石川啄木と難波大助と山上徹也と

(2022年8月28日)
よく知られた啄木の短い詩に、「ココアのひと匙」がある。

 われは知る、テロリストの
 かなしき心を――
 言葉とおこなひとを分ちがたき
 ただひとつの心を、
 奪はれたる言葉のかはりに
 おこなひをもて語らむとする心を、
 われとわがからだを敵に擲げつくる心を――
 しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。

 はてしなき議論の後の
 冷めたるココアのひと匙を啜りて、
 そのうすにがき舌触りに、
 われは知る、テロリストの
 かなしき心を。

 明らかに、「おこなひをもて語らむとする心」を肯定したテロリストへの共感が詠われている。この詩には、「一九一一・六・一五 TOKYO」と付記があるが、同じ日付の詩に、「はてしなき議論の後」がある。「われらは何を為すべきかを議論す。されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、‘V NAROD!’と叫び出づるものなし」という、あの鮮烈な言葉。こちらは、理論倒れで行動に出ることの出来ない軟弱な自分を責めている趣きがある。

 啄木がこの詩を編んだ1911年の1月18日、「大逆事件」の判決が言い渡されている。幸徳秋水以下24名が死刑となった。罪名は大逆罪、よく知られているとおり、「(天皇等に)危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ處ス」という条文。「危害ヲ加ヘントシタ」だけで死刑、未遂でも、予備・陰謀でも、死刑なのだ。他の刑の選択の余地はない。

 管轄は大審院、一審にして終審である。上訴はない。早々と1月24日に11名、25日に1名の死刑が執行された。他は、「天皇の慈悲による」特赦で無期刑に減刑という。恐るべし天皇制、恐るべし天皇制刑法とその運用。ムチャクチャというほかはない。

 こんな時代、「奪はれたる言葉のかはりに おこなひをもて語らむとする心」に共感を寄せつつも、「冷めたるココアのひと匙を啜りて、そのうすにがき舌触りに、われは知る、テロリストのかなしき心を」と唱うことが精一杯であったろう。

 啄木はかなり詳細に、大逆事件でっち上げの経過を知っていたようである。従って、啄木が共感したテロリストを秋水とするのは当たっていないようだ。

 むしろ、啄木没後の1923年、関東大震災直後の虎ノ門事件(1923年12月27日)における難波大助の方がテロリストのイメージに近い。当時の皇太子裕仁(摂政)をステッキを改造した仕込銃で狙撃した。銃弾は車の窓ガラスを破って同乗していた東宮侍従長車が軽傷を負ったが皇太子にはかすり傷も負わせなかった。それでも、死刑である。

 これは大事件だった。震災復興を進めていた第2次山本権兵衛内閣は引責による総辞職を余儀なくされた。警視総監から道すじの警固に当った警官にいたる一連の「責任者」の系列が懲戒免官となっただけではない。犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って一歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝を廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞の徒をかつて教育した責を負って職を辞した、と丸山眞男の「日本の思想」(岩波新書)の中に、「國體における臣民の無限責任」という小見出しで記されている。

 山上徹也は皇太子ではなく、元首相を銃撃した。こちらは既遂である。時代は変わった。難波大助に比較すれば、まともな裁判を受けることができるだろう。そして、今、世論の風当たりは山上にけっして厳しくなくなっている。

 さて、仮に石川啄木が今にあって山上徹也に、「われは知る、テロリストの かなしき心を」と共感を寄せるだろうか。私は思う。けっしてそんなことはない。あの時代の、あの天皇制の苛酷な支配下の大逆事件であればこそ、啄木は「テロリストへの共感」を詩にし得た。今の世、山上の行動への共感は詩にならない。

 今の世、まだ言葉は奪はれてはいない。奪われた言葉のかはりにおこなひをもて語らむとする心は、詩にも歌にもならない。
 やはり100年無駄には経っていないのだ。私はそう思う。銃撃に倒れた安倍晋三をいささかも美化してはならないにもせよである。
 
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.8.28より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=19843

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