イスラエルは国家創設のときから暗殺と軍事侵略、民族浄化を許されてきた数少ない国家のひとつです。
今回のガザ虐殺侵攻もハマース幹部ジャバーリ氏の暗殺から始められました。
「アハマド・ジャバーリは、暗殺される数時間前、イスラエルとの永続的 な停戦協 定の草案を受け取っていた。協定案は、かなり注意深くつくられていた。」(2012年11月15日 ハアレツ)と、JSRメルマガ (12・11・16)は翻訳紹介しています。
ハマースが和平案を固めるとイスラエルが暗殺するという事例は、シャロン元首相時代のイスマイル・アブシャナブ氏暗殺(2003年)でも問題にな りまし た。
翌2004年3月には、65歳の車椅子の老人アハマド・ヤシン師を三発のミサイルで暗殺し、一か月後には後継のアブドゥル・ランティー スィ氏を暗殺し、シャロンは平然と連続暗殺を実行したのです。こうした度重なる暗殺を米欧中心の「国際社会」は、表向きの非難はしても事実上黙認し続けて 今日あります。(スピルバーグの映画『ミュンヘン』にも描かれています。)
またつい先ごろは、「イスラエル軍が1987年4月15日に、当時のPLOナンバーツーであったカリール・アッ=ワズィール(通称:アブー・ジ ハード)をチュニスの自宅にて暗殺したことに関与していた。」と報道されています。(東外大PRMEIS)
◆2012-11-02 イスラエルが初めて“アブー・ジハード氏”の暗殺への関与を認める (al-Hayat紙)
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/src/read.php?ID=28113
イスラエルの暗殺とテロリズムは、国家創設のかなり以前から常套手段であったと幾人もの研究者が指摘しています。イスラエルは、絶えず「敵」を創 出し続けることに国家の存在理由がありそうです。
ユダヤ教の内側深くからシオニスト国家イスラエルを研究し根本から批判している碩学ヤコブ・ラブキン氏が、イラン人司令官の誘拐と暗殺の疑惑に触れてイスラエルを分析している2011年1月の論考を紹介いたします。拙訳ですがイスラエル理解の一助にしていただければ幸いです。なお翻訳紹介には、著者の了解を得ています。(2012年11月18日記)
=====以下、ヤコヴ・ラブキン著「消えた司令官」=====
消えた司令官
The General Vanishes Yakov M. Rabkin
http://blizky-vychod.blogspot.com.es/2011/01/general-vanishes-by-yakov-m-rabkin.html
2011年1月10日
ヤコヴ・ラブキン著
数年前、イラン軍司令官で国防副大臣のアリ・レーザ・アスガリー氏が国外旅行中に姿を消した。彼は亡命したのか、あるいはイスラエルかアメリカに 拉致されたのか、うわさが飛び交った。2010年末に、再びその司令官がニュースに登場した。このときの報道によれば、彼はイスラエルにおいて死 体で発見された。
イスラエルの確認情報がないなかで、彼はトルコでイスラエル秘密諜報員に誘拐され、インサーリックの米空軍基地経由でイスラエルに運ばれ、三年間 尋問されついにイスラエルの某刑務所で死んだ(殺害されたか自殺したか)という強い疑念が残された。この説を支持もしくは否定するような情報源は 私には与えられていない。私は、イスラエルとシオニズムに長いあいだ関心を持ち続けてきた学者として、こうした出来事の可能性を評価できるだけで ある。イスラエルはこうした行為を犯すことが出来たか?過去の実績に合致するのか?イスラエル国家の土台に横たわるシオニズム・イデオロギーにふさわしいものなのか?
