事件当日から息子一矢の状態
事件を朝知らされて、頭の中が真っ白になってしまいました。テレビはただ殺傷事件ばかりを報道して、そして植松も逮捕されていました。名前も誰かもわからないで、殺された人は15人とだけ。
7時半に施設になんとか駆け付けました。その時、自分がどうだったのか覚えていません。一番覚えているのは、ただ大きなテーブルがあって、A4の紙が4枚ありました。それに利用者の名前が書いてありました。☓、〇が書いてあって。そんなことしか覚えていません。ただ、一矢が立川医療センターとあって。周りのことが何もわからなくて、とにかく行きました。どうやって行ったかわからないのですが、車に乗ったんですが、カーナビがセットできないんですよ。職員が私がやるわと言って、カーナビを教えてくれて、9時半ぐらいに病院につきました。どうやって来たかあまり覚えていませんでした。看護師さんから、今一矢さんは手術に入りましたと言われました。12時頃、先生からお話を聞きました。
ダメだったと言われたらと思って、ちゃんと話を聞けないんですね。ここを4針、3針縫いました。こちらを5針縫いました。一番ひどいのは、お腹を刺されて大腸がおそらくちぎれるちょっと手前でした。汚物が腹の中に回っていて、腹を全部割腹して、お腹をきれいに洗って縫い上げました。一応手術は終わりました。ただ明日の朝までは予断を許さないと。明日の朝まで病院から連絡がなければ助かったと思って結構です。
本人と会っていって下さいとのことで、会いました。一矢は麻酔が効いているはずなのに、私が看護師さんと話している時に、娘が「お父さん、お父さん、一矢が泣いてるよ。お父さんの声、聞こえるんだよ」と言って、ホントに涙が出ているんですよ。聞こえているかもしれないと思いました。その後、どうやって家に帰ってきたかわからないほどのパニックでした。23日間入院しました。
8月15日、津久井やまゆり園から職員が迎えに行きました。丁度この時、私は以前から手術をすることに決まっていて入院していましたから、迎えに行けなかったわけです。
その前に何回か見舞いに行きまして、「かんちゃん、(一矢をかんちゃんって呼んでいるんですが)かんちゃん、治ったらやまゆりに入るんだよ、帰るんだよ」と言ってきかせていたので、本人はやまゆりに帰ると思っていたらしい。でも、好きな職員と一緒に車に乗って着いたところが、津久井日赤だったんです。それから一矢のパニックが始まりました。
食べない、喋らない、怒鳴る、それから先生にお腹も触らせない。すごい状態で、精神的にも落ち着かなくなって。その時のことも、放映されてしまいました。それから23日ぐらいで、津久井日赤を退院しました。退院しても、歩けないし、喋れないし、車イスで半月過ごしました。
9月21日に、今いる厚木の七沢の県の施設(取り壊し予定)に暮らしています。その後も車イスでした。
ある日、娘が、ひょっとしたら一矢うつかもしれないよと言ったんです。一矢がやまゆり園に来ると言ったので娘と一緒に会いに行って、4人でご飯を食べて、車イスで散歩して、「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とごきげんになって、2、3日してから急に一矢が回復に向かったんです。これも、お姉ちゃんの力だと思います。今はもう、回復して歩いています。言葉もかなりでます。
もともとお父さんとかお母さんとは喋らない。自分の言いたいことしか言わない、やめとく、嫌、だめとしか言わない子でした。それが、入院した時、3日めに行った時、急に「お父さん」という言葉をだしてくれて、それで私も感動したし、退院してきて、今は顔を見て「お父さん」とか「お母さん」と言って、話をしてくれるんですよ。
この事件でたまたま、一矢を今まで愛していないとは言わないけど、一矢が私のことを愛してくれてたかどうか半分わかってなかったかも。初めて、なんか、お父さんと言われた気がしたし、20何年やまゆり園に居ましたから、ホントに自分の中で一矢に対して詫びるというかな、そういう気持ちでしたね。一矢に対して申し訳なかったかなって。一矢がこんなに私のことを愛してくれていたのに、私はそこまで愛していなかったかもしれないと。一矢を見直したし、一矢のために生きている間は頑張ろうと。笑い顔も本当に可愛いんですよ。でも今でも急に、「怖い、怖い」って言うんです。
