今日においても、今から5年前の2011年3月、あの福島第1原発の過酷事故時には、
いったい福島第1原発で何が起きていたのか、東京電力はもちろんのこと、原発事故
の実態解明と原因究明を徹底して行わなければならない使命と責任のある原子力規制
委員会・規制庁は、ご承知の通り、その重大な使命と責任を棚上げ・放棄して、ただ
ひたすら原発・核施設再稼働のための「追認儀式」に熱を上げているこの頃です。国
会事故調や政府事故調があれだけ「遺言」として残した福島第1原発事故の実態解明
や原因究明がないがしろにされながら、いい加減な新規制基準がつくられ、でたらめ
な再稼働審査と秘密主義による隠蔽・歪曲、更には、重要な安全装置設置の先送り
や、再稼働認可の条件となっていたことの不履行でさえ、大手を振ってまかり通るよ
うな状況になってきています(九州電力が免震重要棟をつくらないと言い出し、全国
の多くの原発・核施設が「それに続け」状態となっています)。
しかし、申し上げるまでもなく、福島第1原発事故の実態解明と原因究明を徹底して
行うことは、様々な意味で必要不可欠です。そんな中、昨年末より、原発のプロ技術
者で、元(独)日本原子力研究開発機構 上級研究主席で、現在は社会技術システム
安全研究所を主宰されておられる田辺文也先生が、岩波月刊誌『世界』(2015年10月
号以降)に福島第1原発事故についての詳しい技術的な問題・原子炉工学的な問題・
過酷事故対処として「あの時どうだったのか」などについて、詳細な論文を連載し始
めておられます。
私は、浅学の身でありながら田辺先生のその論文を拝読し、先般、僭越にも田辺先生
に福島第1原発事故に関連する下記の質問をさせていただきました。田辺先生は日々
多忙にしておられるにもかかわらず、快く私の質問へのご回答を承諾してくださり、
今般、私宛、それを返信してくださいました。田辺先生には非常に感謝いたしており
ます。
せっかくいただいたご回答を私一人で拝見するのももったいない限りです。日々、脱
原発、脱被ばくに取り組んでおられ、あるいはまた原発や放射能の問題に関心をお持
ちの皆様にも、ぜひこの田辺先生のご回答を共有していただきたく、お送りすること
にいたしました。つきましては、下記の私の田辺先生宛の質問と、別添ファイル(下に添付)にある田辺先生のご回答をご覧ください。
なお、関連して、田辺先生の岩波月刊誌『世界』掲載論文の他、昨今の著書、及び関
連文書等をご紹介しておきますので、あわせてご参照いただければ幸いです。なお、
このメールの最後には、直近の田辺先生の岩波月刊誌『世界』(2016年3月号)掲載
論文の一部を抜粋してコピーしておきます。
(田辺先生の一連の文書を拝読して感じたことは、そもそも吉田昌郎元福島第1原発
所長が原発トータルのメカニズムについては素人であったこと、にもかかわらず、独
自の判断で、手順書を全く無視して、オリジナルな、いいのか悪いのかわからないよ
うな対応をしていた、それが早期の段階からのベント操作であり、消火系ないしは消
防自動車による注水だったということだ。本来は早い段階でSRV(主蒸気安全逃し
弁:圧力容器内の圧力をサプレッション・チェンバー(SC)に逃がすための弁)を
開き、圧力容器内の圧力を下げて、低圧注水系での炉心冷却に移行すべきだったの
に、それをしないまま事故を深刻化させ、また無用のベントによって環境の放射能汚
染を悪化させた、ということだ。
つまり、このことから言えるのは、原発の管理体制として、所長は原発メカに詳し
い人間・しかも、事故時対応を熟知している人間でなければつとまらないし、各原子
炉ごとに、現場のメカ主任のような人がいて、それぞれの原発各号機の事故状況や事
情等について、所長のところに情報が一元化して集まってくるようでなければいけな
いはずである(その所長のところと本店事故対策本部とが直接やり取りをする)(実
際は、必ずしも所長のところに情報は集まってこず、また、現場技術主任は複数の原
子炉を兼務していたという=他の原発でも同じ)。
しかし、福島第1原発事故を経験してのこうした緊急時の対応体制が、今の西日本
で再稼働され始めている各原発で、どの程度出来上がっているのか、極めて疑問とせ
ざるを得ない。原子炉工学的な出鱈目のまま再稼働スタートした西日本の原発は、人
的な危機管理体制もまた、旧態依然のままに放置されているのであろう。こういうこ
とだと、近未来において、再び原発・核施設は過酷事故を引き起こすこと必至と思わ
れるが、いかがか?)
