台湾総統選(2016年1月16日)まで約2週間。民主進歩党(民進党)の政権復帰と国民党の惨敗が確実な情勢だ。台湾民衆から「ノー」を突きつけられてきた馬英九政権への評価はまだ早い。だが、馬政権が両岸関係を改善し平和的な関係を構築した貢献は否定すべきではない。さらに同政権の誕生は、戦後の台湾政治、経済、社会意識全体を規定し続けてきた四つの「二項対立」を無効化したという意味でも評価すべきだと考える。
二項対立
この対立軸を対中政策と内政の文脈で単純化すると次のような図式が成立する。(1)国民党と中国「①統一②独裁③外省人④反日」(2)民進党と台湾本土派「①独立②民主③本省人④親日」。筆者は、馬政権が誕生した2008年にこれを「08年効果」と呼んだ。その内容を簡単に説明しよう。まず「統一か独立か」。台湾民意の大多数が「現状維持」という第3の選択肢を選び、国民党、民進党、中国共産党ともこれに反対しないから、統独対立の意味は薄れた。
第2.総統選が住民の直接投票で行われるのは今回で6回目。政治システムの民主化は完成したため、もはや「独裁」は存在しない。第3.08年総統選挙で民衆は「外省人」の馬を選んだ。戦後第4世代の時代に入り、省籍を越えた融合が進み選挙で「省籍矛盾」を強調すれば逆効果になる時代である。
問題は4番目の「親日」「反日」である。「親日」「反日」の定義を単純化すると、日本の植民地支配を肯定的にとらえるか、否定的かという意味である。李登輝元総統は9月に来日し、第二次大戦で「『日本人』として、祖国のために戦った」と雑誌で強調した。「日台運命共同体」を実体化するため古ぼけた「親日カード」をまた切ったのだ。衆院議員・秘書の300人が彼の講演会に集まった。「日本会議」など「親日台湾」を植民地支配の正当化に利用しようとする勢力は消えていない。むしろ台湾の政権交代をにらんで台湾カードを使って中国に対抗しようとする動きは活発になるかもしれない。その意味で「親日」「反日」対立軸はなくなっていない。
「台湾論」の波紋
少し古いが、2000年に出版された小林よしのり氏の「台湾論」を俎上に乗せる。これは第1次民進党政権が発足した年に台湾で問題化した。「親日」のはずの民進党政権の対応をみると、「親日」とそれに対応する「親台」がすれ違う「片思い」にすぎなかったこと、日本側に「甘え」と「おごり」を生んだことが分ると思う。次期政権の対日政策の参考にもなるだろう。
「台湾論」は2000年、台湾で中国語版が出版された。その内容をかいつまんで紹介する。小林は日本在住の評論家、金美齢の案内で、李登輝をはじめ「旧日本人エリート」たちを取材。日本の植民地統治と近代国家建設に伴うインフラ整備や、教育や道徳は戦後の台湾近代化に貢献したという言説を紹介。彼らから「日本は自信を取り戻せ」というメッセージを引き出した。政治問題になったのは従軍慰安婦の記述である。
陳水扁政権は01年3月2日「同氏の主張は国家と民族の尊厳を傷つけた」として、台湾訪問を予定していた小林の入境禁止を決定した。「人権重視」を建前にする陳水扁政権が、言論を理由に外国人の入境を禁止するのは異例。翻訳本を出版した台湾・前衛出版社は「禁止は中国共産党と同じ」と激しく反発した。
破れた「片思い」
問題の記述は財界人、許文龍・元総統府顧問が「従軍慰安婦は強制されたものではない」と述べた発言と、台湾先住民が「大東亜戦争の魅力に勝てず、こぞって日本軍に志願した」と述べた部分。国民党など当時の野党は、許の総統府顧問の解任のほか同書の発売禁止を要求。さらに金美齢が小林に対する入境禁止決定の撤回を訴えると、金の総統府顧問の解任要求へと発展した。
当時、陳政権は第4原発廃止決定をめぐり、国民党からの激しい攻撃を受け、2月にようやく国民党との妥協にこぎつけたところだった。入境禁止決定は 政局を再混乱させたくないという陳政権の思惑もあったかもしれない。
入境禁止決定を日本で聞いた小林は「台湾に対する“片思い”が破れた」と台湾紙「中国時報」に語った。小林が述べた「片思い」とは何か。「台湾論」は、李登輝をはじめ「元日本人エリート」(写真 司馬遼太郎の「台湾紀行」にも登場する「老台北」)たちの、戦前の「強い日本」への撞着を主張の拠り所にしている。この歴史観は李登輝世代などに根強く残るが、台湾の主流民意を代表しているわけではない。
小林からすれば国民党の非難は理解できるにせよ、李登輝の「後継政権」である陳水扁政権までが、植民地統治への「歴史認識」を理由に入境禁止するとは思ってもみなかったに違いない。小林が描いた台湾人の日本観は、過去の日本の幻影を極大化した「片思い」に過ぎない。しかし、それを台湾全体が「親日」と受け止め、それに対応する「親台」意識」へと転化するのもまた、もうひとつの「片思い」であることに気付いていなかった。この意識こそポスト・コロニアリズムの視点から批判されるべき意識ではないか。
