欧州の主要紙に2年前の10月、携帯電話の中身を米国の諜報機関に盗聴されたメルケル独首相が巨大なラッパのような吸入器の強風に吸い込まれそうになって顔をしかめる漫画が載っている(6月5日付南ドイツ新聞=SZ)。NO SPY! を訴えるプラカードがへし折れている。
普遍的民主主義の唱道者たる面目も矜持も振り捨てて、同盟国を籠絡するのに余念のないオバマの米国を批判している。
コンピューターなしでは原発も、戦車も飛行機も動かない。銀行の貸し出し機能も停止する。今や世界の最重要な技術的装置(DIE ZEIT紙)になりおおせたコンピューターの独占的操作を我が物にすれば世界の覇権を手中に出来る。サイバー・スペース(電脳空間)の無機質な闇の首座を狙うのが、アメリカの秘密警察、NSA(全米安全保障局)だ。その膨大な権力を前にしては大統領も口をだせない。かつて満州国を牛耳り、梁山泊と化して日本を破滅に導いた関東軍にその手口は似ている。
▽ソ連封じ込め策と同じ覇権主義
コンピューターのシステムを想うままに操業して電脳空間の帝王となれば世界を動かせる。この手法は、冷戦期の東西対立の中で、強大な武力を背景に、相手陣営とのギリギリの境界まで勢力範囲を伸ばし、そこからソ連ブロックの内情を探った米国戦略と同じものである。2007年当時、米秘密情報部のトップにあって諜報のコオーディネーターを務めたマイク・マコーネル氏が同年末、ベルリンでドイツ側の会談相手に漏らした発言である(シュピーゲル誌)。恐怖のシナリオが今に引き継がれている。
昨年12月初めマコーネル氏がベルリンで、ドイツの諜報機関、BND(連邦情報局)長官であるデメジェール氏に対して行った「要請」の眼目は、フランクフルト・アム・マインに在る世界最大のインターネットの要衝において、“濾過されていない全てのナマ情報”を米独間で『交換』することだった。しかしこれはテイの良い強要にすぎなかった。
▽タブーも法律も無視する米国
“濾過されていない全てのナマ情報”とは何か? 意味するところは動機の如何を問わず、ドイツおよびドイツ国民のデータを大量集積することだった。民生重視のドイツではこれは『禁止』されている。アメリカは猛毒な提案を突きつけてきたことになる。これを受け入れれば米独の諜報機関の間で長年守られてきた協力活動のため原則破りであると同時に法律違反となる。危機感を強めたメルケル首相とデメジェール内相は、ドイツ国内でのアメリカ機関員の意図やスパイ活動については全く関知しないと強調するなど世論対策に追われた。この間、ドイツ首相府が、米国諜報機関による経済スパイについてBNDから注意を喚起される事実も表面化した。しかし米諜報部による経済スパイ問題でBNDとNSAの間が軋んだのはこれよりずっと以前の2007年末のことだった。
▽ 国家的衰亡への強迫観念
膨大な国力にもかかわらず、アメリカは「衰亡」という特異な強迫観念にとらわれている。特に2001年の同時多発テロの洗礼を受けた後というもの、国の安全が危ういという予感が人々の深層心理に住み着いた。当初これは、当時の大統領、ジョージ・ブッシュの内面に顕著だったが、次第に大衆の中に小心翼翼の心情を増幅させ、ついには米国人の性格に影響を与えるまでになった。
諜報機関同士の反目、猜疑も、ニューヨークの大規模テロの実行犯に、ドイツが居場所を“提供”してしまったことも、アメリカの神経過敏を生んだ。前述のネット拠点でのデータ処理をめぐる両諜報機関の間の確執にしても、相互の深い猜疑から生まれた。“情報の交換”など、うたい文句だけで初めからなかった。本来、ドイツに利害がある情報を除いた残り(つまり濾過された情報)をアメリカ側に流すという約束だった。ところがドイツ関連情報がそのまま米側に流れている事実に気づいたドイツのBNDが、2007年7月、NSA向け情報を全て差し止めることをワシントンに通告した。これに怒ったマコーネル氏(既述NSAのコーディネーター)が急遽、ベルリン行きの航空券を購入し、飛び立った(シュピーゲル誌)。同氏はこのときドイツ側に『濾過されない情報を全てよこせ』と怒鳴ったが、これは“真水の情報”をまるごと出せということに他ならず、アメリカの苛立ちと猜疑を顕著に示している。
▽ 米国の“強さ”は無能、傲慢、欺瞞の表れ
アメリカ合衆国(USA)は空前の国力にもかかわらず、小心翼翼の不安定な国である。2001年、ニューヨークでテロの洗礼を受けて以来、『衰亡』の予測と予感が現実味を増し、トラウマとなった。
こうした中、2001年以来初めて注目すべき事態が起きた。米議会が超党派的多数で「治安機構」から権能を幾分ながらでも削減する決議を採択したのである。この結果NSAはブッシュ政権下で創設された情報バンクを廃絶しなければならなくなった。このバンクは国内の個人的な電話の通話内容を“集積”するするという反動的装置で、議会決議はその廃絶後は電話情報の集積を電話会社に委ねることにしていた。これはNSAの「改革」というよりは「修正」と言った方が実態に近いが、NSA批判派にとっては治安と安全が口癖の狂信派に対し、一矢を報いた象徴的勝利には違いなかった。ニューヨーク同時多発テロ後14年にしてワシントンでは諜報機関に楯つくことが可能になった。これまでは、NSAを批判しようものなら国賊呼ばわりされかねなかったことからみればこの議会採択はたしかに進展だった。
ドイツ側がみせたこの“反撃”に対するアメリカ側の怒りは常軌を逸していた。マコーネル氏は、ドイツ側の会談相手に『発電所一つを破壊するにはラップトップ1台あれば十分だ。1,2回のクリックで大手銀行を簡単に機能麻痺させることが出来るんだ!』『ドイツ国内のインターネット・ケーブルは「中東の情報」でだぶだぶしてるじゃないか』(註;中東がテロリストの基地であることを援用して皮肉ったもの)と罵声を発した。
『しかし、こうした最近の恫喝外交も、NSAによる“宥和措置”も、過去15年間に米国が治安機構を通じて手にした膨大な“成果"を隠すことは出来ない』。 欧州の代表的リベラル紙はこう結論した。(了)
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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