私が知る植松
私が知る植松ですが、彼がやまゆり園に来てから辞めるまで、私は会長でした。彼とは面識もありますし、話も2、3度しています。担当のホームが違うので、催し物などの時に会いました。「会長さん、一矢さん元気にやっていますよ」と言ってくれました。
事件のテレビを見た時、最初は彼ではないと思ったんです。全然違う写真でした。彼は大学の時からやまゆり園に入ってからも、顔を整形しています。私の印象は、最初の頃好青年、頑張っている子に見えましたし、今と違っていましたから、犯人とは思えなかったんです。職員になりたての写真が2日めのテレビにでて、それで彼だってわかったんです。職員が200名近くいますから、顔は知っていても名前は知りませんでした。報道を見る中で、「こいつ」ってなったんです。それから憎いといったような感情が出てきた。彼が犯人だと理解するのは、つらかったですね。
報道にでるべき私の責任感
NHKが先ず取材に来て、息子さんをテレビに出していいかって言うから、私は一矢が子どもの頃から恥ずかしいと思ったことはないので、いいですよと言いました。
一矢のためにも全部喋る。園や家族会が取材拒否していますから、誰かが喋らないとと思っています。
匿名と取材拒否
パニックってた私が病院に行くちょっと前に、家族会の会長や遺族の方もいらしてて、園長が津久井署に電話をしているんです。(後に判りました)匿名をお願いしたいと。遺族の方で、最初は2人だったんですが、匿名にしてくれということで警察の方に連絡しているんですよ。
警察はこれまで前例がないので、津久井署は一旦断ったんですね。それをまた、来ている家族みんなで協議して、あらためて再度もう一度園長と家族会の会長が津久井署に電話をして、懇願したんです。要するに、遺族の方がどうしても匿名にしたいということなので、お願いできませんかということで、もちろん津久井署も本署と電話で話したんでしょうが、わかりましたと、今回はいちおう特例ということで、それは認めましょうということになり、警察の方から各報道関係者に連絡をして、匿名になったというわけです。
匿名はわかるんですよ。それは亡くなった方ですからね。でも、怪我した人の家族は匿名とか言っているわけでもないし。ただかながわ共同会と津久井やまゆり園と家族会も、全部の家族に取材拒否してください、答えないでくださいという通達をだしたんです。ですから、家族も一切話をしなくなってしまった。だけど、こうして私一人が、私には話すなとは言わないんですよ。私は言われたって、冗談じゃないよというタイプなんで、ずっと取材を受けてきました。
家族会が取材に応じないということを大変残念に思っています。事件の後、家族会の中がバラバラになっていることも残念です。
遺族の2名が匿名でと。それで園長が警察に電話して。匿名が多かった。同意書にサインすることで、共同会の通達となったわけです。
匿名の理由は、昔から知的障害者は差別されてきた、自分の子どもを殺してしまった、家族ごとどこかに追いやられた、そんな偏見が今だにとれない。家族はそんな子どもを隠しているんです。
私の知っている人なんですが、一日だけテレビに出て顔を出したのですが、故郷の田舎の方から電話がかかってきたそうですよ。それまで知らせてなかったようなんです。なぜ、皆さんなぜ?って思います?意地の悪い言い方をすると、自分本位なんですよ。自分がかわいいんです。自分の子どもより、自分がかわいいんですよ。だからこの子が障害ってわかったら、親戚、近所みんなから言われて、恥ずかしい思いをすると。いやだ、だから隠そうとする。それが匿名になった背景です。私はそういうの、嫌いなんです。
再婚しましたから一矢は私の子ではないし、一矢が4歳の時に知り合って、私はこの子がかわいいと思って、この子がなんとかなればいいなと頑張ってきました。だから全然恥ずかしいと思ったこともないし、怖いと思ったこともないし、だからなぜ障害を持った子が自分の家族、身内なのに隠すなのかがって、私にもわかりません、はっきり言って。だから、それは自分がかわいいから、自分を守ろうということです。
私が知っている範囲でも、夫婦でも津久井やまゆり園に一度も来ない人がいるんですよ。お父さんが、お父さんなのに、全部お母さんにやらせていて、勝手にしろと。そういうお父さんもいるんです。で、お墓もそうなんですよ。