当時、民進党主席だった謝長廷は筆者に対し「彼の主張は一部台湾人の言論を借り、日本はかくあるべしと主張する小林の日本論にすぎない」と見事に分析した。謝は京都大学に留学した日本通である。小林は、現実政治によって「親台意識」が打ち砕かれたのを目の当たりにして「片思い」が破れたと言った。「すれ違う片思い」だ。
共振する二つのナショナリズム
次いで「台湾論」が日台双方にどのようなメッセージを送ったのかを整理する。第1は、日本の植民地統治と近代国家建設に伴うインフラ整備や、教育や道徳の美化である。それは国民党の独裁支配とは比べものにならない「善政」だったのだから、「日本人は自信を持て」というメッセージを、李登輝らの口を通じて送るのである。
このメッセージは、戦後長期にわたって日本人が自制してきた「ナショナリズム」を大いに刺激した。その背景には(1)冷戦終結とともに日本でバブルが破裂、経済不振が続く中で自信喪失(2)中国の台頭が「中国脅威論」に発展(3)1996年の台湾海峡危機や98年の江沢民訪日は日本人に中国への反発を増幅―などを挙げねばならない。こうした背景から、中国の「軍事的脅威」にさらされている台湾への親近感が生まるのは、「判官贔屓」をよしとする日本的情緒からすると理解はできる。日本で芽生えた「ナショナリズム」は、巨大化する中国と「ならず者」北朝鮮を「敵視」することで成立する。
一方、台湾ではどうか。李登輝による台湾の民主化と台湾化は、民主的な政治システムを開花させ、言論の自由を拡大した。同時に「国民党=外来政権」という図式をつくることによって、中国大陸から台湾を切り離す「台湾独立」の「ナショナリズム」を駆り立てた。李登輝は1998年の台北市長選挙(馬英九が現職の陳水扁を破り当選)で「新台湾人」の新理念を打ち出し「族群矛盾」に反対した。しかし彼は、総統退任後は積極的にこの矛盾を利用し「中国の覇権と戦う戦士」のイメージ作りに成功した。このイメージは、嫌中感からナショナリズムを肥大化させる日本人の多くから歓迎され、日本でも02年「李登輝友の会」が発足した。こうしてみると、台湾における「親日」、日本における「親台」が、いずれも「反中国」の裏返しとして共振していることが分かる。
菅直人が国連加盟支持
では「台湾論」の送ったメッセージは、日台関係にどのような影響を及ぼしたか。結論から言えば「親日台湾」は、日中台の三角関係を大きく揺るがした。具体例を挙げる。まず2001年4月の李登輝来日の実現である。「心臓病の治療」を建前にした来日は、全国紙の社説が初めて支持で足並みをそろえた。総統を退任した1老人の訪日を阻止しようとした中国は、日本世論の中でまたもや「ヒーラー」のイメージを増幅した。中国の強圧姿勢がまた日本の世論の「判官贔屓」を刺激し「親日」メッセージがそれと共振した可能性は否定できない。
来日が実現した4月は、小泉内閣の誕生した月である。中国の靖国参拝非難キャンペーンをはねつけ、参拝強行のたびに支持を上げる「小泉現象」も、「嫌中意識」を契機に高まるナショナリズムと通底している。
「親日台湾」が日本の対中政策に影響を及ぼした例は他にもある。02年5月、野党民主党の菅直人元代表は、台湾の国連加盟支持を初めて打ち出した。「一つの中国」の壁にまず野党側が挑戦したのだが、民主党が「二つの中国」路線に走るのは穏やかではない。民進党政権誕生後、民主党の仙谷由人元官房長官や枝野幸男幹事長が02年11月、「民主党日本・台湾友好議員懇談会」の台湾訪問団(国会議員9人)を率いて、民進党が主催する日本の民主党とのシンポジウム(写真上 シンポジウムに参加した仙石氏=中央右)に参加。陳水扁総統と李登輝元総統と会見するなど、民主党と民進党の交流を深めていった下地がある。
日本政府も、世界保健機関(WHO)への台湾オブザーバー参加を支持する方針に転換した。その後も、前原誠二民主党元代表が「中国は現実的脅威」と、野党代表として初めて中国脅威論を展開した。また麻生太郎元外相も「中国脅威論」を外相として初提起し「台湾の教育水準が高いのは、植民地時代の日本の義務教育のおかげ」などと発言。これも「親日台湾」の成果だろう。麻生発言について、台湾・外交部スポークスマンは2002年2月6日「教育も植民政策の一環であり、目的は誰もが分かっている」と述べ、植民地統治の美化を暗に批判。さらに「日本と中国、韓国の間には歴史をめぐって意見対立が生じている。われわれは台湾と日本の間に同様の事態が生じないよう希望する」と語った。これが民進党政権の植民地統治に対する公式見解である。植民地統治を美化する議論に政権が組みすることはできないのは当然であろう。これをもって「反日」と言えるだろうか。
「甘え」と「おごり」助長
次に挙げるのは、「片思い」が生み出す「甘え」と「おごり」の意識構造である。「台湾論」に続いて2002年初め、台北の日系書店で売られた台湾の性風俗業や買売春を紹介した日本の「極楽台湾」(司書房)が、販売禁止となった。
