津田・国民思想論・2「民族」という始まり・2 「民族」概念の成立

著者: 子安宣邦 こやすのぶくに : 大阪大学名誉教授
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■津田・国民思想論・2「民族」という始まり・2 「民族」概念の成立

民族(ピープル)とは、あらかじめ国家機構のなかに存在し、この国家を他の諸国家との対立関係において「自分のもの」として認知するような、そのような想像の共同体である。

エティエンヌ・バリバール「国民形態の創出」[1]

2「民族」概念の成立

1)「民族」という語・1

「民族」という概念の成立とともに、この「民族」を「始まり」としたもう一つの「日本」の文化史・芸術史・文学史などが成立することをいった。そのことはわれわれにおける「民族」概念の成立以前には、この「日本」についてのもう一つの別の語りがあったことを意味する。私はすでにサンソムの「混合型」というべき文明史をもう一つの語りとして見た。ここでは竹越与三郎の『二千五百年史』から興味ある一節を引いておきたい。

「而して日本国民は其の初に於て支那文明の代表たる象形文字を以て、国民的言語とせずしてフヰニシヤ人が貿易によりて世界の民に交通せるより、各国の言語を写さんとして発明せる声音文字の文明に傾きて、自然に「いろは」四十七文字を生じて、国民的言語を成すに至りしを見れば、また以て太古日本の沿岸に於ける人種競争の結果は、支那人種の勝利とならずして、南島を経由したる人種の勝利となりし遺証と云ふべき乎。」[2]

このような日本の文明史的な始まりの記述は、やがて「民族」概念の成立とともに始まる「日本」という民族的同一性の記述によって覆い隠されてしまう。事実、竹越の『二千五百年史』は大東亜戦争勃発の前夜、昭和15年に発売禁止の処置を受けることになる。ところで竹越が『二千五百年史』を書いていった明治の20年代には「民族」という概念は成立していない。少なくとも当時の日本の論説家の言説上にそれは使用されるものとしてはなかった。この語が一般的な言説上に使用される時期は、普通に考えられているよりはるかに遅い。辞書的に「民族」という語彙の成立を探ってみると、この語彙の国語辞典上への登場は明治末年という時期だとみなされるのだ。近代漢語語彙の明治における成立を辞典類によって検証することは、大図書館や充実した研究施設から全く離れてしまっている私などにはほとんど不可能に近い作業である。私のした検証[3]は限定された資料、辞典類による推定であり、その推定の正しさを強く主張できるものではない。だが明治末年のさまざまな言説資料を通して見れば、私の推定に大きな間違いはないと思っている。

明治期の代表的国語辞典というよりは国策的に編集された国語辞典『言海』(1889−91年刊)によって見てみよう。私が見るのは明治37年(1901)改訂版『言海』である。そこには「民族」の語彙はない。ただ「人種」の語彙はあり、そこでは「人の種類、人の骨格、膚色、言語などの、粗(ほぼ)、一類なるを一大部として、世界の人民を若干に類別する称。亜細亜人種、欧羅巴人種」と説明されている。もちろん「人民」の語はあり、それには「タミ、クニタミ」という訓みによる説明がなされている。

明治の国語辞典『言海』はその後、長期にわたる増補訂正作業を経て昭和期に『大言海』(1932−37年刊)として再刊される。そこには「民族」の語は次のような説明とともにあり、「民族」ははっきりとした近代的な概念として成立したことを示している。

「みんぞく「民族」=人民の種族。国を成せる人民の言語、精神感情、歴史の関係などの、共通に基づく団結。異人種、合して成るもあり、一人種中に分立するもあり。」

ただこの「民族」という語に加えられた説明は、近代的「ネイション」概念の正確な翻訳的説明というべきもので、このような概念として「民族」は明治末年の日本に成立してきたわけではない。むしろ「民族」という語彙の成り立ちを説明する「人民の種族」という語が日本における「民族」概念の特質を告げているように思われる、

明治における「民族」概念の成立を追いかけていた時期に『日本品詞辞典』を古書展で見つけた。それは品詞毎に日本語語彙を五十音順にその訓みにしたがって配列し、その漢字と意義あるいは同義語を記した袖珍版の辞典である。著者は佐村八郎で明治42年(1908)に六合館から刊行されたものである。それを見ると「民族」の語彙は「民心」「民人」「民籍」「民選」「民俗」などとともにはっきりと採録されている。そして「民族」の同義語として「民種」が挙げられている。このことは「民族」が採録さるべき日本語名詞としてすでにその時期にあったことを意味するだろう。それとともに「民種」が同義語として挙げられていることは、「民族」は「民種」とともに「人民の種族」から生まれたものであることを教えている。『大言海』が「民族」をまず「人民の種族」と敷衍するのは、むしろその語の成立の由来をいうものであった。恐らく「ネイション」の訳語としてまず「人民の種族」があったのではないか。これからより適切な翻訳漢語として「民族」「民種」が生まれたのではないか。だがこの人種的色彩の濃い「民族」概念は明治末年にいたるまで「国民」概念を斥けるほどの力をもつことはなかった。高山樗牛の明治31年(1898)の論説「日本主義を賛す」を見ると「民族」の語をすでに用いながらも、正しく「ネイション」を「国民」の語をもっていっている。

