川内原発再稼働を巡って、反原発派から火山噴火の想定と対策について考慮されていない、予知など不可能ではないかという批判が厳しく出され、もう一つの論点である避難計画策定については県任せでなく国としても関与することも決定されているが、火山噴火については何か出来るのだろうか。
「予知」については火山学者から「出来るわけないじゃん」との声があまた上がり一見、火山噴火にも事前に何か対策を考えなければならないような論調が醸成されつつある。
これに対しては減らず口叩きの私としては「そんなこと考えても意味ないじゃん」と返したい。
火山噴火をここで単純化して二つのタイプに分けておこうか。
一つは雲仙普賢岳クラスの噴火。もう一つは阿蘇カルデラを形成するような破局的大噴火。
普賢岳の噴火についてはまだ多くの人々の記憶にも残っていて、はじめて「火砕流」という専門用語を耳にしたものだ。あの時普賢岳のふもとの集落が壊滅的な被害にあった。では川内原発の直近傍に普賢岳のような活火山があるのか?答えはノーである。しかしこれをもって、普賢岳規模の火砕流に襲われるリスクがないのかといわれると、それは一概に否定しきれない。この場合想起すべきは北海道の昭和新山形成のいきさつである。この場合では、まったくの平地の畑のど真ん中から突然溶岩が盛り上がりあれよあれよという間に今見るような昭和新山が形成された。とすると、川内原発にかんして、そのような比較的浅い所にマグマが押し上げられている個所が近傍(半径10km以内??)にあるのかどうか調べることで決着はつくだろう。
問題は、阿蘇カルデラを形成したような大規模で激烈な破局大噴火の可能性をどう見積もるかであるが、火山学者の答えは「予知不可能」で既に決まっているようだ。それはそうとしようか。もしそれが起きれば恐らく川内原発にも数百度に達するといわれる火砕流が時速100kmという勢いで押し寄せるに違いないから、これに耐えられる強靭な施設でなければならないと要求するのは、そこだけに視野を限定すれば当然至極、ご説ごもっとも。
でもこれでは、頭を使う順番が間違ってはいまいか。そんな破局的大噴火の可能性を差し迫ったものとして考慮せよというなら、そもそも原発崩壊の前に広大な地域に住んでいる人々が火砕流に飲み込まれてしまっているのではないのか。だからこの手の巨大噴火の可能性をあげつらうなら、まずもってそのような地域に多くの人々が居住し生活を営んでいる、その現実をどうとらえるのか、話はそこからだろう。
それを抜きにして声高に原発再稼働反対の論陣を張るのは、総体的な人々の暮らしの安全度を視界に入れない、手短に言ってイデオロギー的偏向以外の何物でもあるまい。