現行憲法の成果と自民改憲草案を比べてみよう -今一度、参院選の前に考えたいこと -

著者: 岩垂 弘 いわだれひろし : ジャーナリスト
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 いよいよ参院選である。新聞各紙の予想では、改憲を掲げる自民党が圧勝する気配だ。もしそういう結果になれば、自民党は余勢をかって改憲に向けて突き進むだろう。7月16日付の毎日新聞は自民党優勢が伝えられたことで、早くも各党が選挙後に向けて布石を始めたと伝えている。自民党による「戦後レジームからの脱却」が現実味を帯びてきた今、私たちは、現行憲法が果たしてきた役割と自民党が目指す改憲の中身をきちんと知っておかねば、と思う。

 7月2日、労組や市民団体にニュースを配信している連合通信社の理事会があった。そこでも憲法改定を巡る動きが話題になったが、ある労組を代表して出席していた理事の発言が印象に残った。それは「タクシーを利用したので、運転手に『今、政治の世界で問題になっている憲法改正についてどう思うか』と話しかけてみた。すると、私は改正に賛成です、という。理由を尋ねると『だって、今の憲法は古くなったので、もうそろそろ変えてもいいんじゃないでいか』という答えだった」

 この話を聞いて私はこう考えた。
「国民の中にはこうした改憲賛成派が多いのではないか。これは、私たち自身が、これまであまりにも現行憲法の中身を知ろうとしないでのほほんと過ごしてきたことに加え、改憲派によって長年繰り返されてきた『現行憲法は古くなって現実に対応できない』とか『現行憲法は占領軍から押し付けられたもの』といった主張が、国民の間に浸透したからではないか」と。
 それだけに、今こそ、改めて現行憲法が果たしてきた役割と自民党が目指す改憲の中身をきちんと認識しなくてはと思ったわけである。

 日本国憲法の内容と、それが日本の戦後史の中で果たしてきた役割を記述した本は膨大な数にのぼる。私もそのいくつかは所蔵しているが、たまたま手近の本棚にあった『敗戦から何を学んだか――日本・ドイツ・イタリア――』(色川大吉編、小学館、1995年)が目に止まった。これは、「戦後50年」を記念して東京経済大学の主催で1995年5月に開かれた国際シンポジウム「敗戦から何を学んだか」の記録だ。
 この中に、シンポに参加した竹前栄治・東京経済大学教授の『今、日本人は何をなすべきか――戦後改革と戦後補償』と題する講演の記録が収録されており、そこには日本国憲法が果たしてきた役割がコンパクトに要約されていて、印象に残った。

 竹前教授はいわゆる「戦後改革」の成果と限界について述べているが、「成果」についてはこう指摘する。
 「まず、政治面であるが、ここでは第一になんといっても憲法改正によって戦前の絶対主義天皇制が『改体』したことである。『解体』ではなく『改体』といったのは、立憲君主制という枠内での変化であり、天皇制そのものが解体したのではなかったからである。米国政府内の対日政策決定者の一部には、天皇制を廃止して共和制にすべきだという意見があったり、米国の世論の33%が天皇を処刑すべしという主張があったが、『天皇を含む既存の統治機構を支持しないが利用すべし』という米国の基本方針とマッカーサー元帥の政治的判断によって『象徴天皇制』と『主権在民』が実現したのである」  「最近、『東京裁判史観』を批判するなどと称して、『十五年戦争』の侵略性や加害性を否定し、『国家責任による戦後補償』を『土下座外交』と非難する人々もみられるが、サンフランシスコ条約第一一条の『東京裁判の結果の受諾と実施義務』はもちろん、彼らが崇拝する天皇を救った東京裁判の結果を否定するのは自家撞着ではなかろうか」
 
「第二は憲法に戦争放棄条項(第九条)が盛り込まれたことである。この条項はGHO草案に起源をもつとはいえ、戦争の参加からくる国民の被害者意識(このときはまだ加害者意識は希薄)と反戦感情を反映して、進んで受容された。さらに朝鮮戦争を契機に警察予備隊が創設され、保安隊、自衛隊に発展しても再軍備反対の世論は強く、第九条は、自衛隊を専守防衛、海外派兵禁止、GNP一%以内の防衛予算に限定する歯止めとなった。そのため、政府は軽武装、日米安保条約依存、経済発展に政策の重点をおくことができた。したがって、第九条が戦後日本の高度経済成長に寄与した効果は疑いえない」