お墓には本人、お父さんやお母さん、親戚の人もいます。親の後を受け継いだ長男でなく、そうでなければ障害をもった家族の人たちは、障害をもった人が亡くなった時に、お墓に入れてくれないんです。これ、ホントです。私、これ実際に経験したんです。
会長をやっている時に、要するに、遺骨を持ってどこへ行ったらよいでしょう?って。夜よなかに電話がかかってきたんです。遺骨を持って家に帰ったら、主人が、なんだっそんなものを持って来てって、それをどこかに置いてこなきゃ、家に入れない、もう一緒に帰って来るなって。会長さん、どうしたらよいでしょう?これが現実なんですよ、知的障害者の家族の方の。自分の子どもがかわいいんですけど、それを夫婦でもわかちあえないとか、親戚でもわかちあえないとか、だからしょうがなく隠すという人もいるし、表に出すのが嫌だという人もいるんです。その現状が、事件で匿名となるのです。
取材拒否は、共同会や園が施設をあまり世間に知らせたくないというのもあるんだと。悪いイメージをだしたくない、でも私は逆だと思っているんですよ。私自身は話すことによって、話したりテレビに出ることによって、全国の人が見たり聞いたりして、津久井やまゆり園の人たちに逆に励ましをしてくれたり、支援をしてくれたりする人がいるから、私は理事長に何度も言いました。ぜひ、報道に対してきちんと話をして下さい、会って下さいと、園長と何度もケンカしました、私は。でも園長は、やっぱり言えないんです。なぜか?県の方から逆に止められているんですよ。県も要するに報道には喋るなと、県の方から言われているんです。園長がそうだから、職員ももちろんそうですよ。もし喋ったら、職員はこれっになっちゃうんじゃないですか。だから私に、尾野さんが喋ってくれてありがたいと思うし、私のことをみんなが応援してくれるっていうのはそういうことですよね。他の家族もそうです。理事長とケンカもしましたが、今は電話でも話しています。県庁でかながわ共同会として記者会見しました。それも私がさんざん言ったんですよ。それでやっと日にちも決めて、本来は1月最初にやる予定だったんですよ。しかし理事長は詰め腹をきらされた、やめなさいと。それで理事長が辞任表明をしたということで、テレビ報道がされているわけです。私はその日の夜に話をしてるんですよ。それで、記者会見のことで詰め腹をきらされて、今それの尻拭いを自分はしなくちゃいけないと。県はそんな感じです。
アメリカと米大使館は
ところで、ニューヨークタイムズの記者も取材に来てくれて、それが記事になりました。写真入りで載ったんです。それをアメリカの元上院議員のトム・ハーキンさんが直接ケネディ大使に電話をかけて、私と会いたいからとセッティングしてくれました。ケネディ大使が承諾して、でも私一人で会うわけにはいかないから、障害者の人を大勢集めて、障害者と集うレセプションにお招きを受けたということです。
塩崎大臣も、他の議員もおりました。ケネディ大使とトム・ハーキンさん、そして通訳の方との4人の写真が家にあります。
津久井やまゆり園とは
津久井やまゆり園は県立で、指定管理団体です。全国で第一号として指定管理団体になりました。社会福祉法人かながわ共同会が指定されたのです。
第3日曜日が面会日。県、家族会の定例会で、役員会、家族会をやって全体会と、園からの報告となります。
やまゆり園の様子を話します。昨年(2016年)3月まで私は17年間家族会の会長をしていました。会長の私は園の鍵を持っていて、自由に出入りできました。他の家族は月1回の定例会に来るだけです。家族会の3割位は殆ど定例会にも来ません。
私は全部の居室と管理棟に入れる鍵を持っていましたから、抜き打ちで居室に行くんです。当時の県立職員は本当に怠慢が多かったです。ホームの中でたばこを吸っているのは当たり前、横になってテレビを見ている、利用者さんがいてなんかやっているのに、利用者さんを見てないで、自分でソファに寝っ転がってたばこを吸ってテレビを見ているんですよ。そういうところへ私が行くんですよ。もうあわててみんな飛び起きますからね。園長は注意をしますと言うんですが、聞きっこないですよ。
