短歌に読まれた「老い」―老いを生きる(2)

 私は前回、上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジング』の著作を紹介しながら、現代社会に根強い「アンチエイジング」の風潮に抗して、いかにして「エイジング」=「老い」を真っ当に受け止め生きていくのか、その問題意識(だけ?)を提示したつもりである。

 これからも引き続き、現代社会の「老い」の実相をさまざまな角度から考えてみたいと思っているのだが、今回は、私も少しだけ関わっている「短歌」の世界を選んでみることにした。

 たまたま手元に、小高賢『老いの歌―新しく生きる時間へ』(岩波新書 2011.8)がある。だが発行年を見ると14年半も前の刊行である。この「差」は、「老い」に焦点を当てる際に、やや長すぎる(古すぎる)かな・・・と危惧したが、日本の戦後の男女の平均寿命の推移を見てみると、大きく「現代社会!」という大枠の中に括りこんでOK!という感触を得た。

 下の数字が、戦後日本の平均寿命(男女)の推移である。ある意味では当然なのであろうが、戦後の経済成長の度合いと、この男女の平均寿命の延長度のカーブがほぼ重なっていることが分かる。1950年代から1980年にかけて急速に伸び、その後のカーブは緩やかになり、2020年度が最高値となっている。この数値を参照すれば、2010年と2020年とは、ほぼ同じ「少子高齢化社会」というカッコ内で議論しても、ほとんど差し支えはないものと思われる。

 1955年  男:63.60  女:67.75

 1960年  男:65.32  女:70.19

 1970年  男:69.31  女:74.66

 1980年  男:73.35  女:78.76

 1990年  男:75.92  女:81.9

 2000年  男:77.72  女:84.60

 2010年  男:79.55  女:86.30

 2020年  男:81.64  女:87.74

 2024年  男:81.09  女:87.13

近代短歌(相聞と挽歌)を超えて

 私自身も「短歌」(百人一首などの和歌ではなく)というものに出会って、心が「じゅんじゅん」と震えたのは、小学校の教科書に出てきた石川啄木が最初であった。しかも、彼が肺結核を罹っており、享年は26。その「早世」に圧倒された。ただ、「早世」は啄木だけでなく、与謝野晶子のライバルとされた山川登美子は29。一方、晩年は「寝たきり」だった正岡子規も、全25巻の全集を残すほどの仕事をなしとげながらも、享年は34という。

 厚生省の「簡易生命表」によると、明治半ばから大正にかけて、平均寿命はほとんど変化せず、男女とも43、44歳だったという。写真だけで見る夏目漱石、伊藤佐千夫、島木赤彦なども、「貫禄ある老齢?」に見えるけれども、それぞれ享年は、49、48、49だったという。

 一方、当時の乳幼児の死亡率は高かった。恋人や夫の死を悼む「挽歌」の他に、幼児の死を前にした挽歌にも胸が打ち震える。(p.16)

 

 笑ふより外はえ知らぬをさな子のあな笑ふぞよ死なんとしつつ

 ()えずとてうれへし歯はもかはゆきが灰にまじりてありといはずや

                  (窪田空穂『鳥声集』)

 しみじみとはじめて吾子をいだきたり亡きがらを今しみじみ(いだ)きたり

 今はもよ小さき棺のなくなりし家ぬちに来てひとりすわれる

                  (古泉千樫『屋上の土』)

 

 他方、「老いは人生の例外的ステージであるから、関心を呼ばない。つまりほとんど歌われていないのである。」(p.18)

 

斎藤茂吉の最終歌集『つきかげ』をめぐって

 斎藤茂吉は、1882(明治15)年―1953(昭和28)年、戦前から戦後初期にかけて、いわゆる日本の近代短歌「アララギ」の中心人物として有名である。享年70。

 その彼の最終歌集に『つきかげ』がある。

 そこには、もちろん彼特有のアララギ調の秀歌も多く創られている。

 

 暁の薄明に死をおもふことあり除外例なき死といへるもの

 茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ(とほ)のこがらし

 いつしかも日がしずみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも

 

 しかし、例えば次のような歌も、当たり前に並べられている。

 

 欠伸(あくび)すれば傍にゐる孫真似す欠伸といふは善なりや悪か

 税務署へ届けに行かむ道すがら馬に逢ひたりあゝ馬のかお

 銭湯にわれの来るとき浴槽(ゆぶね)にて陰部をあらふ人は善からず

 不可思議の面もちをしてわが孫はわが小便するをつくづくと見る

 

 以上のような歌が多く所収されている茂吉の最後の歌集。これを上田三四二(みよじ)はバッサリ切って捨てようとする。「この一種異様な声調の印象は、読者を混乱させる。混乱させられて、読者はあるいはこう言うかもしれない。『つきかげ』さえ、なかったならば、と。」(『茂吉晩年』)

 ところが、小池光は、上田に反対し、歌集『つきかげ』のもつ面白さを強調している。「異様ということであれば『白き山』で茂吉が終わっていたならば、話が出来すぎているようにおもわれる。」(「混沌(カオス)の否定」「現代短歌雁」12号)

 そして、本書の著者小高賢は、小池光氏同様、この斎藤茂吉の「老い」の歌に「どこか底がぬけているような感じ(豊かさ)を感じとっている。

「1首目の下句。あるいは2首目のような俗な素材。そして結句の飛躍。いずれも大真面目でおかしい。・・・3首目の感慨は不思議である。奇妙な感想は奇妙な笑いを生む。茂吉は真正面からぶつぶついっている。こういう細部へのこだわりも老いの歌の奥深さであり、ひとつの特徴である。4首目から、孫の顔が浮かんでくる。あたりののどやかさが伝わってくる。短歌がかつて一度も描かなかった世界が現出しているといえるだろう。」(p.29)

 今回は、日本の大御所斎藤茂吉の短歌をいきなり取り上げたけれど、周知のように、日本では数多の短歌結社、短歌集団が存在している。また各新聞では土曜日・日曜日には「歌壇・俳壇」の紙面が設けられている。各大学にも「短歌愛好会」などのサークルも少なくはない。このようにプロから「素人プラス」という層にまで短歌人口は広がっている。他にも、歴史的な歌人を記念する「応募短歌」の催しや、都道府県が企画する「応募短歌」も珍しくはない。

 斎藤茂吉の最終歌集に見る「老いの歌」に関わって、『老いて歌おう』というアンソロジー(宮崎県社会福祉協議会)の2009年度版の優秀作を、今回の最後に紹介しておこう。

 

 老いてこそこころ淋しく園内婚九十六歳かがやいており(中辻百合子・89歳)

 この年を年だ年だとバカにする悔しかったらここまで生きろ(伊藤みね子・92歳)

 亡き母が夢に出できて痛む足さすってくるる何も言わずに(関口すみ・88歳)

 気のむけば今でも針を使いおり私の服は着やすいという(野崎千代・97歳)

 老いたれどまだ一人寝の寂しさは二十歳の頃と変はらざりけり(清水芳枝・86歳)

 幼き日「万の倉より子は宝」と祖父いつも言い今わたしが言う(池田ハルエ・102歳)

                         (とりあえず了)2025.12.6

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