久しぶりに、恩師大井正(1912-1991)の「罪について―ときには思想史的に―」(明治大学『政経論叢』59-1・2、1990年)を読み返した。大井は言う。「タブーを呪術とみて、これを宗教とは区別する見方がある。しかし、わたしはこの見方をとらない。宗教を儀礼主義からとらえるならば、儀礼はすべて呪術である。儀礼は、神に対する人間からの要求のために行われる行為である。共同体の反映、農耕の豊饒、船舶の安全などがその主要な側面をなしているが、この儀礼全体の入口にタブー行為がある。タブーがどんなに頻繁に行われようとも、儀礼としてみれば、その主要な側面ではない。しかし、このタブーを除いては、すなわち呪術を除いては宗教は成り立たない。」(p159-160)
この引用箇所は、いまだ大井晩年の存命時に、私が次のような内容で批評した個所である。「大井がここで論じる『神』は先史社会や野生社会の神であるから、すくなくともGodではない。spiritsである。タブーはGodに関係ないところで形成された。先史社会や野生社会ではspiritsに関係してタブーが形成された。先史人や野生人は宗教を知らない。そこからやがて宗教が発生してくる土台の精神運動を知っていただけである。『神への要求』はフェティシズムに起因する。儀礼は神を前提にするのでなく、神を産み出す行為である。これをフェティシズムという。」
ところで、大井は論文の最後のところでこう記している。「わたし自身のテーマ概念は、悪ではなく罪である。悪と罪とは厳しく区別される必要があるのかどうか。実は、わたしはこの研究を志して以来つねにこの厳しい区別を意識しているのである。わたしはまず、神と対決することを必要とするのである。神が観念にすぎないとしても、その観念を戦いの相手に、わたしは選んでいる。このさい自分も傷つく可能性があることを覚悟している。観念を相手にして。このテーマ概念がどれだけ現実的であるかは、自分の判断ではなくなっており。ネクラの戦いかもしれない。しかし、死の直前、老化のはてにやっとこの仕事にはいった。多忙だった。健康上の不意な事故にもあった。いや、相手を軽視した。」(p182)
大井は幼少のころキリスト教の書物を多読した。それで観念的=静的にはキリスト教に深く入って理解した。けれども、身体的=動的には唯物論を受け入れた。そして、最晩年、神と戦うことを決意する人間となった。そのような思想家に教えを受けることのできた私は、研究者として、もはや何も惜しむことはない。
なお、大井死去に際して、私は『季報・唯物論研究』から追悼文寄稿の依頼を受けた。そこで同誌の38・39合併号(1991)に以下の文章を載せた。ほんの一部を抄録する。「先生が昨年発表された『罪について』の最後の数行に、次の一節が読まれる。『わたしはまず、神と対決することを必要とするのである。神が観念にすぎないとしても、その観念を戦いの相手に、私は選んでいる。このさい自分も傷つく可能性があることを覚悟している。観念を相手にして』。(中略)ところで、大井正にとって神とは一体何なのか?――この質問に答えられる者はだれもいない。(中略)わたしなりに大井先生の立場を論じさせていただくなら、こうなる。己が神を己が好みで選び取り、これを拝み、打ち叩きもするフェティシストが唯物論者であったと同様、神は観念(模写)にすぎないと前おきしてこれと戦おうとする大井正もまた、どこまでも唯物論者たらんとしているのである」。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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