法務省のホームページに法務大臣・森まさ子の「コメント」が3件掲載されている。いずれも、カルロス・ゴーンの動静に関するものだが、一国の法務大臣たる者が、一被告人に対してこれだけのことを言わなければならないものだろうか。やや大人げない印象を禁じえない。
いずれ、貴重な法務大臣の刑事司法観。全文転載して、私見を付しておきたい。もっとも、この人は、弁護士である。おそらくは弁護士としては、この法務大臣コメントとは別の刑事司法観を持っているはず、と思うのだが。
http://www.moj.go.jp/danwa_index.html
森法務大臣コメント(カルロス・ゴーン被告人関係)ー令和2年1月5日
昨年12月31日,保釈中のカルロス・ゴーン・ビシャラ被告人が,日本の刑事司法制度を批判するとともに,レバノンにいるとの声明を発表したとの報道がなされた。
私は,法務大臣として,この問題を覚知した後,速やかに,事実関係の把握を含め適切な対処に努めるよう関係当局に指示をした。
事実関係については,現在も確認中であるが,ゴーン被告人が日本を出国した旨の記録はないことが判明しており,何らかの不正な手段を用いて不法に出国したものと考えられ,このような事態に至ったことは誠に遺憾である。
我が国の刑事司法制度は,個人の基本的人権を保障しつつ,事案の真相を明らかにするために適正な手続を定めて適正に運用されており,保釈中の被告人の逃亡が正当化される余地はない。
既に,ゴーン被告人に対する保釈が取り消され,また,国際刑事警察機構事務総局に対して我が国が要請した赤手配書が発行された。
検察当局においても,関係機関と連携し,迅速に捜査を行い,ゴーン被告人の逃亡の経緯等を明らかにするため全力を尽くし,適切に対処するものと承知している。
引き続き,法務省としても,関係当局,関係国,国際機関と連携しつつ,我が国の刑事手続が適正に行われるよう,できる限りの措置を講じてまいりたい。
また,出入国在留管理庁に対し,関係省庁と連携して,出国時の手続のより一層の厳格化を図るよう指示したところであり,同様の事態を招くことがないよう,今後とも必要な対応を行ってまいりたい。
註 「赤手配書」とは、国際手配書(INTERPOL Notices)9種の内、「引渡し又は同等の法的措置を目的として、被手配者の所在の特定及び身柄の拘束を求めるもの」をいう。
法務行政の責任者が、「ゴーン被告人が…何らかの不正な手段を用いて不法に出国したものと考えられ,このような事態に至ったことは誠に遺憾である。」「関係省庁と連携して,同様の事態を招くことがないよう,今後とも必要な対応を行ってまいりたい。」ということは、当然であろう。
とは言え、「我が国の刑事司法制度は,個人の基本的人権を保障しつつ,事案の真相を明らかにするために適正な手続を定めて適正に運用されており,保釈中の被告人の逃亡が正当化される余地はない。」には、「おや、そこまで、ムキになって言うかね」という印象。
「保釈中の被告人の逃亡が正当化される余地はない。」は、そのとおりだと思う。しかし、「我が国の刑事司法制度は,個人の基本的人権を保障しつつ,事案の真相を明らかにするために適正な手続を定め」は、理想を述べるもので、現実に「適正に運用されており」は、言ってる本人も、こそばゆいのではなかろうか。
**************************************************************************
森法務大臣コメント(カルロス・ゴーン被告人関係)ー令和2年1月9日
先ほど,国外逃亡したカルロス・ゴーン被告人が記者会見を行ったが,今回の出国は犯罪行為に該当し得るものであり,彼はICPOから国際手配されている。
ゴーン被告人は,我が国における経済活動で,自身の役員報酬を過少に記載した有価証券報告書虚偽記載の事実のほか,自己が実質的に保有する法人名義の預金口座に自己の利益を図る目的で日産の子会社から多額の金銭を送金させた特別背任の事実などで起訴されている。
ところが,ゴーン被告人は,裁判所から,逃げ隠れしてはならない,海外渡航をしてはならないとの条件の下で,これを約束し,保釈されていたにもかかわらず,国外に逃亡し,刑事裁判そのものから逃避したのであって,どの国の制度の下であっても許されざる行為である。しかも,それを正当化するために,国内外に向けて,我が国の法制度やその運用について誤った事実を殊更に喧伝するものであって,到底看過できるものではない。
我が国の刑事司法制度は,個人の基本的人権を保障しつつ,事案の真相を明らかにするために,適正な手続を定めて適正に運用されている。
