我が家の愛猫・とらは、物言わずとも私に多くのことを教えてくれました。 共に暮らす内に猫のことから愛護動物一般に関わる常識を具えることが出来るようになったのです。
最初は、単に可愛いから、と我が家の飼い猫にしたとらを通じて動物保護の現実を見ることが可能にもなったのです。 そして当初の自分がとら可愛さのあまり、とらの母親や兄弟達を無視した勝手さをも反省しました。
その反省から、次々と飼い主の居ない猫達を我が家に迎えたのでした。 と言いましても、十数頭の猫達ですが、愛猫・とらが老いて腎臓を悪くしますと、多くの猫達の面倒を見切れなくなり、有料制で保護団体に引き取って貰いましたし、里親が見つかり飼い猫として引き取って貰った仔達も居ます。 同時に保護団体の一員にもなり、寄附もしています。
愛猫・とらがこの国の愛護動物のおかれた現実を教えてくれたことになります。 それは、国民一般に社会福祉の恩恵が充分に行き渡ることの無い現実は、同時に犬や猫達愛護動物がおかれた現実が、更に過酷であると承知する他は無かったことになる道理であったのでした。
即ち、年間に保健所で殺される犬や猫の数の単位が「万」であるのがこの国の現実です。 生まれたばかりの乳飲み仔を殺す非道さがこの国の愛護動物と呼ばれる動物達を待つ一つの運命なのです。 しかもそれは、行政が行う施策であり、一般国民は更に非道な所業を動物達に対して行っていますが、先進諸国では常識となった動物虐待を犯罪として取り締まる施策は不完全なまま放置されています。
今、一般では「猫ブーム」と呼ばれる程であり、犬の飼育数を上回ったそうですが、猫も生き物であり、しかもその飼育は人間の子供とは相違して「終生」であるのを理解する必要があります。 可愛いのみでは動物の飼育は出来ません。 まず一定の金銭が必要ですし、飼い主は動物飼育の知識が要り、その世話に一定の時間を割かねばなりません。
保護活動をしていますと、身勝手な飼い主が多いので腹が立つことが多くなります。 殺すしかない行政の無能と相半場して腹が立つのが身勝手な飼い主です。
由里も愛猫・とらを通じてその種の怒りを感じることが多くなるのかも知れません。 でも、由里の怒りは、とらへの愛と裏腹です。 由里ママがダンケルクで大暴れ?(298字)をご覧ください。
紺碧の海を下に見てRAF(英国空軍)スピットファイア二機が飛ぶ。
「下がダンケルクだよ~、とら。 燃料を確認するのよ。 」
「OK、ママ! 燃料は、大丈夫だよ。」
「とら! 三時の方向に敵機! 散れ!」
グワ~!!
「ママよりとらへ! おケツにナチ野郎だ! 」
「ママ、僕、怖い!」
「ママに任せな! とら、一二の三で左に旋回せよ! 一、二、三! 」
ドドドド! ドドドド!
「くっそう! ナチ野郎め! 落ちろ! この由里姉さんに勝てるナチ野郎が居るものか! とら、何処へ行った? とら、応答せよ!」
「こうなったら、とらの仇討ちだ! ナチ野郎を大掃除だ! 」
「あ、あ~! 夢か~。 ま~た、ま~た、変な夢、見ちゃった~。 段々と過激になる~、あたしの夢。」