ドイツの米国離れ顕著に 国際枠組みの変化も
▼『ドイツ国民と社会は知る権利を持つ』
アメリカ人は、盗聴事件で自分に形勢不利とみると、「ドイツ人はナイーヴで世間知らずだ」と反論したがる。冷めた眼のグーグル会長にもそれがある。ナイーヴ論は手詰まり状態から逃げだすためのある種の“駆け込み寺”と見られなくもない。公平に見て、真相究明を求めるドイツの要請を全くかえりみず、訪米の諜報専門家の調査団を“手ぶら”のまま門前払いする手口はどう見ても褒められたものでない。
ドイツ政府はこれまでに何度も米国に質問状を送付した。ベルリンでは、連邦議会に調査委員会が設置された。また憲法裁判所の在るカールスルーエでは、連邦検事総長が二重スパイ事件の発生で、正体不明のNSA職員(逮捕済み)に対する捜査手続きを整えた。だが、結果は“なしのつぶて”だった。“ドイツ人ナイーヴ論”はこうした事実を完全に無視している。政府も議会も憲法裁も、『米政府からの回答は期待できない』という見解で一致した。スノーデン文書の明らかにする内容についても、『関係文書をドイツ側に送付する』との約束は履行されず、同盟関係の透明性など放置されたままだ。この傲慢さは、まさに“帝国的”という形容詞そのものではないか。米独の同盟の透明性を確保するために、約束の履行を米政府に迫ってきたドイツのジャーナリズムは、NSAによる『情報監視』の実態を(メルケルの携帯盗聴、二重スパイの捜査など)を,解明すべきだと主張し、事実上の共闘を進めている。NSAの元職員、エドガー・スノーデンが暴露した(2013年6月)NSA極秘資料をこの際全て、ドイツの実情に合わせて照合する作業を再度行うべし、と主張してきた。「何故こんなことが可能になったのか」を、人々に分かり易く説明するのが政府、マスコミ、科学者の義務であるとの観点からの立場からの報道である。『ガラス繊維ケーブル』を電話線につないで情報データをこそげ取るという最先端技術への挑戦も辞さない決意表明だ。その中でデア・シュピーゲル誌は次のように結論した。
『ドイツ国民と社会は、ドイツの国内で全米安全保障局(NSA)が行った事の全容を知る権利を持つ。関心のある全ての人は、アメリカの諜報機関が何故ドイツ国内で活動できたか、そして、如何にして、アメリカの諜報当局とドイツの情報当局とが協力したかのような感じを与えるようになったかを(註 二重スパイ事件のこと)、さらにまた「ガラス繊維を使って電話線に盗聴器をつなぐ」技術で、NSAとドイツの情報局が協力したと見られるようになったかを、全ての人がはっきりと知るようにすべきである』
▼中国への贈り物
二重スパイ事件は、メルケルの携帯盗聴に劣らず衝撃的だった。連邦情報局(BND)という身内の中から、高額の報酬の見返りにドイツの極秘情報を米側に渡していた猛者が表われたのだ。7月2日、未決勾留のかたちで逮捕されたが、ディ・ツァイト紙は、NSA問題の大型特集『もう一つのスピオーン(スパイ)』(7月10日)の中で、北京のフォルクスワーゲンの工場で組み立てられた、ピカピカの新車が居並ぶ前で、「個人主義に基づく経済発展」という西側のモデルを中国側に“説教”しようとしたメルケル首相の目論見は二重スパイの発生で台無しになったと書いた。アメリカのスパイのために、米独関係の弱さがむき出しになったのだから、中国に教訓を垂れるどころでない。笑顔を振りまきながら遠来の客に寄り添っていた李克強首相は、“アメリカのインターネット妨害(盗聴)で苦しむ「中国とドイツ」はサイバー・パートナー(協力者)になるべきではないですか”とメルケルに言いたかったのではないかと皮肉った。
