『良心革命、誠実の論理学の行方について』(外伝)
《ああ、何とか市川雷蔵・白土三平・山田風太郎研究会を結成して新しい忍者活劇の時代を迎えられないものだろうか!》
誠実の論理学・外伝(その1)
ここ数日の政治日程からは目が離せないだろう。
米・大統領オバマの広島訪問を絶賛したい
https://chikyuza.net/archives/63279
え、「絶賛」?、手放しの絶賛なのだろうかとつい立ち止まる。
「謝罪」については?
今更であっても、せめて「訪問」だけでも果たしただけでも良いとするしかないのか?
「アメリカ人、お断り」『はだしのゲン』から、核と「戦争犯罪」=「人類犯罪」について今だにこの程度の認識なのだろうかと立ち止まらされるものを感じている。
しかし、ルパン三世劇場版の次元大介のセリフではないが、アメリカ第七艦隊を前にして、
「非現実的なのは俺たちの方かも知れないぜ」
「これまでマリリンモンローとハンフリーボガードのファンだったが、これまでだ!」
ではないのだが、十分、アメリカ映画に親しみ、アメリカンニューシネマからデ・ニーロまでには十分見ごたえを感じていたのだが、やはり、甘さがここにもあったのだろうか?
そう考えたりもするが、「個人的心情」の問題は、ここではどうでも良い事であるだろう。
ここで言いたい事は、日本人自身、まだまだ、広島、長崎、福島についての重大性についても、歴史的第二次世界大戦の郷土的理解にも到達していないと言う事ではないだろうか?
昭和博物学的北一輝的「日本革命」考から、いよいよ数週間後に迫った
『尾崎秀実とゾルゲ事件』(6月4日)
https://chikyuza.net/archives/62825
更に、今週の
白井聡さん講演会 「戦後政治を終わらせることができるのか 参院選前に考えておくべきこと」(5月27日)
https://chikyuza.net/archives/62998
こちらが、具体的に、ちきゅう座告知にあると言うわけである。
【何をどの様に、「終わらせる」必要があるのだろうか?】
アメリカでは、「戦争を終わらせるには核爆弾投下」は仕方がなかった。この意見の人が多数であると言う。
しかし、現実の悲劇、「はだしのゲン」さえを知らないからではないだろうか?
文学も学術もこの漫画にも満たない状態であるのが全くもどかしいばかりである。
しかし、日本人自身も、やはり、知らないままであり、「他人の痛み」について無頓着である事を恥じたいのは僕自身同様であると言う事である。
許せないのは、これは、オバマ大統領だけの問題ではないと言う事だ。
日本に訪れる来日米人全ての個々人の問題でもあるだろう。
日本会議の広告塔であるケントギルバートの斜に構えた偽善眼、顔を断じて許す気にはなれない。
これが、「思考停止」する「情報弱者」「教育弱者」に落とされている日本人同胞にも是非、伝えていきたいと言う
第一の点となっていると僕は感じる。
みなさんは、どの様にお考えになっているのだろうか?
「朝まで生テレビ」にてでも、ケントギルバートたちを相手に、こちらは、白井聡、孫崎享論客、全「アベ政治を許さない」勢力を味方としながら、日本武道館にてでも、会場をオープンに「日本真会議」でもしたい位に煮えくり返っていて当然であるように思われるところだ。
誠実の論理学・外伝(その2)
上記の岡本先生の「それ故、今後の世界においては先進国同士が相互に信頼関係を築く努力をしていかなければ、核廃絶の道程に乗ることは困難であろう。」
この問題であるのだが、いつもぶつかるのは、アベ政治、そして、今後としてのアメリカ大統領選挙でのトランプ、ヒラリー候補などが、本当に、「国民の代表」と言えるのかの疑問であり、「共和制」的抵抗をしているのが、「ちきゅう座」であり、かつてからのアソシエーション(自由連合)であると言う図式である事をしっかりと際立たせること、また、国民全体に、われらさえ、開かれていたのかの問いである。
それぞれの「現役」「候補者」から一番「ちきゅう座」的に近いのは、サンダース候補であるだろう。
しかし、多数派になれない『民主主義と支配』(仲正+中村+古賀訳)の問題点があり、まさに、(その1)にて語った問題が、日本人自身にもあると言う事ではないかとこの壁をどうするのかと言う問いなのだ。
われら「ちきゅう座」は、その悲劇を同胞にも、ヒューマンなアメリカ人にも伝えたい。
それが、「誠実の論理学」として、わかり易くなっているかの反省点を含めながら、
更に、軍需産業、核、更に、
「STAP細胞の特許出願、米ハーバード大学が世界各国で…今後20年間、権利独占も」
http://akiratakeda2001.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/stap20-a480.html
この様な資本主義と独占の問題、TPPと医療独占商品化の問題としてあると言うわけである。
この問題を真摯に、分析するならば、マルクス『資本論』体系的現代哲学から経済学への再研究位置づけは避けられないだろうと言うのは、「ちきゅう座」においても、岩田弘派その他、共有するものだとしてもまだまだ、アカデミズムの壁を打ち破れずにいる事は、前回も述べたとおりである。
誠実の論理学・外伝(その3)
国民的には、まだまだ「さよならパヨク」、青林堂の変色問題として、「赤狩り」から一歩も出ることが出来ない状況があり、まだまだ前近代的BSニュースの状況があった事に愕然とさせられる。
これは、上記の「謝罪」か「訪問」か、そして、現実にストーカー犠牲者が「日米地位協定」の元で続いているにも関わらず、低次元サミット状況に、国民は、甘んじているしかない、
更に、
①舛添疑惑
②甘利疑惑
③高市疑惑
http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/820.html
④オリンピック疑惑
この累々とする退廃とパナマ文書にも甘んじなくてはならなず、
「盗人に金庫番、法の番をさせている」故のパナマ合法論としての1%支配のストーカー的状況に甘んじている人類の悲劇があると言う事だ。
誠実の論理学・外伝(その4)
赤狩り的国民の学術的無知化状況を示す番組が続いていた。
支配者にとっての「真正の脅威」者が受けた試練
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-ffef.html
99%の主権者が1%の巨大資本に勝つ方法
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-0e17.html
植草一秀先生位に、開かれた知性であるなら「日本共産党」との共闘は不可欠であり、さらに、「共生」と言う概念は、「社会民主主義」的発想と歴史からしかあり得ないと思うのだが、24日の「深層ニュース」こちらの解説者は、歴史的配慮なしにまさに、赤狩り錯誤的に共産党の綱領を問題とし、25日の「プライムニュース」自民党 政調会長代理 田村憲久「赤狩り的アカデミズム狩りの様に、共産党排除論を公然と言ってのける無知を晒していたのだ。」
民進党 代表代行 長妻昭、この異常な状態については、前々回触れている。
つまり、アソシエーション連携(自由連合)と日本共産党の確執としての昭和史上の遅れであり、それについての再研究の場こそが、6月4日ではないのかと言う主題化の問題と言うわけである。
まさに、権力者の赤狩り的「日本共産党」排斥、票操作、民主主義操作によって、「遅れた革命」が、今、敢行されようとしている!と言う事ではないだろうか!?
出版記念シンポジウムのお知らせ
協 賛 ちきゅう座/現代史研究会/社会運動史研究会
https://chikyuza.net/archives/62825
こちらにこそ結実したい!その欲求は、共有されているのではないかと僕は、期待せずにはいられない。
付録:忍者砦通信1
http://akiratakeda2001.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-8d27.html