「とはいえ、第九条の平和主義は、自衛隊の規模拡大、米軍の軍事基地の存在、PKOによる海外出動などによって現実との乖離をもたらした。政府はこの乖離を『解釈改憲』によって、つじつまを合わせてきた。しかし、湾岸戦争を契機に国際貢献と第九条との関係が大きくクローズアップされてきた。すなわち、自衛隊を海外派遣できるよう憲法を改正すべきときがきたとする主張である。……『国際情勢は憲法制定時とは大きく変わったので、普通の国として、軍事面でも経済力に見合った国際貢献のお付き合いが必要』といった主張がある」

「しかし、国際紛争における『正義』の概念があいまいである以上、少なくとも『人殺しに手を貸さなかった』日本の立場は、すこしも肩身の狭いことではなく、堂々と誇れる立場である。ましてや『武器を売りつけ、紛争が起きたから軍隊を出せ』というのは『マッチ・ポンプ』の類で納得がいかない。日本は、毅然として第九条を国是としていることを説明し、非核・軍縮・人権・環境・福祉・経済などの非軍事面での国際貢献を外交の基軸としていることを宣明し行動すべきである」

「第三は、憲法で基本的人権の保障強化をはかったことである。すなわち、思想・信条・学問・表現・出版・集会・結社の自由の保障、検閲の禁止、信教の自由と政経分離などの自由権を保障したのみならず、教育の機会均等、両性の平等権・労働基本権・生存権などの社会権をはじめて規定したこと、さらに、黙秘権、拷問の禁止、自白のみによる有罪判決の禁止、令状なしの逮捕禁止などの人身保護規定を含む刑事訴訟手続きの民主化などを規定した」

「第四は、憲法のなかに地方自治の章が盛り込まれ、地方行政の中央からの独立と住民自身による民主的運営が保障されたことである」

 これらは、18年前に述べられたことである。その後、世界情勢と日本を取り巻く情勢は大きく、しかも劇的に変わったが、竹前教授の日本国憲法に対する評価は今なお基本的には色あせていない、と私には思える。

 これに対し、自民党が発表した憲法改正草案はどんな内容か。
 まず、目を引くのは「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって……」とあることだろう。同党の憲法草案Q&Aには「元首とは、英語ではHead of Stateであり、国の第一人者を意味します。明治憲法には、天皇が元首であるとの規定が存在していました」とあるが、現行憲法で育ってきた者としては、明治憲法に戻るような違和感を禁じ得ない。

 次は第二章だ。現行憲法の第二章は「戦争の放棄」だが、これが「安全保障」と改められている。そして、現行の第九条「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」が「国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。2前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と改められている。そればかりでない。「第九条の二」が新設され、そこには「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」とある。
 これについては「交戦権を放棄した第九条②を削除し、自衛権の行使を認め、国防軍の保持を明白に規定するものであり、これでは第九条第一項の戦争の放棄が完全に空文化する」(日本科学史学会有志の声明)との声が出ている。

 基本的人権に関する規定も改められている。例えば、第二十一条だ。現行憲法には「集会、結社及び言集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とあるが、自民党改正草案では「集会、結社及び言集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。2前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」となっている。「表現の自由」が制約されるのではないか、との指摘が出ている。

 その他、すでに大きな反響を呼び起こしているものに改正規定の改定がある。現行憲法は九十六条で「憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し」とあるのを「衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し」と改めようというのだ。これについては「現行憲法の根幹をなす立憲主義を破壊するもの」との声が絶えない。

 ノンフィクション作家の澤地久枝さんは、雑誌『世界』8月号に書いている。
 「半数以上の人が、棄権をくりかえしている。深刻な政治ばなれを招いた責任は、自民党にもあるし、『この機会に』と改憲姿勢を露骨にしている安倍首相と自民党に対して、無関係をきめこんでいる棄権者たちがどう反応するか。このまま推移すれば、ひどい日がくる」

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