沖縄の人々の視線の先には在米沖縄大使館がある

2011年12月17日 連帯・共同ニュース第202号

<9条改憲阻止の会>

■  時は2011.12.15。場所は市ヶ谷の付近、自治労会館。集会の名は「辺野古アセス反対 沖縄の民意を踏みにじるな 12/15集会」。主催者提起、国会情勢報告があり、安次冨浩ヘリ基地反対協議会共同代表と崎山嗣幸沖縄平和運動センター議長の沖縄報告が続く。そして連帯アピール、行動提起。全ての発言が「辺野古アセスの違法性」を背骨にして「沖縄に新しい基地は要らない」「辺野古、高江に基地は作らせない」「普天間は完全撤収」「地位協定の改善」へと展開していく。あまりにも長い中央政府の構造的差別と米軍の占領地支配に倦み飽きた沖縄県民の怒りが滲み出ている。「秋は今だ。機会を逃がすな」と静かな声で叫んでいる。いつもなら手を振り回し、声を荒げる安次冨氏までが声を抑えている。それほどに怒りは頂点に来ている。

■  8月15日に沖縄防衛局長が交代した。3年半の任期を過ごし、沖縄を知り尽くし、陰湿な(朗らかではない)手練手管を駆使して沖縄県を翻弄した真部朗氏が去り田中聡氏が来た。沖縄の地は無知で傲慢な新人が治められるほど単純な政情ではない。沖縄県民は過去における中央政府の沖縄処分ともいえる差別を充分知り尽くしている。「県民の皆様に充分ご理解を得て云々」と言うのならばまず「民意を知る」為に県民と対話する事が最初の仕事であった筈である。田中聡は聡くは無かった。いきなり「私は沖縄県民を犯しに来た」と同意の発言をした。沖縄県民は一挙に沸騰した。中江公人事務次官や一川防衛大臣のとって付けた口先だけの謝罪など受け入れる余地はない。県民は沖縄防衛局前庭で抗議し、県庁前で「田中聡の罷免、一川防相の更迭」を要求した。内閣は「田中聡の40日停職、一川帽相の閣僚給与返還」で幕引きを謀った。それが更に県民の怒りに油を注いだ。「防衛省の自爆行為が市民の側の運動を有利にした」等と喜ぶ気にもならない。この程度の処分で虎口を脱しようなど横着過ぎる事を知るべきである。

■ それを知ってか、彼らの目先の都合からか、元沖縄防衛局長真部朗氏を再任で送り込んできた事は防衛省の県民に対する飽くなき敵対姿勢を感じさせる。沖縄県民は中央政府の当事者能力欠如に結論を出した。米軍の横暴にも倦み飽きた。沖縄県民は自らの手で「アメリカ市民」と対話し、「米国議会」と交渉する為に大型訪米団を送る。彼らの視線の先には在米沖縄大使館設立がある。沖縄自立の声は現実のものとして動き始めた。燎原の火となった沖縄の声は全島の声となり、力となっていくだろう。 (文責:冨久亮輔)