戦後日本政治の定点観測地としての沖縄から、本土における憲法改定の揺らぎを見れば、ただならぬ深刻な危機感を覚える。というのも、沖縄での復帰運動の目指したものは「平和憲法下の日本への復帰」にあったからだ。
しかし、沖縄戦の体験から沖縄県民が最も理想とした日本国憲法が、今や“改悪”されようとしている。沖縄県民として当然、「復帰とは何だったのか」「日本国とは何か」という問いを発せざるを得ない。
沖縄では、1972年5月15日以後、毎年のように5月3日の“憲法記念日”には、沖縄県憲法普及協議会による憲法講演会が開催されてきた。沖縄の直面する問題を解決するには、平和憲法の理念に頼るしかないと考えていたからである。今年も那覇市で開かれた憲法講演会には1400人の県民が参加、東大大学院の高橋哲哉教授の「沖縄に問われてー憲法と米軍基地」のテーマの講演を聞き、改めて平和憲法を守る決意を新たにした。
高橋教授は「現行憲法の主権在民、基本的人権の尊重、平和主義の原則にのっとって、現在の人権侵害の状況を正していくのが政府の役割であり、私たちはそれを要求していくべきだ」「米国に対する属国的な状態、治外法権的な米軍の存在を認め、それを必要としているのは、日本国民の多数がそれに利益を感じているからである」と、沖縄の米軍基地とそれを容認する本土の在り方を批判し、憲法を守らせることの重要性を強調した。この高橋教授の問題意識は、沖縄県民の問題意識と全く共通するものであり、県民の大きな励ましとなった。
沖縄でももちろん、「自主憲法制定県民集会」が開かれる。ことしも普天間基地のある宜野湾市で約70人の集会が開かれ、近大の東裕教授が「現行憲法で日本を守れるか」のテーマで講演した。東教授は「現行憲法は明らかに耐用年数が過ぎている。今の憲法で日本を守ることはできない」と改憲の必要性を強調した。改憲の狙いが憲法第9条にあることは語るに落ちた話である。
沖縄では、1972年5月15日の沖縄返還以降、毎年のように“平和行進”と「復帰の意味を問う」集会が開かれているが、今年の「復帰とは何だったのか」というシンポジウムで、平良修牧師は「日本は沖縄を利用価値のある存在としてしか認識していない。現状の根本的な解決には、日本と決別するしかない」と、反憲法的な沖縄の現実を強いる日本政府への怒りをあらわにし、公然と沖縄の独立を主張した。平良牧師は、辺野古での新基地建設に反対して座り込み闘争を続けている牧師だが、その発言に共感する県民は決して少なくない。
また、ジャーナリストの新川明氏も「日本が祖国であるという“作られた祖国意識”から脱却する必要がある」と、単純に日本を祖国と見てきた県民の在りように疑問を提起し、県民が祖国とは何かを今いちど検証するよう強調した。
今年の憲法記念日の前後に出てきたこれらの“独立論”“祖国論”は、決して一過性の問題ではなく、“沖縄と本土”の関係を集約的、本質的に表現したものであり、沖縄でひとつの思想的な流れとして無視できないものとなりつつある。
沖縄県民が祖国復帰運動の中で希求してやまなかった平和憲法の精神を、いとも簡単に変えようとする本土国民の在りようを「日本国とはなにか、日本人とはなにか」という視点から問い続けるのは当然であろう。日本国憲法の理念に立って、アメリカ政府や日本政府にたいして「NO」を言い続ける沖縄県民は「特殊」なのか。沖縄を忘れた本土国民にそのことを言いたい。沖縄と本土の差別の溝は日本国憲法によって越えられると信じてき者にとって、憲法改悪の動きは、沖縄と本土の意識の亀裂を決定的にするものだ。ことしの憲法記念日につくづくそう思った。
▽前稿で、安部内閣の「4.28 主権回復の日」式典に対して、沖縄と本土の溝を深める愚挙だと批判したが、式典当日の国会議員や県知事の出席状況について、政府は5月24日に明らかにした。沖縄選出の照屋寛徳・衆議院議員の質問主意書に答えたもの。それによると、衆議院議員423人中、出席したのは152人。参議院議員217人中出席したのは33人。都道府県知事は、本人出席25人、代理出席は22人だった。沖縄の分離を認めた講和条約第3条が発効した1952年4月28日を「主権回復の日」とし、記念式典として祝う気にはなれなかったのだろう。それが良識というものである。
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