現象描写あれど本質深耕に至らず - 2019年元旦の全国紙を読む -

著者: 半澤健市 はんざわけんいち : 元金融機関勤務
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今回で10回目である。年男の老骨に鞭打ったが、年々密度が薄くなる。
その文、引いて見えていると自己満足している。
まず社説から見ていく。各社の立ち位置、主張がそれなりに見えるからである。

《社説を巡覧するとこうなる》
 朝日社説は「政治改革30年 権力のありかを問い直す」と題して、89年に政治不信への対策として世に出た自民党の「政治改革大綱」から始まる。それは政権交代可能な小選挙区制へと結実した。そして長い過程を経て、行き着いた先が「安倍一強」であり、国会の「官邸の下請け機関化、翼賛化、空洞化」である。そこで国会を強くする必要がある。しかし一から出直すというわけにはいかない。とすれば、バージョンアップで対応するしかない。それに続く提言は、「弱い国会を強くせよ」「解散権の行使再考を」などのスローガンと細かな手続き論の提示である。正論ではあるがまことに平凡な指摘が並んでいる。天下の朝日社説とは思えぬ代物である。正論が30年続いた結果がこの体たらくなのにである。

毎日社説は「次の扉へ AIと民主主義 メカニズムの違いを知る」と長いタイトルである。タイトルの主副が分かり難いが、要はAI技術と人間感情とのギャップについての考察である。脳科学者茂木健一郎の「情報爆発と個々人の処理能力のギャップに目をつけると、悪用を含めいろんなことができる。その意味でAIが人間の能力を超すシンギュラリティーはすでに起きている」という言葉を引用して、社説はこう述べる。「政治的に見れば、SNS(交流サイト)は人びとの不安を増幅させて社会を分断する装置にも、権力者が個々に最適化されたプロパガンダを発信する道具にもなり得る。(しかし)民主主義の価値は試行錯誤を重ねるプロセスにある。」「私たちはこれまでAIに無防備過ぎたかもしれない」「議論をする。互いを認め合う。結論を受け入れる。リアルな肌触りを省いたら民主主義は後退する」と続けながら、次のように結ぶ。「平成が間もなく幕を閉じ、冷戦の終結から30年が経つ。次なる扉の向こうには何が待っているのか」。結論に方向性を期待するとこういうウッチャリを喰うのである。

読売は長文の「米中対立の試練に立ち向かえ―新時代に適した財政・社会保障―」である。国際・外交論が全文の8割ほどを占める。米国の対中認識は、戦略的パートナーから最大の脅威中国に変わった。不安定なトランプ外交に対して、米国を国際秩序維持に関与させること、中国に安易に譲歩せず、高関税の掛け合いには自制を求める。これが日本の対米外交の役割だ。中国も経済にも陰りが見え始めたとはいえ中国を封じ込めることはできない。日本は中国と問題指摘を通じて話し合いを行い国際ルールの順守を求めるべきである。防衛に関しては日米同盟を基盤とし米軍との提携強化、豪州・東南ア諸国との協力を推進することを謳う。
残りの2割は国内論で、平成の30年は「不安定」と「停滞」だったという総括である。その内容と提言は常識の域を出ていない。同文は読売英字版「The Japan News」に英訳が掲載されている。

日経の社説「基調はイノーベーション」は、平成30年間の停滞を、グローバリゼーションとデシタル化に遅れたとする。そして、対策をイノーベーションに求める。中間層の厚さ、世論分断が小さい、多額の内部留保という好条件のもとで、労働流動性向上、分配政策実施によって資本主義と民主主義を守れと主張する。一貫して新自由主義を鼓吹する日経らしい論説である。ただしイノーベーションが、中間層の没落と世論分断に結果するだろうという危惧は語らない。

産経は「年のはじめに」というのが社説である。
乾正人論説委員長が「さらば『敗北』の時代よ」というタイトルで書いている。僅差に迫っていた日米経済は平成時代に米に大差を付けられた。乾は三つの理由をいう。一つは戦後復興に成功したことからの「慢心」、第二に「政治の混乱」(30年間に首相が18人)、第三に中国の共産党独裁政権を支持したことである。天安門事件以後の海部政権による円借款の再開、宮沢政権による天皇訪中の実現など、日本側に取り返しのつかない失策があった。これが中国の成り上がりの出発となった。トランプ政権は、いずれこう言うであろう。「俺をとるか。習近平をとるか」。日米安保があれば大丈夫という思考停止の時代は終わりを告げる。産経社説はこう結ぶ。「厳しい選択を迫られる新しき時代こそ、日本人は戦後の呪縛から解き放たれる、と信じたい」。

産経は編集局長井口文彦が「揺らぐ世界秩序 羅針盤たる新聞に」と題して「リアリズムに徹した取材と分析で、日本が進むべき道を提示していきます」としている。『元号の風景』が始まり、『楠木正成を読み解く』の連載も始めるという。