「宗教は今日多数の宗教徒が盲信する如く、啻に決して人類の先天性たるを必とするものに非ざるのみならず、夫の宗教的民族と称する者も、智識の進捗と共に漸く其迷信を擺脱し、超自然的信仰に代ふるに、実践道徳の原理を以てせむとするは、今日世界文化の大勢なり。況してや、我国民は由来宗教的民族に非ざるなり。三千年の文物歴史は、明かに之を証して殆ど余蘊なし。夫の外教を拉致して偏に之を強ゆるものの如きは、徒に性に戻り、情に違ひ、その結果たまたま国家の発達進歩を沮害するに終らむのみ。吾等は各国国民は其性質に随うて、亦其発達の制約を殊にすべきものあるを確信す。」[4]

2)「民族」という語・2

「ネイション」の訳語として「民族」が人種的な概念として明治日本に成立してくることについて、「人民の種族」からの「民種」とともに成立するという翻訳語の由来によって私はいってきた。だがマルクス主義系政治学者の鈴木安蔵はドイツの政治学・国家学の翻訳的導入による成立をいっている[5]

近代日本における政治的、社会的用語の殆どは先進ヨーロッパからの翻訳的転移として成立するのであり、固有漢語とみなされている多くの用語が翻訳語として再構成された近代漢語であることに気づかされるのである。「民族」という漢語もそうである。日本における「民族」概念の成立に深く関わったものとして鈴木はドイツの政治学者ブルンチュリー(Johan Kaspar Blunschli)の『国家論』の翻訳(1889年)と東京大学で講じた同じドイツの政治学者ラートゲン(Karl Rathgen)の『政治学』(上巻「国家論」)の翻訳(1891年)とを挙げている。ブルンチュリーの『国家論』第二巻「国民及国土」で「族民Nation」と「国民Volk」とを定義している箇所はこう訳されている。

「族民トハ種族ヲ相同クスル一定ノ民衆ヲ謂ヒ、国民トハ同国土内ニ居住スル一定ノ民衆ヲ謂フ。故ニ一族民ニシテ数多ノ国家ニ分裂シ、国家ニシテ数種ノ族民ヲ併有スベシト雖モ国民ハ則チ然ラズ。」

またラートゲンの『政治学』の第三章「社会的要素」で「族民」と「国民」とを論じた箇所はこう訳されている。

「族民ト国民トハ其ノ名義相似テ而シテ其ノ意義同ジカラズ。族民トハ種族ヲ同フスル一定ノ民衆ヲ云ヒ、国民トハ同国内ニ住居スル一定ノ民衆ヲ云フ、族民ハ人種学上ノ意義ニシテ法人ノ資格ヲ有セズ、国民ハ法律上ノ意義ニシテ法人ノ資格ヲ有ス。」

いずれも「ネイション」を「種族を同じくする一定の民衆」をいうとし、それに「族民」の訳語を与えている。われわれはここで「ネイション」が「人種」概念との結びつきを強くもった種族概念として定義され、それが「族民」の語をもって訳出されたことに注意すべきだろう。すでにラートゲンは「族民」を「人種学上の意義」をもって規定しているのである。とすれば「人民の種族」を「民族」とする明治日本における種族的「民族」概念は、ドイツ系政治学における「民族(ネイション)」概念の系譜を引くものだといえるだろう。

ホブズボームは1870年〜1918年のヨーロッパにおけるナショナリズムの変容を記して、「エスニシティーと言語がネイションでありうることの中心的意義を持つように」[6]なったことをいっている。19世紀後期ヨーロッパを席巻するこのエスニックな「ネイション」概念は、ナショナリズムとともに明治日本に転移されるのである。ブルンチュリーとラートゲンの故国ドイツは、1871年にプロイセンを盟主としてドイツ帝国として統一される。20世紀の帝国日本は帝国ドイツと「民族」概念を共有するとともに、国家の運命をも共にしていったといえるだろう。

3)「帝国主義」時代と「民族」概念

ホブズボームがエスニックな「ネイション」概念の席巻するヨーロッパを言ったその時代、19世紀末から20世紀の第一次大戦後にかけての時代、明治日本が世界的な戦争をなしうる国家になっていったその時代の変化を山路愛山もまたいっている。愛山は「余が所謂帝国主義」(明治36、1903年)で人種主義的ナショナリズムが横溢する時代への世界の変化をいっている。

「昔は羅馬教会は其信仰を以てラテン人種とチュートン人種とを結合したりき。今や然らず、各の人種は自己の同族を団結し、其力に依りて世界に於ける自己の生存を主張するは恰も神聖なる義務なりと感ずるものの如く然り。今の国家は固より種族の別名に非ず。一の国家にして多くの種族を統御するものあり、一の種族にして多くの国家に分るるものありと雖も、大勢の趨く所は一種族を以て直ちに一国家を為さんとするに在り。・・・余輩は激烈なる人種的競争は実に今後に於て生ずべき一偉観なるべしと信ず。」[7]

