漂流する米独の『同盟関係』-スパイ事件で深い亀裂 (5)

“反イスラム国”で辛うじて一致 両者を恐怖させる黙示録の暗雲

アメリカとドイツの間の、「情報監視」という変則的な事態(米国によるメルケル首相の携帯盗聴など)は、論争に決着を見ないまま、新しい段階を迎えた。同盟国をスパイしたアメリカを激しく攻め立ててきた当のドイツ側に、アメリカを監視(スパイ)してきた前科があることが見つかった。このため“攻守ところを換える”事態となった。ドイツ側にしてみればこの“手痛い副産物”(「南ドイツ新聞」)が形勢逆転の契機になった。
過去に、ドイツの諜報機関がヒラリー・クリントン米国務長官の言動を盗聴(スパイ)した事実が明るみに出たこと、最近では、NATO(北大西洋条約機構)の同盟国であるトルコの状況をドイツが監視したことが暴露されたことによるものである。要するに同盟国の内情諜報が米国家安全保障局(NSA)の“専売特許”でなくなった。ドイツの受けた外交上の損失は大きかった。『同盟国をスパイ(盗聴)するなんて赦されない』という盗聴発覚当時のメルケルの“信仰告白”が力を失っただけでなく、ドイツの政治的な敗北は否定すべくもなかった。ケリー国務長官、そしてその前任者のヒラリー・クリントンら米国の政治家が、この二重スパイ(ドイツの諜報機関、連邦情報局=BNDの要員)がカネと引き換えにと米国向けに送ってくる情報を利用してきたことは間違いない。シュピーゲル誌(今年8月18日号)によると、長官時代のヒラリー・クリントンがBNDのインターネットにひっかかったのは、2012年、国連の中東特使を兼ねたコフィ・アナン前国連事務総長と、シリアへの介入問題で電話会談した際、その内容がそっくりBNDの二重スパイにキャッチされたというものだった。その任に当たったこの時の男こそ、ドイツ側情報をアメリカに売ったかどで最近、逮捕されたマルクス・R(既述)を自称するBND要員だった。お互いにスパイして相手を化かす諜報戦が繰り広げられていたわけで、話はややこしくなる。「南ドイツ新聞」は、『アメリカは、ドイツの弱みを逆手にとって、“だから言わないことじゃない。NSAの行動にいちいちイチャモンをつけるのはもういい加減に止してくれませんか”と、懇願したのではなかろうか』と辛辣に揶揄した。

▼諜報戦争の混線模様

ドイツにとってのこの新しい事態は、タイミングの上からも最悪だった。トルコは本来、西欧とイスラム世界の『中継地』であり、ドイツの諜報機関が目を離せない戦略的な位置にある。シリアやイラクで狂奔する過激派の「通過地点」でもあるという特殊事情がある。特に現在は、トルコ政府が“イスラム国”のテロリストと戦うクルド人支援のため、武器を提供する意向を初めて表明したばかりだから、なおさらだった。他でもないこのトルコに対する盗聴など情報監視が表面化したのだから、これはドイツにとり、大きいエラーだった。対NSA戦争がもたらした“手痛い副産物”だったのだ。あまつさえ、つい数週間前にはBNDの二重スパイを摘発したことで鼻高々だったから、ドイツの“能天気”が目立った。
トルコは、少なくとも2009年以来、ドイツに情報監視されていた。このことに対するトルコ国内の反応は熾烈で、“メルケルがエルドアン(トルコ大統領)を盗聴?”といった見出しが新聞に躍り出た。「ドイツ」という帰属意識と関係なく、この問題で自国批判のキャンペーンをしてきたシュピーゲル誌も、一段と舌鋒を厳しくした。米政府が「反イスラム国」の姿勢を強化する中でのドイツのミスは、NSAの格好の餌食となった。重要なことはこうした事態とほぼ時を同じくして、いわゆるジハーディスト(註 狭義では、聖戦の戦士)の狂態が竜巻のように突発したことである。

▼不気味なアポカリプスの予兆

米人ジャーナリストを斬首する光景が放映されたのだ。未曾有の残虐に世界が息を呑んだ。黒覆面の男のナイフを首に受けた米人ジャーナリスト、ジェームス・フォーリー氏はその瞬間何を見たのか? 今の国際環境との関連は誰の目にも不明だが、不透明な闇に誰しもが感じる底なしの気味悪さの正体とは何だろう。「最高位の米兵」である統合参謀本部議長、マーティン・デンプシー陸軍大将はただ一言、『アポカリプス(黙示録)だね』と語った。(8月24日、南ドイツ新聞)。末世的大惨事という黙示録の意味は誰の腑にも落ちた。
13年前、ニューヨークとワシントンを襲ったアルカイダによる同時多発テロと似ているばかりか、その“発展形態”とも見られなくもない。二つをつなぐ共通因子は『アメリカの暴慢』である。NSAによる情報監視とインターネット主権への執拗で“帝国的な”追求も、その上に成り立っていた。『アポカリプス』というのは、同時多発テロ発生の際、多くの識者が口にしたコメントである。当時、非常勤講師としてテロの意味を学生に話した筆者もよく覚えている。同じ事態が、今また起きたのだ。
新たな黙示録の主役“イスラム国”(IS)の狂態と足跡をシュピーゲル誌の8月11日号で追ってみる。

