混乱を生みだしているのは民主党首脳陣である
外からは見えにくいのが近親憎悪と呼ばれる動きだ。これは政治的な集団の中だけに見られる現象ではないが、僕らが身近で目撃した政治的現象としては連合赤軍事件や内ゲバと呼ばれる新左翼の党派抗争がある。僕自身もその近辺にいたし、党派抗争の一種というべき争いで組織的な政治活動を止めた経験もあるから綺麗ごととして言いたくないのだが、そこでの問題は渦中や当時者とそれに距離のある人間とでは事態が違って視えることだ。これは当時者として振舞っている自己とそれを見ているもう一人の自分とではということでもよい。これは人間の存在や行為にまつわる矛盾といってもいいが、政治的な集団の動きを外から見る場合の難しさとして自覚して置く必要のあることだと思う。
亀井静香は小沢処分を急ぐ民主党首脳の動きを連合赤軍の幹部連中が総括と称して行った行為と同じだと評していた。言い得て妙だと思った。同感だと思った人もすくなからずいたはずだ。連合赤軍の面々が総括に走ったのは先に進むことも退くことも地獄に思えた場面での恐怖感であったろうが、民主党の首脳陣にも権力を掌握はしたけれど展望もなく、支持率低下という形で深まる孤立からくる恐怖があるのではないか。権力にあるものの深まる孤立の中での恐怖感であるといっていい。これは政権交代で権力の座についた民主党(とりわけ首脳)が初めて経験していることであり現在の政党や政治家が直面する問題であるといえる。政治的存在として力が試され直面していることだ。これに気がつけば政治的構想や見識の問題を自問し、それと格闘すればいいのだ。そのことに真摯であれば支持率なんて気にしなくても自然にある水準は保持できたはずだ。外から見ていてよくわかりにくいのは「小沢のカネ」問題へのこだわりで自らを袋小路に追い込んでいることだ。亀井の言うように些細なことで連合赤軍が総括に走ったようなことをやっていることだ。当初は小沢一郎の「カネ」の問題に強硬な態度を取れば人気が上昇すると踏んだのだろうと思う。メディアの流す虚構というべき政治幻想に乗っかっただけである。この虚構性にうすうす気がついてもどんどん深入りして簡単には引き戻せないところに至っているのだと推察できる。これは菅や仙谷ら民主党の政治見識がメディアで流布される水準しかないことを示している。つまり通俗的で進歩的な「きれいな政治」という理念にある。些細なことを過大に評価するもの(メディアの流布する幻想)にすがり「カネ」の問題を政治(権力保持)の手段に使ったことである。その政治的見識の浅さと通俗性が見事に露呈していると言える。「政治とカネ」の問題が政治の現実の中である姿とメディアがそれを批判的に扱う時の矛盾について、政党も政治家も分かってはいたところがあり、政党間の政局[政争]に使っても政党内部の争い事にするのは避けてきた。というよりは慎重だった。政治において避けられない「カネ」の問題を扱うとき、政治の現実にあることと、メディアなどで流通する論理の落差や矛盾について政党や政治家は慎重だった。メディアで流通する「きれいな政治」という題目(正義)に振り回され、それを政治手段にすることは避けてきたところがある。連合赤軍事件において化粧をしていたなどのトリビアルなことを規律などとして持ち出すことは、些細なことの過大化であるが、「政治とカネ」にそうした要素のあることを知っていたのだ。菅や民主党の首脳はそれを小沢排除の手段に使った。この愚かさをメディアの流通させる正義論で押し通せると思ったのだ。彼らの政治の悲劇性(喜劇性)はそこにあるのだが、その意味では16人の造反議員がでてくるのは必然である。メディアがこれを酷評しかできないのもけだし当然のことである。造反は増えこそすれやまることはあるまい。現実の矛盾の解決にこそ政治が目指すものはあるのであり、架空の正義の実現が政治ではないからだ。
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