第一印象では、この話の情報源は信頼しうるようだ。この話は、アメリカ系ユダヤ人活動家リチャード・シルバースタンが運営する「世界を修復するユダヤ人」つまり「ティクン・オーラム(Tikun Olam)」と名付けられたブログから私にもたらされた。イラン・パペ、ノーム・チョムスキー、およびネトレイ・カルタのラビたちのようなユダヤ人は、 もっとも活発で高度に知的なイスラエル批判者たちであるが、これは偶然の一致ではない。宗教的であろうとなかろうと大部分のユダヤ人は、19世紀 後半にシオニズムが登場した時、これを拒絶した。シオニスト国家の創設、およびその軍事的、経済的な成功にもかかわらず、ユダヤ人の反対は今日まで絶えることはなかった。ユダヤ人による反シオニズムを題材とした最近の私の著書は、聖地における一世紀にも及ぶ紛争上の様々な見解を明確にする、この重要でしばしば不明瞭になった現象ついて解釈をほどこし説明を加えている。シオニズムを拒絶するユダヤ人たちの動機に注目すると、私はイスラエルを批判するユダヤ人たちを信頼したいと考えるようになった。彼らは、イスラエルが存在し実行していることは、ユダヤ人、ユダヤ人の歴史およびユダヤ人の宗教などとはまったく関係がないことを明らかにしたいという強い願望に支えられており、一方彼らの情報はほぼ確実性があり、私がこの説を疑う理由は何ひとつとしてない。
第二に、この疑わしいシナリオは既定のパターンに一致している。他の国々である人物を誘拐しイスラエルに連れて来るのは、イスラエル治安機関が長年にわたって展開してきた特性の一部である。シオニストの活動の歴史は、イスラエル国家創設以前でさえ多くの場合暴力的な冒険によって、国内法や 国際法を侮蔑的に無視する大胆不敵な経験を積んできている。「ユダヤ民族の生き残り」を保証すると偽っているイスラエル国家によるこの疑惑の培養は、いかなる手段を利用しても正当化するという白紙委任状に使われている。皮肉なことにユダヤ人が生きるためには、シオニズムは聖地をもっとも危 険な地域へと変えてしまった。
シオニスト機関に犯された最初の政治的殺人は、早くも1924年に実行された。シオニズムの著名な反対者ヤコブ・デ・ハーンが夕刻の祈りの後エル サレムのシナゴーグを立ち去ろうとしていたとき銃が放たれた。彼の殺害にかかわった実行犯は、英国警察に潜入していたシオニストたちだった。殺害の目的は、シオニストたちはパレスチナや各地のユダヤ人を代表するのではなくたんに彼ら自身を代表しているにすぎないことを英国占領当局に説得するためロンドンに向かうラビ代表団をデ・ハーンが組織するのを阻止することであった。デ・ハーンの暗殺の結果、この代表団はロンドンに向かうことはなかったし、シオニストたちはあたかも世界中のユダヤ人が彼らを支援していたかのように行動し続けた。殺人の共謀者の中には、後のイスラエル大 統領となるイツハク・ベン・ツヴィがいた。後にカイロにおける英国および国際組織高官たちの殺害を実行したこのシオニスト暗殺団には、少なくとも 後のイスラエル首相となるイツハク・シャミールが含まれている。
イスラエル国家が一貫して国際公法を受け入れず公然と無視するやり方には、心痛める逆説が含まれている。事実、イスラエルは国際機関つまり国連からその合法性を与えられている唯一の国家であろう。シオニスト運動に国際的地位の資格を付与したのは、1947年のパレスチナ分割の国連総会決議であった。パレスチナ人―すなわちユダヤ教徒、キリスト教徒、およびイスラム教徒―の大多数の意思に反して採決された国連決議は、植民地主義的思考方法の不均衡な 痕跡を刻み付け、それ以来、常時この地域を混乱に陥れ恒常的な暴力を引き起こす原因となった。後に国連はパレスチナ人難民の帰還を認めるようイスラエルに命じたの だが、イスラエルはパレスチナ人の何百という村々を跡形もなく破壊し続け、国際機関を鼻であしらい拒絶した。 1967年6月、イスラエルはエジプト、シリア、ヨルダンの征服した土地に入植地を建設することによって、ひどい目に遭わせた相手への侮辱にさらに拍車をかけた。イスラエルは国連で採択された何十回もの決議を、それ以来ずっと無視し続けてきた。
イスラエルは不屈な決意で、占領した土地の植民地化を実行し、敵対者と見なした者を世界のいたる所で暗殺し、とりわけ今回のケースのように他国の 人々を誘拐してきた。誘拐された人物は、アルゼンチンで誘拐されたナチ高官のアドルフ・アイヒマンからイタリアで拉致されたイスラエルの核技術者 モルデハイ・バヌヌまで、かなり幅広いジャンルの人々が含まれている。誘拐がイスラエル兵器庫の一部である以上、アスガリー司令官がこのやり方を 踏襲されたということは十分考えられることだ。
イスラエルの治安機関は米国のゆるぎない保護のもとで、刑罰を受けないという特権を享受している。実際、イスラエルの例外主義と米国のそれとは興 味深い類似点である。この二つの国は、いかなる法的帰結が導かれようとも利益追求の点では独善的な行動を積み重ねてきた。唯一均衡する力が彼らの敵の軍事力による確実な脅威であり、約半世紀にわたって米国の攻撃的衝動がソビエト連邦によって抑止されてきた所以である。
イスラエルはこの数十年、植民地的入植国家が追放や移送によって敵意を引き起こしていることを認めるより、むしろ「新たな反セム主義」を含む理不尽な理由をあげてパレスチナ人や他のアラブ人の敵意のせいにしてきた。こうして、「彼らが理解する唯一の言葉」で日常的な暴力行使を正当化してきた。
米国および他の西側諸国は、ソビエト連邦の国家分割後まもなくこのドクトリンを喜んで採用した。例えば、ツインタワー攻撃の実行犯の敵意は、米国の西アジア政策に対する拒絶というまったく合理的な理由ではなく、むしろ「われわれの生活様式に対する彼らの憎悪」のせいであったというように。 舞台は「文明の衝突」という発想であり、アフガニスタン、イラク、パキスタンでのあからさまな軍事力行使のために準備され、のみならずイランに対 する軍事力行使の脅迫を増大させることであった。これは、米国の策略がイスラエルの手口を模倣するようになったことを示している。誘拐は「特命送 還」と改名され、さらに幾つかのヨーロッパおよびアラブ諸国の積極的な協力を取り付けて実行されるようになった。イスラエルと米国がこうした試み に協力し合っていることはほとんど疑いの余地はない。したがって、アスガリー司令官の誘拐がイスラエルと米国の共同事業として実行されたということは十分に考えられることである。