<別添ファイル>
(1)20160207田中一郎氏の質問への回答(← これが田辺先生のご回答です)
(2)解題「吉田調書」(第6回)(田辺文也『世界 2015.10』)
(3)解題「吉田調書」(第7回)(田辺文也『世界 2015.12』)
(4)解題「吉田調書」(第8回)(田辺文也『世界 2016.2』)
(5)解題「吉田調書」(第9回)ないがしろにされた手順書(4)=続 ベント操
作が事故を深刻化させた(田辺文也『世界 2016.3』)
<田辺文也先生のご著書>
(1)『メルトダウン 放射能放出はこうして起こった』(岩波書店)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032856263&Acti
on_id=121&Sza_id=E1
(2)『まやかしの安全の国 原子力村からの告発』(角川SSC新書)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032668739&Acti
on_id=121&Sza_id=G4
(3)『ヒューマン・エラー 誤りからみる人と社会の深層』(新曜社:海保博之/
著 田辺文也/著)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000019844360&Acti
on_id=121&Sza_id=C0
<関連サイト>
●(今注目の人)田辺文也さんの説明を知らずして、もはや福島第1原発事故は語れ
ない=東電本店・吉田所長以下、原発緊急時の「手順書」を無視しての素人まがいの
場当たり的対応の繰り返しが過酷事故を招いた、2,3号機は炉心溶融を回避できた
いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/123-6c92.html
●福島第1原発(1,2,3号機)で何が起きていたのか? いちろうちゃんのブログ
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2015/04/23-61fa.html
(下記は私から田辺先生にお送りした福島第1原発事故に関する質問です)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(前略)
2016年2月号の岩波月刊誌『世界』に掲載されました田辺先生の論文につい
て、素朴な質問があります。可能な限りでご教授いただけると幸いです。ちなみに私
は原子力工学の専門家でも何でもない、ただの一市民にすぎません。ただ、福島第1
原発事故の真相を将来のためにもしっかりと把握し、理解しておきたいと願っており
ます。
(質問1)「正常なスクラムと冷温停止とはどういう過程を経るのか」
そもそも、地震や津波による原発機器類や配管などの損傷や電源喪失がない場合=
つまり正常な状態における「緊急停止」(スクラム)後の原子炉の余熱除去=冷温停
止のプロセスはどういうものなのかの説明を一度も見たことがないので、話が非常に
わかりにくい。まず、冷温停止のベンチマークとでもいうべき正常過程をお教えくだ
さい。
岩波月刊誌『世界』論文(2016.2)では、P164の上段に少しだけ言及があり、
スクラム直後に炉心からタービンに向かう配管の弁が自動的に閉鎖されてのちは、炉
心からの蒸気は別のルートを通じて復水器へ向かい、復水器で水に戻されて原子炉圧
力容器に戻ってくる、と考えていいのでしょうか。(タービン経由で復水器へ向か
い、そこで水になって戻ってくるのがスクラム前の発電時の水・水蒸気の循環です
ね?)
復水器というのは電源がなくても動くのでしょうか。電源がなければ動かないとす
ると、復水器に原子炉から高温高圧の水蒸気が行っても水には戻りませんから、意味
がないですね。電源喪失すると、炉心の水蒸気はタービンはおろか、復水器にも行か
ずに、いわゆる「原子炉隔離」状態になるのでしょうか?
