長年の間、愛猫・とらと暮らしていますと、自分の中で、ある種の価値観が変わるようでした。
今の今まで、大切に思って来た価値ある物なり、考え方なり、具体的と抽象的とを問わずにある範疇の事物が無価値になり、代わって、猫のとらが其処に位置付けられたように思えました。 そして、とらが猫では無くなりました。 猫以上の人間に近い存在に変わってしまったのでした。
それには、とら自身が猫以上の何かであった故もあった、と今では考えています。 例えば、私が思うに、とらは、一般的に言われる処の猫の知能以上の知能を持っていた、と。 加えて、人間には無い猫特有の知能なり、能力が一般的な猫以上に高かった、と思います。
例えば、とらは、自分の気配を完全に消すことが出来ました。 自宅で愛猫・とらと何度もした遊びですが、かくれんぼをした時には、私が押入れ等に隠れてもすぐに見つけることが出来たとらを、私が探す時には、なかなか見つけることが出来ませんでした。
ある時、何度も探した筈の玄関の扉の後に木像のように気配を消して佇むとらを見つけたのです。 何度も探した筈の場所にです。 まるで仏像のように微動だにせず、です。
野生では、獲物を得る時に役立つ能力なのでしょう。 猫には犬にあるような体臭がありませんが、それもこれも獲物の鼠を捕るために発達した能力なのだ、と思い知る次第でした。
加えて、猫には人間の愛を得る独特の力がある、と思っています。 由里もその力には抗し得ずに愛猫・とらの僕になって行くようです。 由里の夢まで支配するかのような愛猫・とらの僕に。
以下は、由里ママが愛猫・とらの仇討ち?(299字)と題した小話です。 マカロニ・ウェスターンとダーティ・ハリーが合体しています。
パ~パラパ~、とマカロニ・ウェスターンの曲・・・。 ガンマンスタイルの由里。
「親父! 棺桶三つ。」
「へ?」
ジャジャ~ン。
「何か用か? 姉ちゃん。」
「あのね~。 うちの仔が『ママ、悔しい。』って言うのさ。 猫だから馬鹿にされたって。 謝ってくれない、家のとらに。」
「何だって? 謝れだ~? 猫にか?」
「そうよ。 猫でも私の仔だから。 あいつらが謝らなければ、ママが仇討ってやる、と言ったのよね~。 スミスとウェッソンに助太刀して貰って。」
「何だって? スミスとウェッソン何て何処に居る?」
「あたしの腰の44マグナムよ。」
ババババ~ン。
「親父。 棺桶、三つじゃなくて四つよ。」
「あ、あ! 夢か。 ま~た変な夢、見ちゃった。 あたし。」