他国の国防副大臣の誘拐を正当化するために、イスラエルはイランのイメージを危険で分別のない敵として描き出さなければならなかった。こうしてイ ランのマフムード・アフマディネジャド大統領は、地図上からイスラエルを抹殺すると脅す反セム主義者として描かれたわけである。
この二つの主張は、誤りであることが証明された。彼は、明白な反シオニストであるが、反ユダヤではない。それどころか、もし反セム主義者であった なら彼はその地域の核武装した超大国を非難するよりも、イランのユダヤ人に嫌がらせをしていただろう。そして彼は、シオニストの宣伝機関が主張するように地図上からイスラエルを抹殺するとは脅迫してはいなかった。より正確に言えば、イスラエルをソ連と比較して、「時のページから」シオニス ト国家としてのイスラエルの消失を目撃したいという願望を表明したのだった。ソビエト体制が核兵器の嵐の中でも消滅しなかったように、彼は、隣国 と和睦して生きる平等な市民による普通の国家にイスラエルが変わるために軍事力の行使など示唆していない。大勢の非、反、およびポスト・シオニス ト・ユダヤ人のように、彼は、イスラエルがユダヤ人のための国家からすべての市民による差別のない国家に発展することを望んでいるにすぎない。
イスラエルがこの道を発展させるのを目撃したいという彼の願望は、イスラエル市民に対する現実的な脅迫として偽って伝えられた。こうしてイラン大統領に浴びせられたこの感情的な反発を招きかねない主張は、イスラエルおよび米国では既定の事実となり、さらに行動の根拠となってしまった。
シオニズムは、ディアスポラのジュダイズム(離散の民のユダヤ思想=訳者注)およびその敬虔で謙譲な宗教に対する、ひとつの反乱であった。かなり多くのユダヤ人思想家たちが、この苦境について警告していた。シオニスト指導者による一方的な独立宣言の後まもなく1948年、そのうちの一人が次のよう に予言していた。
『そして、たとえユダヤ人が戦争に勝利したとしても、…「勝ち誇った」ユダヤ人たちは、ひたすら敵意を持つアラブ住民に包囲され、絶えず脅かされる国境の 内側に閉じ込められ、物理的な自己防衛に没頭して生きることになるだろう。…そしてこれらすべてが一民族の運命を決めるだろう―どれほど多くの移 民を常時 受け入れようと、その国境線をどれほど遠くに広げようと―敵意を抱く隣人たちが数では圧倒し依然ごくわずかな国民にとどまることになるだろう。』
この警告は、現地住民および周辺地域のすべての諸民族の意思に反して国家を創設することの危険性を理解していたドイツ系アメリカ人知識人のハンナ・アーレントによるものである。同様に世俗的および宗教的思想家たちは、シオニズムがユダヤ人を恒常的な暴力に巻き込んで滅亡の危機にさらすだろうと恐れていた。実際、「敵意をもつ隣人たち」に自分を押し付けるため、イスラエルは地域で最強の軍隊を我が物にした。しかし、聖書の預言者サムエルの言葉「人が打ち克つのは武力によるのではない」(サムエル記Ⅰ2:9)を確証するかのように、その市民たちに平和も平穏ももたらすことはなかった。
今日、どのアラブ国家もイスラエルにとって何ら軍事的脅威とはならないので、イスラエル人が恐怖と名指しされているのはイランである。今のところ 核ポテンシャルの獲得からはほど遠いイランの隣に、想像上ではなく実際に核兵器を保有している不安定な体制、パキスタンがある。まさにアーレント が適切にも予言したように、もしイスラエルがシオニストの性格を維持するなら現実の脅威は際限なく広がるだろう。第三国で他国の副大臣を誘拐することが、シオニストの心性ではまったく道理にかなうということが続くだろう。私は、誘拐が実行されたという確たる証拠を持ち合わせてはいないが、 むしろその確率はかなり高いように思われる。(完)
(松元保昭訳)
【関連参考記事】東京外国語大学「日本語で読む中東メディア」HPより
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html
■アリーレザー・アスギャリー元国防次官の行方、いまだ不明
2007年03月10日付 E’temad-e Melli紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20070311_223619.html
■「イラン人核専門家がサウジアラビアの協力によってアメリカに移送」:外務
省報道官が明かす
2009年12月09日付 Iran紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20091217_171621.html
■イラン外務省、海外で「略取」されたイラン市民の追跡に着手
2009年12月10日付 Iran紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20091217_155405.html
■アミーリー氏「アメリカによって誘拐され、8ヶ月にわたって厳しい拷問を受けた」
2010年06月08日付 Jam-e Jam紙
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20100626_225353.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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