(質問2)「1号機ではどうだったのか」(田中三彦先生、後藤政志先生のお話を勘
案)
まず1号機ですが、田中三彦さんによると、1号機では非常用復水器(IC)が地
震の揺れで破損したため、地震直後に稼働させた非常用復水器(IC)を作業員が手
動で止めてしまった。2つある非常用復水器(IC)のうちの1つは、いったん止め
られたのちは再び稼働されることはなく、もう一つの方は、夕方6時ころになって稼
働されたが、再びすぐに止められてしまった。1号機の場合には、2,3号機のよう
な高圧注水系がないので、非常用復水器(IC)が止まると炉心の冷却のしようがな
く炉心の溶融も早かった。(田辺先生ご指摘の「低圧系」は下記のようにSRVが開
かない状態が続いたため使えない)
更に、炉心の水蒸気圧力をサプレッション・チェンバー(SC)へ逃がす主蒸気逃
し安全弁(SRV)も、1号機の場合には自動的に動いた形跡がなく(本来は炉心の
圧力の大きさ次第で自動的に開いたり閉まったりすることになっていた)、炉心(圧
力容器内)の圧力は上昇する一方だった。高温高圧となった炉心内の水蒸気は、主と
して炉心のフタの隙間や、地震で破損した非常用復水器(IC)その他の炉心につな
がる配管の裂け目、あるいは再循環ポンプの原子炉への接続部などから漏れ出て格納
容器内に広がり、格納容器内の圧力も上昇した。
つまり、非常用復水器(IC)の地震による破損=機能できず、と主蒸気逃し安全
弁(SRV)の機能不全(1つには、背圧上昇で動かなくなった、2つには、SRV
のゴム製のシール材が高温で溶けて機能しなくなった)により、手の打ちようがなく
なり、やむなく、炉心圧力を下げて電源のいらない原発外部からの注水〔消化系を含
む)で炉心を冷やすことと、内圧の上昇している格納容器を守る、の2つを目的に、
早い段階からベントをすること、1号機については主蒸気逃し安全弁(SRV)を開
閉すること、に注力していたのではないか?
そして、吉田昌郎所長以下、現場の作業員たちは、非常用復水器(IC)が地震で
壊れたことや、主蒸気逃し安全弁(SRV)が1号機では自動的に動かなかったこと
を、承知していて、それをすっとぼけるために、いろいろウソを話しているのではな
いか?(たとえば非常用復水器(IC)の機能について知らなかったので、正常に動
いているものだと思っていた、などの発言=現場の人間は機能していないのを見てい
た・知っていただろうから、吉田昌郎所長の耳にはその事情は届いていたはず)
それから、私には初耳の「残留熱除去系」や「格納容器スプレイ」というのは、全
電源喪失状態の1号機でも、あの時にうごかすことはできたのでしょうか?
(質問3)「2号機はどうだったか?」
私の情報源はNHKスペシャルの「メルトダウン取材班」が書いた2冊の本、及び
NHKスペシャルの番組などです。2号機の場合には、全電源喪失の直前にたまたま
原子炉隔離時冷却系(RCIC)を作業員が手動で起動し、それが14日午後くらい
まで動き続けたため、炉心の冷却は続いていた。また、原子炉隔離時冷却系(RCI
C)が動いて炉心冷却ができていたのは、1号機とは違い、主蒸気逃し安全弁(SR
V)が一定の期間は正常に開閉し、水蒸気圧力をサプレッション・チェンバー(S
C)に逃がすことに成功していたからだと思います。
よくわからないのは、最初の間は2号機の原子炉隔離時冷却系(RCIC)が動い
ているかどうかわからなくて、対策が(ICのある)1号機よりも、ECCSが動い
たかどうかわからなかった2号機に集中していたようなことが伝えられていること。
いったいいつ頃、原子炉隔離時冷却系(RCIC)が動いていて炉心が冷やされてい
ることに気が付いたのか、また、そういうことはありうる話なのか?
それから、原子炉隔離時冷却系(RCIC)は、RCIC用の水のタンクから水を
取水しているけれど、それはだいたい8時間くらいの分しかなく、その後はサプレッ
ション・チェンバー(SC)にある水をくみ上げて冷却注水に使うらしいのだが、事
故当時もそうだったのか? だとすると、3/11から3/14までサプレッショ
ン・チェンバー(SC)の水を使い続ければ、その水は早い段階でなくなってしまう
ように思うのだが、実際はどうだったか?