津久井やまゆり園は1964年の2月にできました。その時は100名の施設でした。誘致する時に、地域の皆さん方から年齢制限なく県立の職員として50何人か雇う、試験も何も無し、福祉のふの字も知らない人たちが職員になったんです。その中にだらしない人もいたのは事実です。それが何年も辞めないで指定管理になるまでいたんです。とても情けなかったです。当時会長でしたが、家族会として県から共同会に指定管理するよう、県に要望しました。県の職員は順次辞めて、共同会独自で職員採用をしました。
植松被告と事件と精神障害者
ここでちょっと植松の話に戻って、それで事件と精神福祉のことを考えてみたい、話が行ったり来たりしますが。
事件が精神福祉に与えるということで、やっぱり事件は植松が常軌を逸した人間であるということですよね。ですから、それが精神障害であるということで相模原市で北里大学病院に入院させられました。
首になる前に、本人が辞めますと言って辞めちゃいました。彼の採用にあたってホーム長も関わって、審査して、最初は一生懸命やってくれたと。彼が園に入ったばかりの頃の、本人の文章をちょっと紹介します。
「初めまして。この度のぞみホームで勤務になりました植松聖です。心温かい職員の皆様と笑顔で働くことが出来る毎日に感動しております。仕事では、毎日が分からない事だらけです。
右も左も分かりません。経験豊富な先輩方の動きを盗み、仕事を覚えていきたいと考えています。今は頼りない新人です。
しかし、一年後には仕事を任す事の出来る職員を目指して日々頑張っていきます。これからも宜しくお願い致します。」(家族会の会報2013年5月発行)
一年半から二年前ぐらいに、彼が入れ墨を入れていることがわかってしまったんですよ。大学時代に入れ墨を入れていたようです。それがわかってから、園としては辞めさせるかどうかを検討したそうです。しかしその頃はすごくまじめだったんですね。一生懸命やってくれたから、まあ入浴介助の時にはウェットスーツを着てやるようにしたわけです。
辞める前の昨年あたりからおかしくなってきて、変な言動を始めたと。利用者さんを罵倒するとか、それで職員はおかしいな?上司も彼に説教しました。最初は「はい、気をつけます」と。しかし直らないということで、昨年の2月になって、自分から辞めたというわけです。その頃、衆議院議長に「手紙」を出してる。
津久井警察署は、議長に出した「手紙」は津久井やまゆり園に出した「手紙」ではないから脅迫文とは言えないと。だから共同会に対してはその原本は見せない。今でも警察署にあるままです。衆議院議長宛に出したから脅迫文とは言えないというのは、皆さんもおかしいと思うでしょ。あの文面は誰が見ても脅迫文です。400人、やまゆり園と厚木精華園、殺せると書いてあるわけです。事件後は精神耗弱で無罪になって5億円もらって、悠々自適に暮らすって。ふざけるんじゃねえっていう文面を書いている。あの最初の文面を読んで、脅迫文でないという方はいらっしゃらないと思います。ですから、神奈川県の検証委員会の見解が間違っていると、私は思います。私は委員会の委員長に直談判しました。そうしたら、委員長も「申し訳ありません。私もそう思います。委員会でそれを何度も言いました」と、「だけど、最終的に負けたんです」と。検証委員会の報告書は県のいいなりなんですよ。
要するに、共同会を悪者にして納めてしまおうということなんです。警察署も相模原市も、責任があるよとなってしまうと、大きな問題になってしまう。相模原市も、神奈川県も、厚労省も、結局そう納めたいんです。
精神障害者の人たちの大変さ、私自身も考えるようになった。私がもう少し精神障害者のことを理解しなけりゃいけないなと思います。
精神障害者の皆さんの前で話ができて、私も大変うれしく思います。これからもよろしくお願いします。ありがとうございました。
※原稿の著作権は、尾野剛志・チキ子(著作)、YSP「横浜ピアスタッフ協会」/栗原那宙(編集著作)にあります。この原稿の扱いは両者から承諾を得ています。なお、今回は堀利和が原稿を起こしましたので、文責は堀にあります。
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相模原市障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件の
2月24日の起訴を受けて
共同連代表 堀 利和