『米国は、イラク戦争から11年、イラクからの公式撤退後3年弱に当たる先週の金曜日に初めて、FA戦闘爆撃機と無人攻撃機によるイラク北部に対する空爆を実施した。正確にはやむを得ず、空爆実施を強いられた。ジハードの大群がクルド人の本拠地、アルビルに進撃するのを食い止めるためだった。ケリー米国務長官は「予想されるジェノサイド(大量虐殺)はどうしても防がねばならない」と言明した。アルビルはクルド人の首都で、ジハードによる難から必死に逃走する極少数民族ヤジディとキリスト教徒に関する情報や影像を根拠に、国連安保理が非難決議案を全会一致で採択した。ISは一夜明けてイラクでのヤジディの本拠地であるシンジャルの街に迫っていた。ヤジディは、古代からの民族共同体で、独得の「クジャクの天使」を偶像視、過激なイスラム教徒から悪魔信仰として迫害されている。クルド軍は、弾丸が尽きるまで数時間はアルビルを守ったが、激戦の中で1000人近いヤジディが殺された』

▼オバマの苦渋の選択

トルコの扱いを誤った(盗聴)ことで、ドイツは、少なくとも善意の第三者トルコ(クルド人への武器供与)を貶めたことになる。ジハーディストの動向に関するシュピーゲルのこのレポートは“イスラム国”の本質を象徴的に表現したものであり、全体を表す『絵』ではない。衝撃的な斬首の画像にしたって、黙示録の単なる“イラスト”に過ぎないかも知れない。“イスラム国”では斬首は制度化され、人の生活の中に当たり前のカオで溶け込んだ風習なのかもしれない。米安全保障局(NSA)の監視行動をめぐる米独の確執の意味は重大で、それ自体、追及して行く価値があるが、ジハードの脅威と比べれば大事の前の小事にすぎないかもしれない。「南ドイツ新聞」(9月12日付け)の拡大論説面を読んで、戸口にオオカミが迫っている小さな家の中で兄弟が喧嘩している図をイメージした。シュピーゲル・レポートの中のハードな事実は、オバマが長い躊躇の末にIS(“イスラム国”)のテロが跳梁するイラクに対して暴力(=Gewalt)を行使する決断をし、かつ実行したという一点である(註 暴力とはこの場合、もちろん軍事力のことである)。
オバマはISの民兵を、文明的な人類への敵対者と断定し、これと戦う必要を認めた。イラクのスンニ派には、多数を占めるシーア派に反抗すべき十分な理由がある。ISは「自由のための運動」ではない。その残酷さがこれを裏書している。人間性に反する犯罪でISは自らを文明の圏外に追いやったのだ。イラクの安定と人権を救うためには、軍事介入が必要であること、同時に軍事介入だけが問題解決の手段でないこと、そして政治解決が重要であることを、オバマはブッシュ時代の経緯を見てきた経験から肝に銘じている。

アメリカは、Gewalt との、あい矛盾した関係を続けてきた。アメリカ人は、もう戦争はしたくないと思う一方で、暴力を“取りつく島のない”頑固さで峻拒し、その結果として“戦争をしない”弱い国に甘んじたくない。米国はもう長い間、イラクとシリアを無視してきた。そこへ2人のアメリカ人が斬首されるという事態が起きて、ヒステリーが爆発した。オバマはそこで、限定条件の中での介入を決意した。“相反する感情が同居する”という意味のアンビバレンツな気持で、この限定的介入に踏み切った。それは一方で、危険な敵に対して長期にわたる戦闘を通告すると同時に、他方では、『この暴力の行使は戦争ではなく、“地上軍を派遣することのない”反テロの介入だ』というものであった(9月12日の南ドイツ新聞の論説)。オバマは、ブッシュの教訓から、「戦争ではなく、テロ対策としての介入」という論理を貫いた。この言い方で、介入の長期化をも担保している点は注目される。つまり、古い敵に対して新しい名前で戦うというものであり、この意味で、既に『新しい危機』がくっきり示されている。

▼テロ集団ISの異様な素顔

ISは同時多発テロの元凶アルカアイダの後継である。従事する民兵は、ISisと表記される。最近では世の関心は専らISに集まり、アルカイダはすっかり影を薄くしている。ISの創設者はカリフ・イブラヒムといい、北イラクおよびシリアの北東部を、古代国家と近代国家の両方を兼ね備えた形の“国”に統合した。公開処刑や斬首は、ISにおいては、社会保障と同様に、大事な国の制度として公認されている。ISの指導者、アブ・バクル・アル・バグダディは非常に精密に理由付けされた権威を体している。彼は、彼の神の国のために、骨の髄まで徹底したジハーディストになろうとする。彼の“国”では子どもは重要なターゲット・グループである。理想的な人間は完全無疵な戦士として、あるいは「懐疑」に束縛されることのない根本主義者として生を受ける。ISは、ヴィデオを普及させ、小さな子どもを手榴弾で遊ばせたり、自動小銃を発射させたり、あるいは斬り取った人間の生首を手にぶら下げさせたりして、この光景を写して実物教育に供する。ISはテログループとしてではなく、主権国家として、市民たちを教育する。この幹部教育は、かつて、ナチスが幹部教育に機能させていたものと同じである。“イスラム国”の非人間性の淵源はここにある。南ドイツ新聞(9月5日付け)の特集記事「国家の中の国家」が描くISの素顔はこのようなものである。

アメリカの諜報組織『NSA』による情報監視の問題は、その衝撃度で、今や“イスラム国”に株を奪われた感がある。しかし、『NSA』は、“イスラム国のような危険にさらされているからこそ、情報監視が必要なのだ”と言いたがっているかもしれない。 (つづく)

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