力。主体を預ける、あるいは、主体を溶解させる。そういった行為の中に信仰の究極の理想があるという思想は西洋的なものではなく東洋的な匂いのするものである。しかし、「南無阿弥陀仏」と称念することと上記した「我を自発的に無にすること」はまったく同じ行為であろうか。柳宗悦は「自我を立てぬのが称名である。そのことは何を意味するのか。衆生を済度しようとする慈悲そのものに、凡てを働いてもらうことである。その慈悲を素直にそのまま受け取ることである。称名はここで自力の行ではなく、全く他力の行だと分かる。称えるというより称えさせてもらうのであって、どこまでも受け身である」と語っているが、そこに西洋的な救済と東洋的な救済の差異を見つめることができるのではないだろうか。

 ミハイル・バフチンの言語理論は我と汝の差異があるからこそ、対話関係が成立することを強調している。差異がなければ対話は必要なく、言葉が展開されることもなくなる。主体が主体であって他の主体と異なっているからこそ、言葉が対話者間の橋になることができるとバフチンは述べている。動き続ける中に、変化することの中でこそ言語行為は広がり、対話者が相互に言葉を浸透させていくことを通して間主観性が実現する点を重視したバフチン理論の影響を私は強く受けている。それゆえ、「南無阿弥陀仏」という六字に集約された称念はそれが悟りの道であったとしても、そこに多様性を見つめることが私には困難な言語行為である。美に関してもそうである。例えば、柳宗悦が『南無阿弥陀仏』に掲載している仏像や絵に、純真さや素朴さは感じても、美しさを感じることはできない。私はバタイユの『エロスの涙』に掲載されたエロスに満ち、その何枚かは残酷さと野蛮性を表している絵画の方により美しさを感じてしまう。

 しかしながら、美の最高の形態ではなく、一つの形態として救済の美学というものあってもよいとは思っている。「(…) 柳は、(…) 「今ここに美の浄土がある」ことを、具象的な目前の事実として語る。仏国土には、人間だけでなく、物や表現において、上下、貧富、貴賤、賢愚、才不才の差別がないと言う。美しさも、巧拙の別がない。拙は拙のままで美しさとむすびつく例示を民藝に見た。巧は、美しさのたくらみに陥りやすく、拙は純朴さと交わりやすいと、柳は熱く語る」と岡本氏は書いている。シンプルさの中の美、複雑に分割されていない故の美は存在するだろう。それが至高の美であるかどうかは判らないが、美の一ジャンルを確かに構成している。柳の言説をこの側面から見つめたならば、彼が探求していった美の世界が理解可能になる。

 『仏教者 柳宗悦』は柳の主要思想や美への考察方向性を詳しく解説していながらも、今述べた側面からのアプローチに対する導きの書ともなっている。浄土思想や仏教美術、民芸品といったものに大きな関心がなくとも、柳宗悦の求めた美的世界と救いの世界の統一的弁証法は岡本氏のこの一冊の中に凝縮され、表現されている。その意義は大きい。ミクロロジーによるミクロコスモスから浄土思想の説くマクロコスモスへと向かう柳宗悦の思想。それは美の世界の探求でもあり、世界の解放の道でもあった。この柳の姿を岡本氏は『仏教者 柳宗悦』の中で的確に提示してくれた。それは私に浄土思想とリーチノスチとの連続性と断絶を発見させてくれた。また、救済の美的意味を考える必要性を教示してくれた。こうした数々の点で岡本氏に心から感謝したい。だが、柳宗悦という非常に興味深い思想家の大きな存在性、それを知った私は新たな難問を抱えてしまった。「美とは何か」という根源的な問に答えることは容易なことではない。しかしながら、私は美の探求のための対話を真摯な姿勢でこれからも続けていかなければならないと改めて思った。

初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載

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