東京の社説は「分断の時代を超えて」と題する。冷戦終結から自由と競争が激化し、グローバルな格差と不平等の時代となった。目下最大のテーマは民主主義の危機である。社説は、ドイツの政治学者カール・シュミットの「国民を『友と敵』に分断する政治」論を紹介する。今、世界で進んでいるのはシュミット流の「分断政治」である。多数派の独走、議会手続きを踏んだふりをして数の力で圧倒する。国民の権利が奪われている。これが現状認識である。されば健全な民主主義を取り戻すにはどうしたらよいのか。
事実に基づく議論、適正な議会手続き、議員各人の責任感。これが対案である。そしてこう結ぶ。「民主主義は死んだりしません。民主主義は私たち自身だからです。生かすのは私たちです。危機を乗り越えて民主主義は強くなるのです。その先に経済も外交も社会保障もあるのです。分断を超え対話を取り戻さねばなりません」。

《わがなきあとに洪水はきたれ》
 6紙の社説を読んだ感想は以下の通りである。
1.現状分析 テーマは国際的には「米中対立」、国内的には「安倍一強」に収斂する。  共通点はナショナリズムと覇権抗争、格差と分断、技術進歩と人類である。
2.対策と提言
状況の急速な変化、事実の提示に精一杯である。具体的で説得力のある対策は提示
されていない。
3.問題点
自由と競争がなぜ分断と格差をもたらしたのか。東西冷戦が終熄して「資本の論理」が衣装を脱ぎ捨て裸で暴走したからである。即ち「グローバリゼーション」とそれを支える「新自由主義」である。これは私の考えだ。しかしここまで下降して、その原理が「ニュース」にどう現れるかを論じたものはなかった。敢えていえば「日経」の「イノーベーション」推進論、毎日の「AIと民主主義」の対決、東京の「観念的理想主義」が、それなりに現状と対峙していると読んだ。

毎日の一面左の「未来へつなぐなぐ責任」と題する小松浩主筆稿に触れておきたい。国内外の諸問題―大災害・財政危機・格差問題・エネルギー・戦争と平和―を提示したあと、小松はこう述べる。「過去と切り離して、現在があるわけではない。過去の世代が何をなしたかに、あとの世代の生き方も運命づけられる。18世紀のフランス革命前、ルイ15世の愛人として権力をふるい、浪費の限りを尽くしたポンパドール夫人は『わがなきあとに洪水はきたれ』と言ったとされる。『いまさえよければ』が破滅を招いたのである」。そして文章を次のように結ぶ。「日本で今年生まれる赤ちゃんの半分以上は、22世紀を見るだろう。私たちには、世代を超えた重い責任がある。『あとは野となれ山となれ』というわけにはいかないのだ」。

まことにもっともな結論である。しかし、私(半澤)は、フランス貴族の捨てゼリフに共感を覚える。日本の高度成長を支えた企業戦士が、平成30年のゼロ成長を見て、居酒屋で呟くセリフとそっくりだからである。そして、おそらく好況を生きたことがない若者諸君も同じ心情をもっているのであろう。この「明るいニヒリズム」が日本の空間を覆っている。私は、居酒屋で同僚諸君に「この明るいニヒリズムを基盤にして、安倍政権は、日米一体の軍事ケインズ政策へカジを切ったんだよ」と言う。すると彼らは、納得したのか納得しないのか不明だが、明るい微笑を私に向けてくるのである。

《スクープ・特集・インタビュー・座談》
 朝日が一面トップで「昭和天皇 直筆原稿見つかる」と打った。晩年の作、252首である。直筆であるだけでなく、訂正や注記が残されていた。その中の二首に関する作家半藤一利(88歳)のコメントについて触れる。

■国民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはずかしきかな
(国民の祝いを受けて嬉しきも振り返りみれば恥ずかしきかな←半澤の変換)

■その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは
(その上に君の言いたる言葉こそ思い深けれ残して消えしは←半澤同)

一首目は、1986年4月29日の天皇誕生日、在位60年の記念式典に詠んだもの。「はずかしきかな」について、半藤はこう述べている。「戦時中に勤労動員された私は、その式典まで昭和天皇には大元帥陛下としての戦争責任があると考えていた。ところが、式典の最中、天皇のほほを涙がつたい、先の戦争による犠牲を思うとき、『なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します』と語った。今回の原稿にこうある(ここに第一首が入る)。あの涙は偽りではなかったのだと、今、改めて思う」。