更に、原子炉隔離時冷却系(RCIC)のあとを高圧注水系(HPCI)が継続する
と思うのだが(3号機のように)、2号機ではいつまでたっても高圧注水系(HPC
I)を動かそうとした様子がない。これは何故か? 電源の問題なのか?
それから、2号機は3/14の夜あたりから、SRVが動かない、従って炉心の圧
力が下がらないので低圧系の外部からの注水ができない、ベント弁も開かずベントも
できない(空気圧で動く弁が動かない=その空気圧を伝える制御用配管の破損で空気
圧が伝わらなかったのが原因)、というのでにっちもさっちもいかなくなったとい
う:パニック化)。そして3/15未明に、トーラス室らしきところが水素爆発か何
かで破損したというのだが、これも????? 少なくとも、2号機のどの場所がど
のように破損しているのか、何故、今もってわからないのか?
2号機については、田辺先生のおっしゃるように、早い段階でSRVを開いて炉心
の水蒸気圧力をサプレッション・チェンバー(SC)へ逃がし、炉心圧力を下げておい
て、冷却系を原子炉隔離時冷却系(RCIC)から低圧系(外部からの注水を含む)に
移行すべきだったというのがぴったりくるように思われますが、どうでしょうか?
ただ、低圧注水系も、それを動かすには電源はいらないのでしょうか? 電源がなけ
れば動かないとすると、つまり実際の現場では、消防自動車と消火系を使うしかな
かったということではありませんか?
3/12の1号機水素爆発や3/14の3号機爆発(水素爆発、それとも核爆
発?)がそれをさまたげてしまったということでしょうか? 確かに、1号機爆発
で、2号機の電源回復や外部からの注水のための準備がご破算になってしまった様子
もある。また、その後の東京電力TV会議の様子などからは、2号機は原子炉隔離時
冷却系(RCIC)が動いているようなので、対策が具合の悪くなった3号機や爆発後
の1号機に対して後回しになっていたような感じもある。
それから、1号機と同様、2号機についても、私には初耳の「残留熱除去系」や
「格納容器スプレイ」というのは、全電源喪失状態の2号機でも、あの時にうごかす
ことはできたのでしょうか?
(質問4)「3号機はどうだったか?」
3号機は、非常用のバッテリーが生き残っていたために、最初は原子炉隔離時冷却
系(RCIC)、その後は高圧注水系(HPCI)を、それぞれ作業員の操作で稼働でき
た。わからないのは、原子炉隔離時冷却系(RCIC)が「炉心の水位が高い」とか何
とかの理由で止められたこと。私は、これは、原子炉隔離時冷却系(RCIC)の配管
に地震の揺れで小さな破損ができ、それが時間経過とともに大きくなって水漏れがひ
どくなって止めたのではないかと推測します。
次に、高圧注水系(HPCI)が稼働されて、3号機もしばらくは2号機と同じよう
に非常時炉心冷却が続いていた。この時に、田辺先生がおっしゃるように、主蒸気逃
し安全弁(SRV)を開いて炉心の水蒸気圧力をサプレッション・チェンバー(SC)へ
逃がし、炉心圧力を下げておいて低圧系の注水に切り替えるべきだったのでしょう。
が、しかしです。3/13の真夜中に、3号機については何故かこの「命綱」とも
いうべき高圧注水系(HPCI)を作業員が停止させています。3号機については、こ
れを契機に原子炉の具合がどんどん悪くなっていくのですが、どうしてこういうこと
をしたのかが全く分かりません。これも私の推測では、3号機の高圧注水系(HPC
I)の配管にも地震の揺れで亀裂が入り、それが運転継続が長くなるとともにどんど
ん大きくなって水漏れ(水蒸気漏れ)を起こし、それでしかたなく作業員が停止し
た、ということではないかと推測します。
そして3/14の爆発ですが、これがほんとうに水蒸気爆発なのかどうかは今もっ
てわかりません。水蒸気爆発だというのであれば、1号機と3号機の爆発の違いや、
放射能汚染状況の違い(3号機の方が格段にひどい)、その他問題提起されているこ
とについて合理的な説明がなされなければなりませんが、そんなものは見たことがな
いのです。
それから、1号機や2号機と同様、3号機についても、私には初耳の「残留熱除去
系」や「格納容器スプレイ」というのは、全電源喪失状態の3号機でも(非常用バッ
テリーのみ)、あの時にうごかすことはできたのでしょうか?