「津久井やまゆり園」の残忍極まりない殺傷事件の本質を理解するためにも、本事件の経緯を簡単に検証しつつ、その意味するところを私たちの問題にひきつけて考えてみたい。
事件を引き起こした植松被告、衆議院議長公邸に「手紙」を持って行った植松被告はそもそも、刑法第233条の偽計業務妨害罪の適用を受けるべき者であった。最初は安倍首相宛に自民党本部に「手紙」を持って行ったのだが断られ、衆議院議長公邸にやむなく持って行った。「手紙」は地元の麹町警察署に渡され、次いで神奈川県警に送られたのだが、その際、刑事課ではなく生活安全課に回された。そのため偽計業務妨害罪としては扱われず、相模原市精神保健福祉課の担当となり、いいかげんな診断によって措置入院となる。
事件2日後に、安倍首相は関係閣僚会議を開いて、「措置入院のあり方を検討」するように指示をだした。その後、厚労省内に「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」が設置された。これは、措置入院経歴者に対する予断と偏見に基づくものに他ならない。「検討チーム」の設置そのものが問われなければならないだろう。
年が明けて植松容疑者は2月24日に起訴された。つまり、横浜地検は、刑法第39条(心神喪失及び心神耗弱) 「1心神喪失者の行為は、罰しない。2心神耗弱者の行為は、その刑を軽減する。」の適用外として、人格障害であっても善悪の判断ができる状態だったとの精神鑑定に基づいて刑事責任能力に問題がないとして、殺人罪などで起訴したのである。事件は「心神喪失」「心身耗弱」ではなく、善悪の判断ができて刑事責任能力があるとしたのである。
そこで問題になるのが、事件の動機である。起訴状を読まないと正確なところはなんとも言えないが、これまでの「手紙」、措置入院時の記録、供述等の報道からは、少なくとも、「コミュニケーションができない」重度の知的障害者は生きている価値がない、不幸しか生まない、経済にとってもいない方がよいという優生思想、歪んだ正義感と使命感、こうした一連の思想的確信に根ざしている。植松被告は思想的確信犯である。植松被告の優生思想と障害者観、人間観と社会観、そして歪んだ正義感と使命感、まさにそれらが彼の手に包丁を握らせたのである。「津久井やまゆり園」の重度の知的障害者に的を絞ったのである。もし人格障害・異常な自己愛のパーソナル障害であるとするなら、「津久井やまゆり園」の重度の知的障害者だけではなく、無差別なそして不特定の者を対象にしたはずである。その意味では、「津久井やまゆり園」という収容型大規模施設が被告人植松を生み出したともいえるのであろう。したがって、地域で共に生き・自立生活につながらない「津久井やまゆり園」の収容型大規模施設の元通りの再建は、社会に対して誤ったメッセージであると言える。
以上のことから、にもかかわらず、安倍首相は関係閣僚会議を開き、厚労省内に「検討チーム」を設置させた。その誤りは、2月24日の横浜地検の「起訴」が物語っている。
次に問題なのは、横浜地検が被害者の匿名を裁判所に求めている理由である。それは、暴力団や性暴力の被害者の二次被害に配慮した場合にとられる措置、その二次被害を「根拠」として、今回の場合もそれを適用しようとするものである。二次被害とは、そして加害者とは?
だれから、だれが被害を受けるというのか?亡くなられた方が、誰から被害を受けるのか?
誤解を恐れず私の推察を一般論にして言えば、家族の中に重度の知的障害者
がいたこと、それが改めて近所の人に知られてしまうこと、あるいは、亡くなられた方の兄弟姉妹が結婚していて、それによって相手家族の親戚にそれがわかってしまうこと、そんなケースである。お姉さんの結婚披露宴の席に、車イスの脳性マヒの妹を出させまいとした母親。そこには相手の親戚、お姉さんの会社の偉い人が列席。 家族の中に「コミュニケーションができない」重度の知的障害者がいることを知られたくない、隠しておきたい、居ては困る、あってはないない、こうしたマイナスの人間観。
あれっ?この障害者観、人間観、価値観、どこか被告人植松と同じような・・・・・・。
加害者と被害者がどこかで交錯してしまう。なぜならそれは、被告人植松を生み出したのが、私たち、世間、現代社会であるからであろう。
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