異論なマルクス 投票マシンとしての価値形態論

さて、先の論考では価値形態論を論理マシンに写像してその動作を考察してみたが、今回は全く平等な有権者相互の投票行動を実行させる投票マシンの動作に変換して、その投票行動の結果を見てみよう。

有権者の集合C(C1,C2,C3,…Cn)があって、それぞれの有権者はn-1の票を持ち、それを他の有権者全員に対しに必ず一人に一票投票するような投票行動を想定する。結果は簡単で、全員がn-1票獲得することになる。全員が平等で対称な投票行動するのだから当たり前の結果でしかない。一人だけが他の有権者に対して多くの票を獲得することはありえない。

ここまでの結果は、資本論価値形態論でいえば拡大された価値形態のところまでである。ところが、一般的価値形態になるとたった一人の有権者が他の有権者の投票を独占している形になっている。平等な成員からなる有権者相互の投票行動からは絶対に出てこない帰結なのだ。もう少し詳しく見ると、この唯一の投票独占者にだけ他の成員は自分の権利のあるn-1票の中から1票を投じて、他の有権者には票を投じない、という投票行動に代わってしまっている。つまり全く平等でフラットな世界から一人の独裁者の世界にとつぜん「変革」が生じてしまっているのだが、それが可能であるのはこの独裁者だけに投票するよう全員があらかじめ「洗脳」「買収」されている場合だけである。いってみれば結果があらかじめわかっている出来レースの選挙が行われているのだ。これを論理の世界の言葉で言えば「論点先取」となるのではないか。

宇野式解法の拡大された価値形態の交点に他のすべての商品の等価形態に置かれる商品が生じて一般的価値形態が生成するという論法では、この交点に立つ有権者は自分では他の有権者に投票しないが、他の有権者は自分の有するn-1票を一票ずつ他の有権者に投ずるという行動を守る形になっていて、その時、この交点に立つ有権者の票が投じられていないので他の有権者の獲得する票は均並みにn-2票で、交点に立つ有権者はこれまで通りn-1票獲得して「当選!」と相成るわけなのだが、一体1人だけが投票行動を取らないという事態はどこから生じたのだろうか。ここでは断りなしに投票ルールの改変が行われているのである。全員が同等な投票行動をとれば先に見たように得票に偏りが生じることは絶対にありえないのである。

こういう基本的な構造問題を等閑視して、「価値形態論の変革」(永谷清)なんぞを標榜しても空しいだけであろう。

以上

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〔study971:180511〕