私が会った忘れ得ぬ人々(14) 倍賞千恵子さん――もっと自分の可能性を試したい

著者: 横田 喬 よこた たかし : ジャーナリスト
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 映画「男はつらいよ」の寅さんこと寅次郎の少年期を描く「少年寅次郎」が目下NHKテレビで放映中だ。年末には、山田洋次監督の松竹映画「男はつらいよ」の新作(第五十作)公開も予定されている。寅さんと言えば、妹役「さくら」の存在が欠かせない。「朝日新聞記者」当時の私は今から三十五年も前の一九八四(昭和五十九)年に「さくらさん」こと女優・倍賞千恵子さんと単独インタビューをしている。先ずは当の記事(骨子)の紹介から。

 ――茨城ゆかりの芸能人に女優の倍賞千恵子(43)。東京生まれの千恵子が四歳の昭和二十年、東京大空襲で焼け出され、筑波山の北の母の郷里・大和村(注:現桜川市羽田)に疎開する。田舎暮らし六年、食糧難のひどい時代のこと、「末の弟をおぶって近くの山にキノコを、田んぼにイナゴをとりに、よく通いました」。けなげな個性がのぞく。

 都電の運転士をしていた父に従い、一家は東京に戻ると下町・滝野川で長屋暮らしへ。芸事好きの彼女はSKD(松竹歌劇団)を経て映画界入り。”下町の太陽”とうたわれ、ご存じ「寅さん」映画に欠かせぬ兄思いの「さくらさん」として松竹の看板女優に。

 三年前、東宝映画『駅』の汚れ役に挑戦。キネマ旬報主演女優賞をはじめ各種の映画賞をごっそりさらう。翌年、古巣の松竹を円満退社、フリーで再出発へ。私生活では離婚劇も経験した。「優等生」「女らしい女」というレッテル返上をめざし、「いつも後ろ盾がある立場では甘くなる。もっと自分の可能性をためしたいんです」。
 茨城の名残は何より言葉。「アクセントが変、って時々注意されます」。――

 かの「寅さん」映画の第一作が一九六九年に初めて誕生して今年でちょうど半世紀。主役の車寅次郎を演じた故・渥美清は不在ながら、「さくら」をはじめ「夫」・前田吟や「倅」・吉岡秀隆らは健在だ。松竹は「男はつらいよ」第五十作の年内公開をめざし、昨秋、スタジオでのセット撮影や東京・柴又でのロケを開始。過去のシリーズの名場面と組み合わせ(第四十九作と同じ方式)、新作をこしらえる手はずだ。終盤ごろ、「倅」の恋人役で活躍したゴクミ(後藤久美子)の二十三年ぶりの作品復帰も話題を呼んでいる。

 倍賞家は、秋田出身の父は戦前の東京で市電の運転士を務め、茨城出身の母は今のスチュアデス並みの花形職業だった車掌さん。美男と美女同士の当時珍しい職場恋愛結婚である。戦後、茨城の疎開先から戻った滝野川での三軒長屋の暮らしは二間に台所だけ。風呂はなく銭湯通いだから、絵に描いたような下町暮らしだ。

 子供は五人きょうだいで、長女・次女(千恵子)・長男・三女(美津子:後の映画女優)・次男。揃って体格と運動神経に恵まれ、女児は芸事好き。暗い戦前・戦中を知る両親は、子供たちの希望を生かしてやろうと図る。千恵子をピアノや声楽のレッスンに通わすため、母親は保険の外交員をして稼ぎ、長女も昼間の高校に受かりながら家計を助けようと夜間に代えて働いた。

 「SKDのホープ」だった千恵子は十九歳の一九六一(昭和三六)年にスカウトされ、松竹専属の秘蔵っ子として映画界入り。三作目の五所平之助監督のメロドラマ『雲がちぎれる時』にバスガール役で出て爽やかに働く女性の清々しさを好演し、早速注目される。’六〇年代前半は日本映画は未だ量産の時代で、彼女は年に十本前後もの作品に出ているが、役柄のほとんど全てが工員や店員といった働く女性。女子大生やお嬢様といった役ではなく、どの作品でも健気に働き、ぐれたりせず弟妹をちゃんと引っ張っていくお姉さんタイプだ。

 六三年には山田洋次監督の「下町の太陽」に主演する。レコード大賞新人賞を受けた彼女のヒット曲の映画化だが、荒川近辺の化粧品工場で働きつつ愛や人生について真摯に思いを巡らす清潔感あふれる娘の役を好演。下町庶民派のキャラクターを早々と確立する。実生活では次女だが、優等生タイプの長女らしさ、しっかり者のイメージが定着していく。

 明朗青春映画に出演しながら、演技力の要る文芸映画での難しい役どころも徐々にこなし、女優として着実に成長していく。さりげない演技で生活感を表現できる天与の資質に目をとめたのが名伯楽・山田監督。’六九年、フジテレビのドラマの映画化である「男はつらいよ」で、主人公・車寅次郎(渥美清)の異母妹・さくら役を演じる。この作品は、主演の渥美が自身の不良少年時代に付き合ったテキ屋たちの思い出を山田監督に語ったのが発端。山田がイメージを膨らませ、日本映画が生んだ最も大衆的な人気者・寅さんを世に送り出す。これがヒットして続編が作られ、続編も成功してシリーズ化し、九六年の第四十八作まで続いてギネスものの空前の長期シリーズとなり、同年の渥美の病没でピリオドを打った。

 連作に毎回登場する「さくら」は寅さんの妹だが、気ままな旅暮らしの寅次郎の身を案じながら見守る実質的には姉のような存在だ。いや時として母でさえあり得、渥美は「さくらは菩薩です」とまで言っている。寅さんは「さくら」に甘え、彼女の言うことなら何でも聞き、彼女にだけは我儘の言い放題。それでも「さくら」は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と寅さんをかばい、甘えを許していく。「とらや」の叔父夫婦なども何かというと彼女に頼り、これはもう長女的性格そのものと言っていい。

 昨秋、民放BSテレビで「寅さん」特集番組があり、山田監督と倍賞千恵子が対談。こもごもこう語っている。
 ――(山田)寅は放浪者だが、その愛情は太陽のよう。さくらは定住者で、愛情は水のよう。高度成長期のモーレツ日本人のアンチテーゼとして寅さんを描いた。実際、渥美さんは車も背広も持たなかった。五十年前、ちゃぶ台が姿を消してから日本(の社会)は変わった。
 ――(倍賞)(「寅さん」シリーズには)玉手箱のようにいろんな(宝物のような)物が詰まっていた。社会や人間について、いろいろ学ばせて頂きました。

 山田と千恵子の黄金コンビは引き続く。七〇年、炭鉱離職一家の母を演じた「家族」。七七年の「幸福の黄色いハンカチ」では、刑務所帰りの夫(高倉健)を待ち侘びる役を彼女は好演。爽やかな涙を誘う名品となり、数々の映画賞を独占する大ヒットになる。また、八〇年の「遥かなる山の呼び声」でも再び高倉と共演。地に足の着いた大人の恋を細やかに見せた。高倉との息の合うコンビは八一年の「駅/STATION」(降旗康男監督)でも実現。この間に主要な映画賞の女優賞をほとんど獲得している。

 千恵子は、ごく若い頃からスクリーンの中で健気に働き、周囲から頼りにされる日本の長女役をしっかり演じてきた、といえよう。五つ年下の妹・美津子も周知の通り実力派の美人女優だ。次回は、美津子の方を紹介したい。

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