問題視したのは民進党の台北市議だ。買春を公然と奨励するような書籍が堂々と売られているのは、「陳水扁元市長に比べ馬英九元市長が手ぬるいからだ」と批判したのである。これに対し馬は市議会で「いつでもどこでも買売春できる都市として描かれ、台北市の印象を著しく傷つけた」と批判。記者会見では本を手に取り「仮に同じ内容の『極楽東京』が発売されたら、東京都や都民はどうするだろうか」と怒りをあらわにし「買春に来る観光客は一網打尽にする」と取締り強化を宣言した。
この本は、日本人ライターが台北市の風俗スポットを、裸の台湾女性の写真入りで詳細に紹介し、買春価格も掲載した。日本では「珍しくもない本」かもしれないが、問題は台湾で堂々と販売されたことにある。出版社は「極楽上海」「極楽ソウル」など一連のシリーズを出しているが、まさか上海やソウルの書店には置くまい。外交問題に発展することは明らかだからだ。
台湾は「親日」だから、日本人旅行者向けに販売しても中国や韓国と違い、発禁され外交問題になることはないだろうという「甘え」と「おごり」から生まれたのだと思う。発禁は当然の処分であって、馬の「反日意識」のためではなかろう。この騒ぎの最中に、 台北市内の高級ホテルで、買春した日本の元警察官が一時拘束されたことを付け加える。
また、ちょうどこのころ訪台したタレントの篠原ともえが「深夜、台北の高級ホテルで酒を飲んで大暴れし、警察に連行された」と台湾メディアが大きく報じた。先に引用した謝長廷はその背景として「台湾論を契機に(台湾の中に)親日派への反発があったからではないか」と分析した。過剰な「片思い」は片思いしない側から反感と嫌悪感を呼ぶ。篠原は日本人であるがゆえに、台湾メディアの「いけにえ」にされたのかもしれない。
中国研究者にも「親日」浸透
最後に「甘え」がもたらす摩擦を、安易に「親日」の対極にある「反日」という言葉で表現する日本の論調にも触れよう。「極楽台湾」事件について中国研究者の水谷尚子氏(写真下 RADIO FREE ASIAから)は「胡錦濤より『色男』で『反日』の馬英九」(「諸君」2006年3月号)で、「買春した日本人は、出国時パスポートに『淫虫』(スケベ野郎)のスタンプを押すことも検討」という馬発言を取り上げ、馬の「反日的性格」の一例と指摘するのである。
水谷はさらに「反日」の例として、霧社事件のタイヤル族の指導者モーダルナオ記念碑を「先住民たちは抗日英雄だ」と位置付け参拝したことや、が馬英九総統「保釣」(尖閣諸島=釣魚島を中国領と主張する運動)の闘士だったことを挙げるのだが、傑作なのは結論部分である。彼女は「李登輝に代表される日本語世代のような、無条件に日本を愛してくれた親日派は、今後急速に消滅していく」とした上で、「(もし政権交代で馬英九が総統になれば)台湾が『親日』であった時代は終わった。その上で「馬英九の『嫌日』発言は突出しており、共産党と国民党は『反日』で団結することは可能」という懸念を表明するのである。
水谷は、李登輝らを「無条件で日本を愛してくれる」と形容するが、中国、台湾を研究する専門家とは思えない認識である。李登輝は「台湾人の心を持ち、日本人の思考方法と欧米の価値観を持つ。同時に中国的な社会、文化背景の中で生きている」。李は多くの台湾人同様、複合的なアイデンティティを持つ人物であると同時に、極めて現実的な政治家でもある。「無条件で外国」を愛する政治家がいるとすれば、その国際感覚と資質は疑われる。水谷の見立ては、李の「戦略的親日」に対するナイーブな認識と言わざるを得ない。
水谷の認識は「台湾政権が国民党に変われば、馬主席の反日的性格からして台湾の政策も反日になる」というものである。馬英九政権が果たして「反日」だったのかどうか、是非検証してほしいところだ。蒋介石・蒋経国時代の「中華国粋主義政権」も、「反日」だったわけではないことは歴史が証明している。いずれにせよ台湾政治の基軸は「対中関係=台湾の将来」にあるのであって、対日観は対中姿勢の副次的要素にすぎない。
日本メディアは、「反日」か「親日」の二元論で東アジアの国際関係を分析する方法を安易に使う。こうした短絡的な精神構造は、日本を代表する知識層までが敵対型ナショナリズムの呪縛から抜け出せないことを物語る。それを最初に刺激したのが「台湾論」という名の「日本論」であった。次期政権がどのような対日政策をとるのか、それに対応して安倍政権がどんな台湾政策を打ち出すか、注目に値する。
(了)
初出:「21世紀中国総研」より著者の許可を得て転載http://www.21ccs.jp/index.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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