二首目は、元首相岸信介が死去したときに詠んだ歌である。
半藤はこう述べる。「天皇自身の注釈として『言葉は声なき声のことなり』とある。安保改定が国論を二分し、国会をデモ隊に包囲される状況の中で岸首相が語った『いま屈したら日本は非常な危機に陥る。私は《声なき声》にも耳を傾けなければならぬ』を思い起こさせる。(中略)『声なき声』」という注釈と歌を会わせると、昭和天皇は、岸首相の考えを『おもひふかけれ(思い深けれ)』と評価し、深く思いを寄せていたのかと複雑な思いにとらわれる。(中略)あるいは日米の集団的自衛を定めた安保改定に賛成の気持ちを持っておられたのだろうか。それをうかがわせるような直筆の言葉がのこされていることに心から驚いている。生涯、大元帥としての自分がなかなか抜けられなかったのか」。

半藤一利の、言葉を選んだコメントは、デリケートな感情を表現している。戦争責任については免責に近い感情を表しているように読めるし、安保に関しては「心から驚いている」と言っている。私はいま堀田善衛の著作を読んでいるが、そこでの強い昭和天皇批判に比較して、随分穏やかな言葉であると感じる。「記憶」が「歴史」に変わるとき人の心情がどう変化するかを示したものとして、私は興味深く読んだ。
朝日は一面でAIに人工集中から見た「2050年の日本」を予想させている。京大と日立の協力を得て出た結果は2万通りに及んだ。このまま都市集中型が続くと国自体が持続不可能になるとの予測が出ている。相当な地方分散型の人口集中が、辛うじて持続可能なシナリオが描けることになる。「明るいニヒリスト」にとっても厳しい選択は襲いかかっている。
AIの利用に関しては、日経が「新幸福論」という続き物で取りあげ、アタリ、オズボーン、山際らの識者の意見を示すなど興味ある分析を載せている。日経は恒例の経済と金融の予想を企業経営者や市場専門家に質問している。日経平均株価についてだけ触れれば、予想中で2019暦年の最高値は26000円、最安値は18000円である。

東京が映画監督是枝裕和にインタビューした。監督は今、パリでカトリーヌ・ドヌーブ主演の映画を撮っているのである。全編フランス語で、スター女優とその娘の関係を描くものという。今年公開予定である。昨年『万引き家族』でカンヌ映画祭の最高賞パルムドールを獲得し、新年には「朝日賞」に輝いた是枝の言葉から一部を抜き出しておく。
よく考えた人の言葉である。

「(権力側の)『大きな物語』に回収されないためには、それぞれの作り手が、多様で『小さな物語』を自らの足元に一つずつ置いていくことが大切だと思っています」。
〈問い:受け手はそれらから気付きがあればいい?〉
そうです。今の閉塞状況への新薬を一本の作品に期待するのは逆に危険。映画や小説にできることは恐らく、免疫力を少しでも高めていくような地道な作業だと思う。今は免疫力が弱まっているから、いろんな病気にかかってしまうのでは。

産経が、櫻井よしこが司会して安倍晋三首相とバイオリニスト五嶋龍の「新春対談」を掲げている。五嶋の発言は、安倍礼賛が思ったより少なく、少しは批判的な質問もしているのが面白いといえばいえる。

産経の皇室記事は代替わりの行事、式典などを列挙し祝祭性を強調している。朝日が今上天皇と皇太子両夫妻の象徴性、反戦平和志向を強調するのと対照的である。確かに一連の祝祭で天皇家と安倍政権は物理的に一体化する。その回路で新天皇を「大元帥路線」に取り込む。そんなことを考えている人間がいるかも知れない。

読売は小澤征爾インタビューを載せた。若手養成の楽しさを語る鬼気迫る小沢の表情が痛々しい。同じく「読売新聞オンライン始まるよ」という4頁ものがあったが、印刷板読者は無料でアクセス可能とあるだけで瞥見の限りオンライン版のみの料金表示はなかった。

《なかなか全部に手が回らない》
 定評ある日経の文化面を反映して「元旦第三部」という紙面で「平成の『ベスト5』」と題して、文芸・演劇・映画・音楽の各ジャンルから5本ずつ、批評家が選んだものを解説していた。意表をつかれたなかなか面白い企画である。因みに各ジャンルのベストワンは次の通り。
■文芸 『1Q84』、村上春樹、2000-10年
■エンタメ『ホワイト・ジヤズ』、ジェイムズ・エルロイ、1992年
■演劇 『S/N』、ダムダイブ、1994年
■歌舞伎 歌右衛門『建礼門院』、歌舞伎座、1995年
■映画 『アバター』、ジェームス・キャメロン監督、2009年
■映画 『バトル・ロワイヤル』、深作欣二監督、2000年
■音楽 『アッシジの聖フランチェスコ』、読売日響、サントリーホール、2017年
■ポップス 『sweet19blues』、安室奈美恵、1996年

朝日賞、毎日芸術賞など書きたいことは多いが紙数が尽きた。以上でご勘弁を願う次第である。(2019/01/02)

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