河野太郎 「『桜を見る会・前夜祭』に関する公開質問状」を受領拒否

著者: 澤藤統一郎 さわふじとういちろう : 弁護士
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(2021年9月22日)
 ワタシがブロック太郎だ。ワタシの突破力を疑う人もないではないが、ワタシのブロック力を疑う人とてこの世にはない。誰もが認める、六十余州に隠れもない史上最強のブロック太郎…だぁ。

 あれもヤメレ、これもヤメレ。見たくないものには目をふさぐ、聞きたくない言葉には耳をふさぐ。ブロックに何の遠慮が要るものか。聞いてほしけりゃ、ワタシの喜ぶ意見をもってこい。

 ナニ? 「自民党総裁選候補者及び各党代表への『桜を見る会・前夜祭』に関する公開質問状」だと? いったい誰がそんな公開質問状を出しているんだ? 「『桜を見る会』を追及する法律家の会」だと。そんなもの、どう答えたって、総裁選に有利になるはずはない。ヤメレ、ブロックだ。受領拒否で送り返せ。また来たら、また送り返せ。ブロック太郎のブロック力の見せどころだ。

 「news23」で、「首相になってもブロックはするのか」と質問されたから、「ワタシのやりたいようにやる」と答えてやった。ブロックは、ブロック太郎のレーゾンデートルだ。ブロックやめたら、ワタシがワタシでなくなる。誰の意見も聞きましょうなんて、面倒なことはやってられない。できっこない。

 記者会見なら、「次の質問どうぞ」「次の質問者どうぞ」だ。あなたの質問には答えない。気にいらない記者には答えない。耳に痛い質問には答えたくない。だって、ワタシはいつも正しく忙しい。つまらぬ記者やその質問に、時間をとられるのはまっぴらだ。

 ワタシもそれほどバカではない。作戦というものが二つある。一つは公私の区別曖昧化作戦。もう一つが、中傷・批判混交作戦。意図的にやっている。マ、安倍さんのご飯論法みたいなもんだ。

 こういうことだ。まずツイッターはワタシの「暇つぶし」と私的な言論であることを強調する。こうしておいて、公的情報をどんどん入れてフォロアー数を稼ぐ。何か批判があれば、すぐにブロックして「私的な言論にとやかく言われる筋合いはない」と開き直る。私と公との行ったり来たり。境界曖昧にしておくことが、何よりのブロック術の秘訣。

 もう一つが、意識的な誹謗と批判の曖昧化。卑劣な誹謗は許せない、なんて言いながら政治的批判の言論をブロックしようというずる賢い高等戦術。「ツイッター上の会話も普通のリアルの会話のように礼節をもってやってもらえればいいんだが」などと言いつつ、面白くない批判者の言論はブロックなんだ。

 ワタシのや目指すところはトランプの流儀。ワタシにとって大切なのは、熱狂的な支持者の一群を作ることであって、満遍なく説明責任を全うすることではない。なんで、自分を批判する「あんな人たち」の言い分を聞かなきゃならないんだ。ブロックしたって何が悪い。

「『桜を見る会・前夜祭』に関する公開質問状」なんて、どうせ前首相や自民党を誹謗中傷する法律家の集まりだろう。ワタシはまだ私人だ。ブロック力を発揮して、受領拒否をしても、ちっとも問題はないだろう。これからも、「ワタシのやりたいようにやる」だけさ。

(参照) http://article9.jp/wordpress/?p=17589

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.9.22より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=17608
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11319:210923〕