増税と経済成長の両立を説く小野善康氏の見解
7月16日の『朝日新聞』に「増税の知恵袋、首相に苦言」と題して次のような記事が掲載された。
「菅直人首相の「知恵袋」とされる小野善康大阪大教授は15日、日本記者クラブで講演し、参院選での首相の消費増税をめぐる発言について、「粗っぽかったと思う。増税して、(低所得者対策で)お金をぱっと渡すのは、(経済成長に)一番いけないと説明したのに」と苦言を呈した。
小野氏は、首相が唱える「増税しても経済成長できる」という成長理論の生みの親。小野氏は講演で、「首相には、増税よりも、雇用を生み出すことが最も重要と何度も申し上げた」と説明。首相が応援演説で語ったような使った消費税分を還付するなどの低所得者対策は、雇用を生み出さず、経済成長につながらないと主張した。
さらに、消費税率を2%引き上げて約5兆円の財源を確保すれば、「単純計算で160万人を雇うことができる。完全失業率は2.8%に下がり、国民の不安感はかなり解消する」との持論を展開した。」
実は私は『DIAMOND ハーバード・ビズネス・レビュー』2005年9月30日号の書評欄で小野義康氏の著書『誤解だらけの構造改革』を取り上げ、需要重視、雇用重視の立場を鮮明にして構造改革派の主張を徹底的に批判した点に賛意を表した。
http://www.dhbr.net/booksinreview/bir200509.html
つまり、構造改革派が依拠する新古典派の経済学は完全雇用を自明の前提とした好況期に通用する経済学であって、余剰労働資源を吸収する成長部門が見当たらない不況期に、供給サイドの効率性をいくら追求しても、雇用不安がもたらす需要の収縮によって、「物をつくっても売れない」結果、効率性が収益性につながらない「合成の誤謬」にはまってしまうからである、という見解に私は賛同したのである。
では、肝心の雇用をどのように増やすのか、雇用の増加がどのように需要の増加に結び付くのか、将来の雇用(の不安の解消)は無条件に現在の消費の増加をもたらすのか、雇用の増加の財源を増税に求めることと雇用ならびに需要の持続は矛盾なく結び付くのかーーーこうした実践的な政策課題になると小野氏の議論は余りにも粗雑で、小野氏が菅氏にむかって呈した「粗っぽい」という苦言がそっくり小野氏に跳ね返ると感じた。以下、小野氏の議論に関する私の感想を列挙しておく。
5兆円の消費税増収がそっくり雇用の増加につながるという空論
まず、「消費税率を2%引き上げて約5兆円の財源を確保すれば、単純計算で160万人を雇うことができる。完全失業率は2.8%に下がり、国民の不安感はかなり解消する」というが、5兆円の財政支出が160万人の新規雇用にどう結び付くのか、「単純計算で」という身勝手な割り切りで、その過程の論証がまったくない。そもそも、公共部門に限定するならともかく、増税で確保された税収をどのような投資に充てれば民間部門の雇用の増加につながるのか、民間向けに投資したとしてもそれが正規雇用の増加につながるのか、景気変動の調節弁とするための非正規の雇用の増加にとどまるのかは企業の意思であり、そこまで政府が民間部門に実効性のあるコントロールを及ぼすのは不可能である。
さらに、現在の国と地方の予算編成の制度面からして、消費税の増税分をそっくり雇用の増加に充てるという想定には現実性が乏しい。まず、国の歳入となる消費税(現行4%相当)は予算総則上、基礎年金、老人医療、介護に充てるものとされている。2010年度予算でいうと、国分の約9.6兆円のうち、地方交付税として地方に配分された残余の6.8兆円は消費税収を充てるとされている上記の福祉関係経費に充てることになっている。もちろん、お金に色はついていないし、消費税の5%への増税と法人税率の引き下げが同時に実施された経緯からいえば、消費税の増収分の相当部分が法人税の減税の穴埋めに充てられたという見方が成り立つ。それはともかくとしても、かりに、消費税の増収分をそっくり、雇用関係の経費に回すというなら、増加が見込まれる福祉関係経費の財源を何に求めるのか、小野氏はさらなる財源論を提示する必要に迫られる。
次に、地方分1%の使途であるが、地方消費税は周知のとおり、1989(平成元)年に消費税が導入された際に整理された地方間接税に代わるものとして創設された消費譲与税が1994(平成6)年の税制改正において、地方分権、地域福祉の充実等のために都道府県税としての地方消費税に衣替えしたものである。そして、都道府県税ではあるがその2分の1は交付金として市町村に交付されている。こうした創設の経緯から、地方消費税は地方公共団体の一般財源として、とりわけ福祉・医療・教育など幅広く住民の生活に密着した各種の施策を行う財源として活用されている。したがって、ここでも、今後も医療や介護など地方福祉の経費の増加が見込まれるなか、消費税の増収分すべてを雇用の増加に充てるという小野氏の想定は現実離れした机上の空論といわざるを得ない。
増税と雇用・消費の増加が両立するという根拠抜きの楽観論
小野氏は増税しても雇用が増えれば消費が増えて経済は成長するという。はたして、単純にそんなことがいえるのか? 税制、とりわけ増税は国民の支持、そのための合理的な説得なしには実現のめどが立たないことは今回の参議院選挙でも立証された。もともと消費税に逆進性が強いことには異論がない。消費税の導入や税率引き上げの際に、非課税品目の創設・拡大とか、複数税率の採用などが議論されるのはそのためである。また、消費税増税には国民の抵抗感が強いというにとどまらず、消費を抑制させ、景気にマイナスの作用をもたらす公算が高いことも確かである。
