画家藤田嗣治の紹介に感謝

内田弘専修大学名誉教授が富田芳和著『なぜ日本はフジタを捨てたのか』を紹介しておられる(2018年 10月 13日カルチャ-)。大変参考になった。はじめに感謝申し上げたい。

ピカソの画集やドラクロワの絵を見たことがあるが画家藤田博嗣の絵はいくらか見たに過ぎない。また絵画や映画にもくらく,タ-ナ-の絵やモンドリアンの絵がどうのこうのと言われても,よく分からない。しかし文芸評論家の故・加藤周一がフジタについて書いた一文『藤田嗣治私見』(加藤周一自選集10鷲巣力編,pp.367-371 岩波書店)を読んでいたから,どんな画家なのか気にはなっていた。

「・・その画面には戦争賛美も,軍人の英雄化も,戦意昂揚の気配さえもない。・・」と加藤は書く。小生もフジタの絵をいくつか見てそう思う。

「しかし,敗戦後日本の画壇では藤田の戦争協力を批判する声が高かった。私は日本を去る前の藤田嗣治に会ったことを思い出す。・・。」。

内田先生のご紹介により日本の画壇の誰が,どんな一派がフジタを批判したかが分かった。恐るべし,嫉妬心。しかし小生は,絵画とは関係ない最近の,熊本市議会の事件を思い出した。飴玉(ノド飴?)を舐めながら議場に入ったので懲罰にかかったというのである。その議員は議会の権威を穢したのであろうか。

伝え聞くところによれば,嫉妬心ではないだろうが,全体・画一主義がノド飴議員を懲罰に掛けることを提案したということである。異物とは言わないが,村八分的な要因があったような気がしてならない。

敗戦後の日本画壇にも軍部協力画家を排除するという力が働いたように思える。加藤は「藤田は確かに軍部に協力して描いたが,戦争を描いたのではなく,戦場の極端な悲惨さも,まさに迫真的に描き出したのである。そこから戦争についてのどういう結論を導き出せるかは,画家の仕事ではないと考えていたのであろう」と加藤は画家藤田を擁護する。

ノド飴を口に入れて議場に入ったということだけで懲罰にかかることと,軍部に協力したというだけでその悲惨さを描いた内容を知らずして画壇から追放したということとには日本の文化の何か共通なものがあるような気がしてならない。