ドイツの諜報機関であるBNDはある意味でこの国のタカ派を代表する政府組織だが、マルクス(Markus)と名乗る31歳の“獅子身中の虫”に、過去2年間にわたって2万5000ユーロ(約250万円)という報酬を支払ってきたと推定される(ディ・ツァイト紙の数字)。平常は目立つ人柄でもなく、そうかと言って不平家でもなく、一見、平凡な男だったらしい。しかし実際は、動きが敏捷で、抜け目なしに、ここぞというときは必ず現場にいた。7月7日のメルケル首相の訪中の際も、政府専用機でメルケルが北京に到着するのを待ち受けて、一部始終を観察していた。米国が二重スパイを使って情報集めをしていたことが知れたことで、米独の間が急激に冷却し、その同盟関係は危険にさらされた。保守・革新の寄り合い世帯であるドイツ大連立内閣にとっても被害は小さくない。与党の一部に生まれた『反米主義』の声が今後どのような方向をたどるか、読めない状況となった。李克強・中国首相の言う冗談、つまり「ドイツのアメリカ離れ」と、「ドイツと中国の提携」が結びつくことだって、あながち無視できなくなるかもしれない。アメリカ(NSA)は、中国に“高い贈り物”をしたことになる。
今回の米独紛争の根深さを示しているのが、この期に及んで、加害者であるはずのアメリカのドイツに対する積年の恨み、古証文、反感、嫌悪、愚痴が重なり合って,融合し、あたかもマグマのように噴き出していることである。通常の同盟国関係だったら、そろそろ事態収拾に向けたお膳立てが舞台裏で始まってもよい段階である。だが、鎮静化どころか、特に諜報関係者の世界を中心に怒りの温度がますます高まっている。
▼問われる“同盟能力”
ミュンヘンのリベラル紙、南ドイツ新聞(SZ)は、ウイーンで事件発生後初の閣僚会談として米独外相会談が開かれた7月14日の紙面で、ケリー、シュタインマイアー両氏が激しい表情で睨み合う大型写真に『短期間で2度目の最近のスパイ事件でドイツとアメリカの関係は揺れている。従来と違って今回は、米国はベルリンの怒りの所在にようやく気がついた。しかし、ワシントンで理解が得られるか、ドイツ側はまだまだ、期待できない』という長いキャプションをつけた。同新聞はその記事で、『ドイツは自身の言い分にアメリカの耳を引き付けたいなら、今回、米国諜報機関の高官を追放したことで、メルケル首相はそれに成功した。しかし、だからと言ってそれでアメリカの諜報筋の世界の理解を得たことにはならない。それは、ドイツ連邦共和国がしばしば、端から見て理解不能で、奇矯な行動に出るのを常としていたため、“信用の置けない同盟国”との烙印を押されてしまっているからで、盗聴や二重スパイに苦しんでいる今のドイツの事態はドイツ自らが招いたものであり、自分の責任なのだ』といったところがアメリカの専門家一般的な見解だと紹介した。
アメリカの地位ある人の中には今や、『同盟能力』という新語を口にする人が少なくない。かつて米国の諜報関係の顧問を務めたマーク・ローエンサール氏もその一人。PBS放送の会見番組で、メルケルは国内の世論に触発されて過剰反応したと批判し、『アメリカの諜報機関だって懸命に仕事をしてるんだ。ドイツの出方を目の当たりにすれば、CIAやNSAも、独自のやり方で現状を正確につかもうとする』と切り返した。ローエンサール氏は,スパイ事件でアメリカの諜報機関の対応をこう弁護しながら、3年前のリビア危機に言及した。リビアの独裁者、カダフィが世界中から指弾されたとき、軍事的、政治的制裁に反対するドイツは安保理事会の決議に棄権した。正念場でドイツがどう出るか分からないとき、(アメリカは)通常の手段によらずに情報を得なければならなくなる、というのが同氏の論理だ。南ドイツ新聞によると、ローエンサール氏は影響力ある秘密諜報の専門家グループ、共和党の政治家、右派メディアに大きな影響力を持っている。
米国内の空気は、スパイ動員の自己弁護で、単なる“居直り”から“反転攻撃”に転じたことを示すと、言えそうだ。
▼米独立記念日の暗い影
そもそも米独間の紛争とは何だったか。端的に言えばアメリカの諜報機関がドイツの防諜機関、連邦情報局(BND)をスパイしたということに尽きる。諜報はもともと汚い仕事だ。しかし諜報機関の世界にも不文律があり、南ドイツ新聞によると、味方の陣営の諜報機関の行動を探ることをしないのが通常である。その半面、敵の陣営の諜報機関で、自分たちの方に寝返ってくる可能性のあるエージェントを見つけたら、これにあの手この手で触手を伸ばし、味方につけて、これを通じて相手の情報を入手する。だがこの場合の相手とは、あくまで中国、ロシア、シリアなど、価値観その他を異にする『外部世界』の諜報機関のことである。