そもそも,各国の刑事司法制度には,様々な違いがある。例えば,被疑者の身柄拘束に関しては,ある国では広く無令状逮捕が認められているが,我が国では,現行犯等のごく一部の例外を除き無令状の逮捕はできず,捜査機関から独立した裁判官による審査を経て令状を得なければ捜査機関が逮捕することはできない。このように身柄拘束の間口を非常に狭く,厳格なものとしている。
刑事司法制度は各国の歴史や文化に基づき長期間にわたって形成されてきたものであり,各国の司法制度に一義的な優劣があるものではなく,刑事司法制度の是非は制度全体を見て評価すべきであり,その一部のみを切り取った批判は適切ではない。
身柄拘束に関する不服申立て制度もあり,罪証隠滅のおそれがなければ妻との面会なども認められる。全ての刑事事件において,被告人に公平な裁判所による公開裁判を受ける権利が保障されている。
そして,我が国は,これまでの警察や検察,司法関係者と国民の皆様の努力の積み重ねにより,犯罪の発生率は国際的にみても非常に低く,世界一安全な国といってよいものと考えている。
もちろん,様々なご指摘があることは承知しており,これまでも,時代に即して制度の見直しを続けてきたものであり,今後もより良い司法制度に向けて不断に見直しをしていく努力は惜しまない。
我が国の刑事司法制度が世界中の方々に正しく理解していただけるよう,今後も,情報提供を行い疑問に答えてまいる所存である。
ゴーン被告人においては,主張すべきことがあるのであれば,我が国の公正な刑事司法手続の中で主張を尽くし,公正な裁判所の判断を仰ぐことを強く望む。
政府として,関係国,国際機関等とも連携しつつ,我が国の刑事手続が適正に行われるよう,できる限りの措置を講じてまいりたい。
「被疑者の身柄拘束に関しては,ある国では広く無令状逮捕が認められているが,我が国では,現行犯等のごく一部の例外を除き無令状の逮捕はできず,捜査機関から独立した裁判官による審査を経て令状を得なければ捜査機関が逮捕することはできない。このように身柄拘束の間口を非常に狭く,厳格なものとしている。」というパラグラフには驚いた。こんなことは言うべきではない。「我が国の公正な刑事司法手続」とは、「無令状の逮捕はできない」という程度のものと思われてしまう。実際そうなのかも知れないが。
**************************************************************************
森法務大臣コメント(2)(カルロス・ゴーン被告人関係)ー令和2年1月9日)
昨日のカルロス・ゴーン被告人の会見においては,ゴーン被告人から,我が国の刑事司法制度に対し,様々な批判的な主張がなされた。
その多くが,抽象的なものや,趣旨が判然としないもの,根拠を伴わないものにすぎないものであったが,広く世界に中継されるなどしたものであり,世界中に誤った認識を拡散させかねないものであることから,正しい理解を得るために,昨日申し上げた点に加え,一般論としてではあるが,何点か,冒頭において指摘しておきたい。
なお,個別具体的な事件における捜査・公判活動は,検察当局の責任と権限において行われるべき事柄であることから,法務大臣として,それらに関する主張に対し,事実関係や所感を述べるものでないことを申し添える。
つまりは、すべて一般論だけでコメントをするというのだ。法務大臣という立場からは、そうせざるを得ない。具体的な案件に立ち入ることはでないのだ。おそらくは隔靴掻痒であろう。ならば、的確な反論にはなりようがないのだらら、無理にコメントなどせぬ方がよかったのではないか。
☆我が国の司法制度が「人質司法」であるとの批判がなされたが,昨日も申し上げたとおり,我が国の刑事司法制度は,個人の基本的人権を保障しつつ,事案の真相を明らかにするために,適正な手続を定めて適正に運用されており,批判は当たらない。
我が国の刑事司法が「人質司法」であるとの批判は多くの法曹に,とりわけ弁護士に共有されているところである。被疑者・被告人の人権が厳格に保障されているとは到底言うことができない。
その最近での典型事例が、倉敷民商弾圧禰屋事件。民商の事務局員であった禰屋町子さんは、14年1月21日に逮捕され法人税法違反(脱税幇助)と税理士法違反の罪で起訴されたが、徹底して否認を貫き、何と428日間の勾留を余儀なくされた。一審岡山地裁は有罪判決を言い渡したが、懲役2年・執行猶予4年であった。執行猶予を言い渡すべき事件で、428日間の勾留である。これを人質司法という。しかも、この件は控訴審の広島高裁岡山支部で、18年1月に有罪判決が破棄それて差戻されている。以来1年、まだ検察差し戻し審の公判が始まらない。検察の立証計画が整わないのだ。
