多くのメディア、良心的な?とされる報道番組や新聞に至るまで、眞子さんと小室さんの結婚報道を見ていると、もう、男女平等、ジェンダーを語る資格があるのだろうかと思ってしまうし、結婚する二人、その家族らへのバッシング報道には、うんざりというよりは、怒りさえ覚える。
たとえば、直近の眞子さん30歳誕生日の記事を見てみよう。
「眞子さま30歳に 皇族としての最後の誕生日」『毎日新聞』(2021年10月23日)
「眞子さま30歳 26日に婚姻届 皇族最後の誕生日」『東京新聞』(同上)
「眞子さま30歳 皇族最後の誕生日」『朝日新聞』(同上)
いずれの記事も、当然のことながら、10月26日に小室圭さんと結婚することに触れるが、眞子「さま」、小室圭「さん」という敬称の表記は変わらない。また、同日には、つぎのような記事もあった。どちらかといえば、皇室や小室圭さんバッシング報道にやや批判的な側面を見せる記事でも同様であった。
「眞子さまの結婚から見えたもの―自粛まとう皇室 もっとアピールを」(デーブ・スペクター談/聞き手・武田啓亮)『毎日新聞』
「週刊ネットで何が・・・〈小室さん〉扱えば〈ドル箱〉に」(ニュースサイト編集者・中川淳一郎)『東京新聞』
週刊誌も、広告の見出しの限りだが、一様に「さま」「さん」である。あの「週刊文春」『週刊新潮』も同様であった。たまたま見ていた10月23日TBS「報道特集」の金平キャスターは「さん」と言いかけたように聞こえたが「眞子内親王」と言い換えていた。なお、敬称の限りでいえば、森まゆみ「寄稿—眞子さんの結婚に思う」(『朝日新聞』10月22日)では、「さん」で貫かれていた。
この現象はたんなる些末にすぎないのだろうか。こだわる私がおかしいのだろうか。
また、これも、冒頭の誕生日の記事で、いずれも「30歳」が主たる見出しになっていたことにも、違和感を覚えた。これらの記事に誘発されて思うのは、まじかに控えた「結婚」ということではないか。男性皇族の結婚の場合、年齢が見出しになることがあっただろうか。「皇族最後の誕生日」はいいとしても、とくに年齢を見出しにすることもなかったのではないか。内閣府の発表によれば2019年現在の結婚平均年齢は、男性が31.2歳、女性が29.6歳なのである。
先の敬称の差は、何を意味しているのだろうか。その根底には、天皇制という不平等の根源を、日本国憲法が擁していることにあるはずだ。こうした憲法のもとに、法律や政治、教育やメディアが、呪縛とも思わず動いてきたのではないか。支持基盤が高齢化して危機感を持ち、ひたすら自民党に縋り付きたい公明党の山口代表、共産党は「天皇制は憲法違反である」と主張する党だとの演説に、あわてて否定する共産党でもある。
少なくとも、象徴天皇制といえど、政治に利用されてきた存在であって、民主主義とは相容れない制度であることを私たちは自覚し、天皇はじめ皇族方の政治利用を監視しつつ、皇族方には、なるべく、静かにしてもらいながら、私は、その終焉を願っている。
初出:「内野光子のブログ」2021.10.24より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/10/post-1b9b85.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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