(最後に)
上記のようなことが頭にありますので、田辺先生がおっしゃる結論=マニュアルに
従い、SRVを開いて原子炉圧力容器内の水蒸気圧力をサプレッション・チェンバー
(SC)へ逃がし、原子炉内の圧力が下がったところで低圧注水系(外部注水を含
む)へ移行すべき、というマニュアルに沿った対策・対応は、2号機の3/12~1
4(3/11~12未明くらいは、2号機の状況が分からなかった)、3号機の3/
11~12真夜中、の間で有効なのかなと思いました。いかがでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(一部抜粋)(別添PDFファイル)(5)解題「吉田調書」(第9回)ないがしろ
にされた手順書(4)=続 ベント操作が事故を深刻化させた(田辺文也『世界
2016.3』)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
福島原発事故における格納容器ベント
本誌2015年10月号、12月号の論考で、3号機と2号機の初期対応を分析じ
て明らかにしたのは、徴候ベース手順書をないがしろにし、ベント操作を優先するこ
とで、炉心損傷を防止するための対処をおろそかにして炉心溶融をも招いたことであ
る。
本稿の分析で明らかになるのは、その優先されたベント操作が、炉心損傷前は「や
らなくてもよい」もしくは「やっても意味のない」ものだったということである。さ
らに、炉心損傷後はシビアアクシデント手順書のベント条件をないがしろにして、ず
るずるとベント操作を続けることで「やむを得ない」とはいえない状況において放射
能閉じ込めの最後の障壁を破るという、安全原則に反する「やってはいけない」操作
に努力を傾注していたことである。その結果、放射能放出を増大させた可能性が高
い。
1号機の場合
格納容器ドライウエル圧力が499kPa(g)(600kPa(abs))であることが3月11日
23時50分頃にわかったことを受けて、3月21日0時06分に「D/W圧力はすでにベント
が必要な圧力になっていたことから」、ベントの準備を進めるよう発電所長が指示し
た
。
しかし、全電源が失われているために弁の開操作を高放射線環境下の現場で行なわ
なければならないこともあり、ベントラインの構成に手間取り、結局ベントが成功し
たのは12日14時頃である。それによって格納容器圧力が降下したが、15時36分に1号
機原子炉建屋で水素爆発が起きた。
このベントによる放射能放出によって双葉町上羽烏(福島第一原発から北西5.6k
m)では14時40分40秒に4613.2μSv/h(20秒間平均値)という非常に高い放射線量
率が記録されている。この値はこの事故における発電所敷地外で計測された最大値で
ある。
1号機の場合、3月11日夜には原子炉建屋の放射線量が非常に高くなり立入禁止の
措置をすでにとっていることと、格納容器圧力の上昇とをあわせて考えると、炉心損
傷が起きていることは、所長がベント指示を出した12日0時6分で明らかである。格納
容器圧力はこの時点の499kPa(g)から午前2時30分に最大値739kPa(g)となった後
は基本的傾向としては漸減傾向を示し、ベントが実際に機能する前でも650kPa(g)
近傍で安定しており、炉心損傷後のベント基準圧力853kPa(g)に到達しそうもな
い。このことは、シビアアクシデント手順書で定められているベント実施条件を満足
していないことを意味する。当然、ベントをするまでには梼納容器の過圧破損は起き
ていない。
このベント指示にあたって現地災害対策本部がアクシデントマネジメントガイド
(AMG)を参照したのかは、どこにも記されていない。吉田所長自身は前述したよ
うにAMGを聞いてもいないと証言している。
このベントによって大量の放射能放出があったことは明らかであるが、それを補っ
てあまりある事故影響緩和への寄与があったのか疑問である。ベントをしなくても格
納容器過圧破損は起こらなかったと考えられるのである。
ベントによって格納容器圧力が下がることで、ドライウェルからの放射能放出(上
部へッドフランジのシール劣化などによる)が減少したり、消防車等による注水量が
増大して格納容器に落下した燃料デブリの冷却が促進されることは想定できる。しか
