① 弁護団加入時の石川一雄さんからの手紙
「部落民であったために国家権力の保身のための道具として使われてしまった立場を今ふりかえって、何んとも悔しく思えてなりません。
貧乏だった故に 、最低限の教育すらも受けることのできなかったことを恨むわけでは決してありませんが、
教育を受けられなかった者に対する国家の仕打ちあまりに憎く、そのことは許せない思いで私の胸に強く残っているのであります。・・・」
と書かれていました。
②亡父とカトリック故相馬信夫司教、故白柳誠一枢機卿との出会い
部落解放運動、狭山闘争、平和運動に生涯をかけた父は27年前に死去しました。
父追悼集に故相馬信夫司教が一文を寄せられた。
「1981年2月ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の訪日に当って、世に言う有名な人や宗教関係の人ばかりでなく、
社会で苦しんでいる人達のため、社会正義と人権とのために働いておられる方の一人に会っていただきたいと願い、
それには中山先生こそ最適任者だと思い、先生にお願いしました所、心よくご承諾下さったので、
5人の特別謁見者の一人に加わっていただきました。私の簡単な紹介を聞かれた教皇が中山先生の肩を抱いて
『しっかりやって下さい』と言われた時の感動を今も忘れることは出来ません。
私には、これは歴史に残る出会いの一つであると思いました。」
ヨハネ・パウロ2世との特別謁見には私も白柳枢機卿と共に立ち会った。
父著作「部落解放自ら糺す」を法王に進呈しました。
父と相馬司教、白柳枢機卿との出会いの中でカトリック協会の中に
部落差別人権委員会が発足し、狭山事件の支援運動もされている。
父は死去の際、「人只有一生一死 要生得意義 死得有価値 」の中国の革命烈士の言葉を書き残していました。
平和・人権確立の闘いは父の遺志を受け継ぐ闘いでもあります。
相馬信夫司教 1916-1997
東京大学で天文学専攻、卒業後東京カトリック大学院で学び名古屋司教。
部落、アイヌ等の国内人権問題とともに東ティモールの人権抑圧、国連への軍縮、核廃絶のへ働きかけ、
湾岸戦争の際には自衛隊機の派遣に反対し、民間機で避難民移送運動の代表もされた。
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