法務大臣知悉の事件のはずだが。
☆有罪率が99%であり,公平な判決を得ることができないとの批判がなされたが,我が国の検察においては,無実の人が訴訟負担の不利益を被ることなどを避けるため,的確な証拠によって有罪判決が得られる高度の見込みのある場合に初めて起訴するという運用が定着している。また,裁判官は,中立公平な立場から判断するものである。高い有罪率であることを根拠に公平な判決を得ることができないとの批判は当たらない。
起訴事件における有罪率の高さは、一面起訴の慎重さを物語るが、他面起訴した事件はなにがなんでも有罪にしないわけにはいかないという検察の悪弊を語ってもいる。このことを水掛け論にするのではなく、多くの冤罪が、後者の側面がら生まれていることを具体的に検証しなければならない。なお、ゴーンのケースが、どういうものか、法務大臣は語ることができない。
☆取調べが長時間であること,弁護人の立会がないこと等取調べ全般に対する批判がなされたが,そもそも,我が国においては,被疑者に黙秘権や,立会人なしに弁護人と接見して助言を受ける権利が認められている。また,適宜休憩をとるなど被疑者の人権に配慮した上,録音録画の実施を含め適正な取調べを行っている。
この法務大臣の「反論」は、説得力に欠ける。「取調べが長時間であること」「弁護人の立会が認められていない」ことは真っ向から否定することができない。「そもそも」などと言い出すことがゴマカシである。「適宜休憩をとる」「弁護人と接見して助言を受ける権利が認められている」程度のことしか言えないことが、批判されているのだ。
☆検察が公判を引き延ばしており判決まで5年以上かかるというのは問題であるとの批判がなされたが,そもそも,検察当局は,公判手続が速やかに進むよう様々な努力をしている。
多分これは、法務大臣の言い分が正しかろう。むしろ問題は、公判手続が速やかに進み過ぎることにある。被告・弁護側に、十分な防御の時間が与えられない。とりわけ、ゴーンのように、当該の事件に専念できる弁護人を有する被告人は例外である。多くの被告人は、このような手厚い弁護を期待し得ない。明らかに、経済力による弁護権保障格差が存在するのだ。常に、検察官の迅速な公判進行に対応できるとは限らない。
☆保釈中に妻と会うことを禁止するのは人権侵害であるとの批判がなされたが,そもそも,逃亡のおそれや罪証隠滅のおそれがなければ特定の者との面会制限などはなされない。
これも当然のことだろう。通常、保釈中の制限住所は自宅となのだから、配偶者と会うことを禁止するなどということはありえない。ゴーンの場合は、例外的に、配偶者との接触が、具体的な逃亡や証拠隠滅の恐れがあると考えられたのだろう。日本の司法一般の問題としての,ゴーンの批判は当たらない。
☆日産や日本政府関係者の陰謀によって行われた捜査であるとの批判がなされたが,そもそも,検察当局においては,特定の利害関係者の陰謀に加担して,本来捜査が相当でないものを捜査するようなことはあり得ない。
あってはならないことは確かだし、ゴーンの会見の主張に具体性はない。おそらくはないことだろうと思われるが、さりとて、あり得ないだろうか。今のところ、藪の中としか言いようがない。
☆この他にも,ゴーン被告人は,自身の刑事手続に関して,るる主張を繰り広げていたが,いずれにしても,これらの主張によって,ゴーン被告人の国外逃亡が何ら正当化されるものではない。
それはそのとおりであろう。ゴーンは、弁護団とともに、法廷で自身の刑事手続に関する主張を展開すべきであったし、それができたはずだ。法廷の主張は、メディアも耳を傾ける。レバノンでなければ、主張できなかったはずはない。
☆また,個別事件に関する主張があるのであれば,具体的な証拠とともに,我が国の法廷において主張すればよいのであり,ゴーン被告人においては,我が国の公正な刑事司法手続の中で主張を尽くし,公正な裁判所の判断を仰ぐことを強く望む。
「我が国の公正な刑事司法手続」「公正な裁判所の判断」というフレーズに、違和感は残るものの、この点については、概ね同意できる。
(2020年1月9日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.1.9より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=14110
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9337:200110〕