これで行くと、ドイツは掟を守らないNSAやCIAから、長年にわたり好きなように騙され続けてきたことになる。ドイツの“同盟能力”をとやかく言うワシントンの諜報専門家の説が怪しくなってくる。
7月4日、ベルリン目抜きの米国大使館で開かれたアメリカ独立記念日の祝典で、エマーソン米大使は、詰めかけた賓客一人ひとりに外交官としての愛嬌を振りまいた。外見はパーフェクトの出来栄えだった。公式のアメリカと、公式のドイツとの出会いは、今回もスムーズに運んだ。しかしベルリン市内では、低迷してきた米独関係がついにどん底まで冷え込んだというニュースが出回っていた。シュピーゲル誌によると、祝典が始まろうとしていたときに、エマーソン大使はドイツ外務省から、「話がある」と呼び出しを受けた。連邦情報局(BND)の職員がドイツの機密をアメリカに渡し、報酬を受け取っていたことが確認されたためだった。メルケル首相はアメリカが諜報活動を自粛してくれればよいと思っていたが、この望みはとっくに消えてなくなったことを知っていた。メルケル首相は5月の訪米の際、ノー・スパイ協定を実現させることでオバマ米大統領から何ら言質をとることが出来なかったからだ。メルケル首相は、『アメリカとは距離を置く』ことで腹を決めていたのだ。だが二重スパイ事件で、その距離はさらに広がった。シュピーゲル記者によると、メルケル首相は、アメリカがもういい加減に馬鹿な真似をやめて欲しいと願っていたし、これ以上、ドイツ人の反米感情が強まらないで欲しいと考えてもいる。米独関係は究極的には、よくも悪くも、「一定の距離」を置いた関係に落ち着くべきだと考えている。
▼「親米」と「親露」がほぼ互角に
同時に、アンゲラ・メルケルは、出来るならドイツを西側の同盟に足場を置く国にしたいと考えている。そしてパートナーとしての米国に忠実であり続けたいと思っている。しかし、NSA事件がどれほどドイツ人をアメリカから遠ざけたかも気づいている。最近も、「ケルバー基金」に世論調査を委託し、どのような外交政策をドイツ人が望んでいるかを調べさせた。「将来ドイツはどの国と協力すべきか」の質問にアメリカと答えた者56%、ロシアと答えた者53%だった。「東」と「西」がほぼ並んだことになる。このことから二つのことが言えると、シュピーゲル誌は分析する。一つは、ドイツ人がアメリカ人に幻滅し、永遠にその“密偵”たる運命に甘んじることに疑問を持っていることである。同時にドイツ人は、ウクライナ危機に当たり、ロシア人とその指導者、プーチンに、人を驚かせるような理解を示した。これは、ドイツ人の自覚の在りかを遺憾なく示したものに他ならない。
換言すれば、ドイツ人は、自分たちの立ち位置を自分たちで決めなければならないと考えているということである。時代の変わり目となった1989年以来の、25年間は、東西間の対立が激化し、アメリカとロシアへの二極化が進んだため、「ドイツが米露のいずれにつくか」という設問は“お預け”となった。ドイツとしても、自分の位置を決めるのは出来かねた。
ところが、「ウクライナ危機」と「NSA問題」がこの“居心地よい”局面に終止符を打たせた。この新たな状況の出現で、ロシアか、アメリカか、の選択の問題がドイツを苦しめることはもはや無くなった。シュピーゲル誌の実施による世論調査でも、『ドイツは外交政策でアメリカから独立するべきだ』との答えが57%を占めた。同誌はこれを、『西側との緊密な結びつき』が過渡的現象になっていることを示していると、診断した。古典的な同盟関係が漂流しだしたのだ。以下がそのコメントである。
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『米大使館のエマーソン大使の執務室は核攻撃の最初の一撃に耐えるほど頑丈に造られていて、まるで要塞のようだ。大使の輝くような友好の笑顔と、大使を包むこの安全性へのパラノイア(妄想症)は鋭いコントラストを描き出している』
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4955:140815〕