福島甲状腺がんと鼻血、その弁証法的帰結

私は弁証法的な精神の持ち主だから、対立する所説に関してそれを一面的に否定し去ることはしないで、いったんはその話を真剣に聞き言い分を受け入れる、という過程を必ず踏もうと努めるのだ。いわばこれは自己チュー的なヘーゲルのそれではなく、対話を旨とするソクラテスのそれに極めて接近した姿勢だといえよう。

 

さて福島甲状腺がんの見かけ上の多発については、これまでの拙稿の中で繰り返し福島第一原発起因の放射線被曝によるものではなく、数年程度過去にあった何らかの事象によるものだという見解を示し、岡山大津田先生の「アウトブレーク」説に対しては疑問を提起してきた。が、ここではいったん津田先生の説くところをそのまま受け入れ、その含意を一層延長した場合何が想定されるか、そこに焦点を当てて考察してみたい。

ちょうど去る7月26日に開催された例の悪評芬々たる長瀧重信長崎大学名誉教授が座長を務める「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」 第8回の議事録が下記にて公開され、招集された専門家の一人として津田先生の発言も記載されているので、それも参照しながら論じてみる。
http://www.env.go.jp/chemi/rhm/conf/conf01-08b.html

 

この会議の中での津田先生の発言で極めて重大なのは、福島甲状腺がんの多発のこれまでの論理に加え、資料中では表現されていない論点として、これまで通説的に唱えられていた甲状腺がん発病の機序である半減期の極めて短いヨウ素131の甲状腺への蓄積に加え、

今も続くセシウム系に代表される放射性同位元素からの被曝を関与しているとされている点である。津田先生はこれまでのがん統計と比較して、福島での甲状腺罹患率が数十倍であることを主張されてきているのは周知のとおりであるが、半減期の極めて短いヨウ素131だけが原因であるとすると、すでにそれは事故から3年余りが経過しており、今更「予防原則」に則って対策を考えるにも被曝は過去のもので、なす術がない、しかし今も残留する放射能からの被曝が甲状腺がん多発を加速しているから、汚染地域から避難を早急に進めよ、とご主張されていると読み取れる。

この多発の倍数については、先生は換算に用いる有病期間を発表の機会ごとに、いくつか違う数字を用いられているので、ここでは倍数を簡単に50倍として見る。津田先生は初期のヨウ素131による多発寄与度と残留放射能による寄与度を定量的には明らかにされていないが、先生の切羽詰まった語調から推測するに、恐らくや数倍を想定されているのだろう。ここでそれをまた簡単に5倍とすると、初期のヨウ素131の寄与度は10倍ということになろう。

ここまでは単純な算数の世界の話なのだが、残留放射能による寄与度が仮に5倍であるとするならば、甲状腺がん以外のがん発生についても、同様の事態が生じていると推定すべきではないだろうか。もしこれが正しいならば、この国のがん統計に従えば現今の死因の30%ががんであるとされており、福島では今後ある時点からは事故死以外の病死はすべてがん起因となろう(30%X5=150%!)。しかもこの残留放射能による被曝によって、発がん時期も前倒しされていると見るべきであるから、甲状腺がん発症のペースに相似な形でそれが観察されてくるだろう。

もうそれは始まりつつあり、来年再来年には甲状腺がんとならぶ一般がんの発症多発という事態が襲ってくるということになろう。

津田先生は、今述べた一般がんの間近の多発の恐れについてあまり強調されていないように見受けられるが、この残留放射能の寄与度について早急に定量化しそれを広く訴えるべきではないか。ご自身の説を徹底すれば恐ろしい事態が生じつつあるのが明白であり、もう大学で講義をしたり、市民団体の学習会に参加したりという場合ではないはないのではないか。少なくともご自身の属する岡山大学医学部の同僚を説得・動員して、緊急避難のために全生活を捧げるべきではないのか。失礼ながら甲状腺がんだけに議論を集中されている限り、それは重大な事態の矮小化でしかないと申し上げざるを得ない。

軽々しく言うべきことではないが、場合によってはもうむしろ避難によるストレスを避けて、そのまま福島に残って過ごすことを選択すべきなのかもしれない。津田先生のご説に素直に従えば事態はそれくらい深刻かつ切迫していると想定すべきなのである。

 

さて、続いてグルメ漫画「美味しんぼ」で広く論争を提起した福島および大阪所在の岩手のがれき処理施設近辺での鼻血多発について。ちょっとあのあと同漫画は掲載の一時休止に至り、作者の雁屋哲氏も居を構えるオーストラリアに引きこもられ一切発言を控えられていることもあって、その後の経過がどうなったのか気になっていた。ネットを探索してみると、去る7月半ば開催された第55回日本社会医学会総会で、東神戸診療所の郷地秀夫所長が、それが放射線被ばくによる急性症状である可能性を研究発表されていた。ココの79・80ページ参照のこと→
http://jssm.umin.jp/lectures/2014.pdf

 

色々専門的な議論をはしょれば、金属微粒子に付着した核種が鼻腔に運ばれれば、一粒で100ミリシーベルト/時の被曝に相当し、いわゆる急性症状を十分引き起こす可能性があるというご主張なのである。物理学の初歩程度のレベルの話をするようで申しわけないのだが、こういうエネルギーの密度とシーベルトで表現されるエネルギーの絶対量を直接結び付ける議論というのは、私のような既存の知見・パラダイムに拘束されている人間にはまったく理解しかねるのだが、これも新たな科学の創生を告げるものなのかもしれない。

それはともかくとして、郷地所長の説くところを、これまた弁証法的精神にのっとり素直に受け入れてその含意を発展させてみよう。

まず、100ミリシーベルト/時という線量なのだが、これを年間に直せばざっくり1,000シーベルトとなり急性被曝はおろかほどなく死に至る線量となりはしないだろうか。しかもこれは、核種一個当たりの話であり、こういう手のものは100個・200個と空気の流れによって集中的に飛来すると考えるのが自然であるから、既に実は即死している人も出ているのだが、厳重な情報操作でまったく隠ぺいされてきてしまっているとも考えられる。
ここまで極端ではなくとも、ここでも鼻血では済まない話ではなくなって、そうした核種が体内に取り込まれた箇所によってそれぞれの健康障害やがん多発を引き起こすのではないのか。どうして郷地所長はそのような事態を想定されないのだろうか。ここでも津田先生と同様の何か自体の矮小化という操作が行われてはいないかと、疑念を呈したくもなる。郷地所長は同所で25年以上にわたり被爆者の治療にあたってこられた実績をお持ちで、放射線被曝による健康障害については知り尽くした方であるにも関わらず、なのである。

そんなこんなしているうちに、福島でセシウム心筋梗塞による死者が続出しているのではないかという田中一郎氏の引用がこのちきゅう座でつい先日なされたではないか!。

郷地所長!今こそ鼻血を超える恐るべき健康被害の爆発についてご自説に従い世に訴えるべき時ではないですか!

以上、津田先生、郷地所長の所説に従いその含意を発展させた考察を述べさせていただいたが、もちろん私自身はこれまでの知見に従って、そういうことは起こり得ないと考えている。ご両人からすれば、結論ありきの議論、原発推進派というような論難をされるのでしょうが、もうそんなことで時間を無駄にしている事態ではないこと、まずは自身の説を反芻して主体的な行動を早急に取るべきではないでしょうか。

ここで考察したような事態が時を置かずして生起しないようであれば、これまた私の弁証法的精神にのっとって、低線量被曝はかえって健康を促進するというホルミシス仮説の有効性を吟味することにもなるでしょう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion4977:140904〕