しかるに、小野氏が言うように消費税の増収分をそっくり雇用の確保に充てるとなれば、退職済みの高齢者世代は増税の恩恵に与るところがない。ところが、世帯主の年齢階級別1世帯当たりの家計資産額(2人以上の全世帯)を見ると、消費に充当可能な金融資産の保有額は、30歳台未満ではマイナス8万円、30歳台はマイナス212万円であるのに対し、60歳台では1,884万円、70歳台以上では2,026万円となっている(『平成16年全国消費実態調査』より)。このことは、わが国において消費を増加させる余力(可処分資産)を持つ世帯が高齢世代に傾斜していることを意味している。となると、小野氏のいうように消費税を増税する一方、その税収分を福祉にではなく雇用の増加に充てるとしたら、消費の増加の担い手となるべき高齢世代の先行きの老後の収支への不安―――増加する自己負担を賄うための可処分資産の取り崩し(目減り)―――を高め、消費の抑制を促す公算が大きくなる。このことは、消費税の増税(手段)で雇用を増加させ、消費の拡大、経済の成長(目的)を図るという小野氏の主張が、目的と手段の自己撞着を孕んでいることを意味している。
(ただし、現役世代の雇用の拡大、将来の家計収支への不安の減少は、子供世代の先行きの経済的自立力の不足を生存中の経済的支援や遺産相続で補おうとする高齢(親)世代の資産保全意識を緩和させ、高齢世代の余剰資産の取り崩し=現在の消費の増加を誘導するという側面はあると考えられる。)
目的と撞着しない手段(財源確保策)の吟味が喫緊の課題
私は、日本経済の再生のために雇用の拡大が大きな位置を占めるという認識では小野氏の主張に同意するが、その手段(財源の確保)を消費税の増税に求めることには同意しない。私も現行の税制には改革すべき点があると考えるが、それは消費税ではなく、近年、格差社会が指摘されるのと裏腹になされてきた所得税の累進性の緩和を見直すこと、近年、大幅に引き下げられてきた法人税率を当面、引き下げ前の水準に戻すことである。ただし、こうした税制改正には少なからぬ年月を要する。とすれば、現行の税制を前提にしたうえで、あらたな財源を確保する方策―――増税なき増収財源の確保―――を超党派で早急に検討する必要があると考えている。
そのために私が唱えているのが特別会計に抱えこまれてきた不要不急の余剰金の活用である。詳しくは、既発表の論文や参議院財政金融委員会における参考人意見として述べてきた。また、このブログでも何篇か記事を掲載してきた。それらとの重複を避けて要点だけをいうと、私が最優先の財源候補と考えているのは、近年、非保険系の特別会計合計で6~7兆円に達している不用額(に見合う歳計剰余金)である。ここで、保険系をひとまず除くのは、保険系の特別会計の場合、偶発債務に備える関係から毎年度多額の不用額が発生するのを「無駄」と決めつけるわけにはいかないこと(ただし、現在のように国が地震等の個別のリスクに備えて再保険というセーフティネットを設ける必要があるのかどうかは疑問視している。国が再保険特別会計の積立金をすべて取り崩して民間の保険を補てんしなければならないような大災害が発生した場合、国は地震保険に加入していた国民を救済して済む状況ではなく、大規模な補正予算を組んで災害復旧等に当たらなければならないはずである。このように考えると、たとえば100年に一度起こるかどうかの大地震の偶発リスクに備えて地震再保険特別会計が1兆円を超える資金・積立金を保有していることが合理的なのかどうか、根本から再検討する必要があるだろう)、不用額が連年発生するのであれば、それを一般財源に回すのではなく、保険料の引き下げに充てるべきと考えられること、からである。
そこで、特別会計ごと、予算科目ごとに不用額発生の実態を精査し(国債の累増への危機が叫ばれる一方で、国債整理基金特別会計に連年2.5~3兆円規模の不用額が発生していることはあまり知られていない)、連年、同規模の不用額が発生している歳出項目については、それを歳計剰余金に計上したうえで、見合いの歳出を特定しない(できない)まま翌年度の歳入に繰り入れている現状を改め、一般会計なり国債整理基金特別会計に繰り入れて、種々の一般歳出の財源として活用するなり、国債の(繰上)償還に充てることを提言したい。国債の繰上償還に充てるとしたら、それは余剰資産を一度に使いはたしてしまうわけではなく、さもなければ残余の償還期間中に生じる国債償還費を帳消しにして、その分だけ、当該期間中、他の歳出に回すことができる一般財源を増やすという効果が生じるのである。
もちろん、現在の特別会計の中には不用額以外に、翌年度に繰り越される歳出の見合い財源として必要な財源枠をはるかに超える歳計余剰金が翌年度の歳入に繰入れられ、特別会計内に抱え込まれている実態にメスを入れたりすることなど、ほかにも喫緊の課題がある。また、各特別会計にぶら下がっているおびただしい独立行政法人や公益法人に滞留している可能性がある余剰資産を洗い出す作業にも本腰を入れる必要がある。
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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