海洋放出という悪夢

韓国通信NO727

 ついに汚染水の海洋放出が始まった。廃炉作業が一向に進まないうえに12年間に溜まった134万トン余りの汚染水入りの貯蔵タンクの光景に心を痛めてきた人は多い。だが放出すれば廃炉が進む保証はない。海にまで放射能汚染が広がるだけではないのか。

 政府、東電と漁業者たちとの約束は完全に無視された。繰り返された約束はそんなに軽いものだったのか。金をいくら積んでも約束を破ってよい理由にはならない。誠実さが微塵も感じられない安易な強行決着だ。
 問題は福島の海だけではない。日本の周辺、世界の海の汚染にわが国は責任を持てるのか。将来予想される「偶発債務※」は日本全土を売却しても間に合いそうにない。まさに売国的判断と言える。※将来の発生を見込んだ補填義務を債務として計上する会計上の処理
 NHKを始めとする大半のメディアは「海水で薄めたから安全」「汚染水ではなく処理水」と主張する政府の見解を繰り返すばかりで、放出を疑問視する国内世論と中国、韓国をはじめとする国際世論を非科学的な過剰反応と決めつける。
 放流された汚染水が将来にわたり魚介類、海藻等に与える影響を心配する専門家の知見も無視された。安全とはその場限りの放言に過ぎない。数十年後、岸田首相も私たちもこの世にいない。東京電力もあるかどうか。最終的に一体誰が責任をとるのか。世界的規模の未来に対する壮大な「つけまわし」を怖れる。

「今だけ、金だけ、自分だけ」
 新自由主義的風潮に対する警句の対象が、今や個人レベルを超えて世界に、特に大国に広がっている。ロシアとウクライナの戦争に端的に表れている自国の利益優先主義。
 今回の海洋放出もその例にもれず、自国の利益を優先させる身勝手で横着なふるまいと言える。「自分(自国)の利益をはかって何故悪い」と言われては返す言葉はないが、放流にせよ、正義の戦争にせよ、抑止力強化にせよ、その先には世界の破滅が待ち受けているのを無視した暴言と言える。
 汚染水はこれから数十年にわたり放出され続ける。事実が風化するおそれもあるが、「持続可能な社会」「地球環境を守る」を掲げる世界の運動のなかで、放流ストップの声は止むことはないだろう。地球村の声に逆行する政治は厳しく糾弾されるに違いない。

 組踊『肝髙(きむたか)の阿麻和利(あまわり)』
 

<写真/「あまわり浪漫の会」ホームページより。肝高の阿麻和利とは
– 現代版組踊 肝高の阿麻和利 公式サイト (amawari.com)>

 
 8月21日、妻と娘の三人で沖縄の中高生たちの舞台を鑑賞した。10年ほど前に沖縄のホールで、4年前に東京国立劇場で見たので今回で3回目だ。コロナで中断していた東京公演は溢れんばかりの熱気に包まれた。
 15世紀、勝連城(かつれんじょう)の城主だった悲劇の阿麻和利を英雄として蘇らせたミュージカル。若者たちのエネルギーに圧倒された。「今だけ、金だけ、自分だけ」とは無縁な若者たちのひたむきな姿から大人たちはどう生きるべきかが問われたように感じられた。公式サイトの閲覧をおすすめしたい。

<アジア版NATO同盟>
 キャンプデービッドで開かれた韓米日首脳会談で中ロ北朝鮮対日米韓の対立構造が決定的となった。専守防衛をかなぐり捨てた日本が実質的な軍事同盟に突き進んだと言われている。わが国が掲げてきた平和主義からは信じがたい状況が生まれつつある。
 南北朝鮮はかつてない挑発行為を繰り返している。米中対立が生んだ「台湾有事」は、わが国を巻き込んだ戦争を予感させる。戦争のためには敵国に対する憎悪が欠かせないと言わんばかりに、最近は悪人としてプーチン、金正恩、習近平がしばしば登場する。かつての「鬼畜米英」のスローガンが思い出される。太平洋戦争が始まるころの社会状況もこんな風だったのではなかったのか。

<ウクライナは正義か?>
 去る6月に地元で開かれた講演会でのこと。
 講師のウクライナ人でアメリカの大学教授がウクライナとロシアの歴史を語った後、世界の民主主義を守るためにはウクライナは絶対に負けられないと熱弁をふるった。ウクライナ支援の募金活動をしている国際交流協会主催の講演会である。内容は予想されたものだったが、会場にいた長崎の被爆二世という女性が立ち上がった。
 「どんな理由があっても戦争はしてはいけないというのが私の信念。戦争に勝つという立場ではなく、どうしたら戦争をやめることができるのか研究して欲しい」。会場からは期せずして大きな拍手が起きた。講師に対する拍手より大きく感じられたほど、多くの人たちの共感の拍手だった。
 単純に善と悪に分けて戦争を軽々しく考える風潮の中で彼女の発言に異論はなかった。戦争をさせない、やめせる努力が今ほど求められている時はない。平和こそ正義。偶発的に発射ボタンを押して全面戦争になる可能性さえある。抑止力で平和を維持する発想は危険この上ない。憎悪が戦争を生む。憎悪は何のために誰が作り出すのか。そのことを子どもたちにきちんと教えてあげられる大人でありたい。
 
初出 :「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion13203:230829〕