日露の開戦を前にして非戦論を唱える内村鑑三に向けて「余は如何にして帝国主義者たるか」をいう山路愛山は、世界の各国は人種主義的に国民の団結を強めて相互に争う帝国主義時代に入りつつあることをいう。愛山は帝国主義を避けることなく国民的団結の手段にすべきことをいうのである。日本の最初の帝国主義的戦争である日露戦争を前にして展開される〈国民的結集の手段としての帝国主義〉の言説は、この時期こそ人種主義的「民族」概念の成立の時期でもあったことを教えている。

異質を排除しながら、人種的であるとともに、文化的、言語的な同一性をもった集合体としての「民族」が、帝国主義時代の「国民」の再結集を可能にする概念として要請されたのである。それは近代日本の国家的創成時から存在した概念ではない。日本が帝国主義的段階に入る20世紀に、分裂を深めていく国民の国家的再統合をもたらすものとして要請され、構成された概念である。

エティエンヌ・バリバールが「国民国家によって創出された共同体を虚構的エスニシティ(ethnicite fictive)とよぶことにする」といっている。彼がここで「虚構的エスニシティ」といっているのが、20世紀の日本で構成される種族的「民族」概念である。「いかなる国民(ネイション)も生まれながらにそのエスニック的基礎を備えているのではない。そうではなく、諸社会構成体が国民化(ナショナライズ)するに応じて、諸社会構成体に包摂されている住民ーー諸社会構成体のあいだに分けられ、かつそれらによって支配される住民ーーが「エスニック化」するのである。言い換えれば、諸社会構成体の国民化に応じて、そこに包摂されている住民は過去においても将来においても、あたかも彼らが自然的共同体を形成し、個人的および社会的条件を超越するような、起源・文化・利害の同一性を自然に備えているかのように再表現されるのである。」[8]ここには20世紀日本における「民族」概念の成立をめぐるすべてのことがいわれている。

最初の世界戦というべき日露戦争を通じて20世紀の帝国主義時代アジアの大国の位置を占めていく日本が必要としたのは、国民の再統合を可能にする理念、日本人という同一性を保証する理念である。「日本民族」という「虚構的エスニシティ」はこのように呼び出され、このように「日本・日本人」の〈始まり〉の語りを構成していく。明治末年に呼び出され、大正に言説化された「日本民族」概念は、昭和の全体主義国家のイデオロギー的中枢の位置を占めていくのである。

津田が『我が国民思想の研究 貴族文学の時代』の冒頭でいった「東海の波の上に我々の民族が住んでいる」という言葉は、津田のこの著述が大正における「民族」概念の歴史的言説化の最初で、しかも最大の事例であることを教えているようだ。たしかに津田は大正という時代の始まりから、国民的再統合の要請を深く聞き取っていたであろう。大正5年から10年にいたるわずか五年の間に『我が国民思想の研究』四巻を刊行させていった津田を動かしたものは何であったのか。〈国民的危機〉が津田の根底に感じ取られてあったのではないか。津田の国民主義(ナショナリズム)とは何か。

津田の「民族」を始まりとする言説は帝国主義時代の言説として、排他的な民族主義的な特質を津田の歴史的な言説はもっている。だが津田の「民族」をいう言説は昭和の全体主義を構成するものとはならなかった。むしろ昭和の全体主義によって禁圧される言説であった。それは津田の言説構成の何に由来することであるのか。

津田の「民族」をもって始まる『我が国民思想の研究』についての私の検証は、これらの問いから始まる。

[1] バリバール/ウォーラーステイン『人種 国民 階級ー揺らぐアイデンティティ』若森章孝他訳、大村書店、1995。

[2] 竹越与三郎『二千五百年史』明治9年(1896)。私が見ているのは明治41年(1908)の訂正18版(開拓社)である。昭和15年に発売禁止にされた。

[3] 私のした検証については私の論文「「日本民族」概念のアルケオロジー ー「民族」・「日本民族」概念の成立」を参照されたい。子安『日本ナショナリズムの成立』(白澤社、2007)所収。ここで記すこともこの論文の要約である。

[4] 高山樗牛「日本主義を賛す」『明治思想集Ⅱ』松本三之介編、近代日本思想大系31、筑摩書房。

[5] 鈴木安蔵「明治前期における民族主義的思潮及び民族論」『日本民族論』(民族科学大系)帝国書院、1943.

[6] E.J.ホブズボーム『ナショナリズムの現在』浜林正夫訳、大月書店、2001.

[7] 山路愛山「余が所謂帝国主義」『愛山文集』民友社、1917.

[8] エティエンヌ・バリバール「国民形態の創出ー歴史とイデオロギー」前掲『人種 国民階級』所収。

初出:「子安宣邦のブログ・思想史の仕事場からのメッセージ」2016.10.18より許可を得て転載

http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/archives/66655315.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔study779:161019〕