しその正負のバランスシートは明白でない。ベントを実施したことが放射能放出によ
る影響を、より深刻化させた可能性がある。
3号機の場合
(中略)3号機の場合も、ベント準備、ベント実施を所長が指示した時は未だ炉心が
損傷していない状態で、格納容器圧力が炉心損傷前ベント基準圧力よりもかなり低
く、徴候ベース手順書から逸脱している。ベントラインの構成が完了した13日8時41
分の時点ですでに炉心損傷が起きていることはその3時間前の予測からも明らかであ
り、ベント基準圧力853kPa(g)以下、それもかなり余裕がある圧力でベントを実行
したことはシビアアクシデント手順書から逸脱している。その後繰り返されたベント
も、ベント基準圧力よりもかなり余裕のある低い圧力で実行されており、シビアアク
シデント手順書から逸脱している。しかもベントの機能が常時維持されることが自己
目的化したかのように、弁の開状態維持に努力を傾注したことは、高い放射能を持つ
気体とエアロゾルで充満し
た格納容器に穴をあけ続けたことに等しい。このことが、本稿冒頭に紹介したよう
に、実際に大量の放射能が環境に放出されて深刻な汚染に寄与した可能性がある。
このようにベントによって大量の放射能が環境へ放出された可能性があり、4号機
原子炉建屋の爆発も3号機のベントによって運ばれた水素が原因である。それを補っ
てあまりある事故影響緩和のプラスの寄与があったのかは疑問である。上に述べたよ
うにベントをしなくても格納容器の過圧破損は起こらなかったと考えられる。
ベントによって圧力が下がることで、ドライウェルからの放射能放出(上部ヘッド
フランジのシール劣化及び電気ケーブル貫通部シール劣化などによる漏えい)が減少
するととと、消防車等による注水量が増大して格納容器に落下した燃料デプリ等の冷
却が促進されることは想定できる。しかし3号機の場合は消防車からの注水の多くが
復水貯蔵タンク等へバイパスして原子炉圧力容器および格納容器に実際に届いたのは
少ないことが現在では判明している。したがってベントによる正負のバランスシート
は負の方が勝っていると考えられる。すなわちベントを実施したことが放射能放出に
よる影響を、より深刻化させた可能性が高い。
安全原則を破った福島原発事故対応
(中略)とくに福島第一原発3号機と2号機の場合には、-号機建屋の水素爆発を防げ
なかったというトラウマにとらわれたためか、東電反び保安院は、あたかも格納容器
ベントが自己目的化して、いわば急性ベント病とでも呼ぶべき思い込みにとりつかれ
てしまったかのようなふるまいを示している。その結果、炉心損傷前は「やらなくて
もよい」もしくは「やっても意味のない」 ベント実施に躍起となり、炉心損傷を招
いた。
炉心損傷後はシビアアクシデント手順書のベント条件をないがしろにして、ずるず
るとベント操作を続けるごとで「やむを得ない」とはいえない状況において放射能閉
じ込め機能を破るという安全原則に反する「やってはいけない」操作に努力を傾注し
ていたのである。最悪の事態に備えるという名目のもとに、放射能閉じ込めの最後の
砦である格納容器に、あらかじめ穴をあけておくことに努めていたということであ
る。このことは深層防護戦略とそれに基づいた放射能閉じ込めのための多重障壁を守
るという安全原則が反故にされたことを意味している。
まとめにかえて
(中略)本来、事故分析は全く科学的営みそのものであり、観測されたデータを説明
できる仮説を構築し、それをさらに異なるデータまたはアプローチから検証するとい
うことの繰り返しによってのみ真理に到達し得る性格のものである。
そのあるべき事故分析のあり方から考えた場合、福島原発事故以降の事故分析の現
状は大きく歪んでいるようにみえる。中でも手順書と照らして事故時に実際にとられ
た判断と操作が適切であったか否かを詳細に分析することは事故分析の王道の出発点
であるにもかかわらず、そのことにことさら触れようとせず沈黙が支配していること
自体が異様な光景である。この論考がその異様な状況を変える糸口となることを願っ
てやまない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion5899:160211〕