稲葉延雄新会長に、公共放送NHKの対政府独立性を確立せんとする志ありや。

(2023年1月27日)
 一昨日(1月25日)午後、稲葉延雄・NHK新会長が就任の記者会見に臨んだ。その一問一答が報道されている。各紙の見出しは、概ね以下のとおり。

 NHK・稲葉新会長、政治と適切な「距離」を保つ姿勢強調(毎日)
 稲葉新会長 前会長の改革「私の目から検証、見直しを」(朝日)
 NHK、稲葉新体制発足「デジタル活用が改革の本丸」(日経)

 記者会見は全体にそつのない印象。かつて安倍政権ベッタリの姿勢を隠そうともしなかった籾井勝人などとの同類ではない。だが、前任者前田晃伸と自民党族議員との仲はすこぶる険悪だったという。その前田の再任を阻んでの不自然な「元日銀理事」からの人選。本当にこの人が適任なのか、どうしても疑問を拭えない。

 彼が言いたかったのは、冒頭の下記発言で尽きるだろう。

 「◆稲葉 前田晃伸前会長がこれまで取り組んできた改革では、業務の効率化を大胆に進めることで、受信料値下げに伴う収入の減少を収支均衡に持っていく道筋におおむねメドをつけていただいた。この先、想定通りに財務の数字が表れてくるかどうか、しっかり見極めながらこの秋の受信料の値下げを実現していきたい。
その上で、私の役割は改革の検証と発展。かなり大胆な改革なので、若干のほころびやマイナス面が生じている部分があるかもしれない。もしそうであれば丁寧に手当てをしながら、ベストな姿に持っていく。特に、人事制度改革については検証・見直しを行っていきたい。ひとりひとりが能力を最大限発揮してもらうために、多様なキャリアパスを示して、安心して職務に専念できる温かみのある人事制度にしたいと考えている」

 さて、幾つかの注目すべき発言がある。

 ――これまでNHKという組織を外からどう見ていたか。

 「◆私は日銀時代に経緯があって放送法を勉強するチャンスがあった。放送法第1条には放送の目的として「健全な民主主義の発達に資する」などとうたわれていて、非常に感銘を受けた。そういう組織があるんだというふうにNHKについては受け止めていた」

 そつのない発言の典型のようでもあるが、この人、本当に放送法を勉強したのだろうか。やや心もとない。放送法第1条はNHKに関しての規定ではなく、放送一般についてのものだからだ。放送法第1条を引いて、NHKを「そういう組織があるんだ」というのはちょっとヘン。

 放送法の第1章「総則」と第2章「放送番組の編集等に関する通則」は、民間放送を含む放送事業一般についての規定で、第3章「日本放送協会」で初めてNHKが出て来る。彼が「感銘を受けた」という「健全な民主主義の発達に資する」ことを理念とする組織は、NHKに限らないのだ。

 ――政権との距離について。会長選出時に多くの社が岸田文雄首相側の意向が働いたと報じていた。選出前に、実際首相側から打診が何かあったか。

 「◆私にそういう動きがあったかということか? それはない」

 「それはない」は、あまりに素っ気ない。では、いつころ、誰から、どのように「日銀出身者」に打診があったというのか、知りたいところ。本当に、首相側から打診がなかったとは、にわかに信じがたい。

 ――NHKにはこれまでも政治的圧力があったと指摘されている事例がたくさんある。会長として政権と今後どう向き合うのか。

 「◆NHKは放送法に基づいて運営されている。放送法では自主自律・公平公正な立場を堅持して、何人からも干渉されない対応をしていくべきものだとうたわれているし、そのように行動すべきだと思っている。報道機関として自主的な編集判断に基づいて、不偏不党の立場から報道している。できるだけ真実を掘り下げて、見つけ出す努力をすることは不可欠。それでも真実が見つからない場合には、多様な見方を等しく取り上げてお伝えする。そういう姿勢を維持していけば、結果として不偏不党の報道姿勢になると思っている」

 これは、まことに微妙な言い回しである。端的に、「NHKが政治的圧力に屈することはない」とも、「会長として、政権からの干渉を拒否する姿勢で向き合う」とも言わない。「放送法がある以上、不偏不党の立場から報道しているはず。今のままで、結果として不偏不党の報道姿勢になると思っている」と、まことに頼りない。ほんとに大丈夫なのだろうか。この人。

 なお、記者からの発問にある「会長選出時に多くの社が岸田文雄首相側の意向が働いたと報じていた」。その内の一つを再録しておきたい。

 昨年12月7日配信の「東洋経済オンライン」の抜粋である。

 「NHKの経営委員会は12月5日、2023年1月24日で任期満了となる前田晃伸会長(77)の後任として、日本銀行元理事の稲葉延雄氏(72)の任命を決めた。同日、稲葉氏は「突然のご指名で大変驚いておりますが、できるだけ早く実情を把握し、公共放送の使命にふさわしい仕事をしていきたい」とのコメントを出した。

 事情に詳しいNHK関係者によれば、直前まで別の人物が最終候補として挙がっていた。前田晃伸会長の出身母体であるみずほフィナンシャルグループと親密で、個人的にも親交のある大手総合商社の元会長だった。「商社で社長や会長を歴任し、経済界のみならず幅広い人脈と知見を持っていた点が評価された」(NHK関係者)とされ、別のNHK関係者は「本人もやる気だったようだ」という。

 だが、次期会長人事が表面化すると、官邸や自民党から横やりが入る。総務省関係者によれば、総務大臣経験者をはじめとする自民党の総務族が、この人選に「ノー」を突きつけた。理由は「前田会長に近い人物だったから」(総務省関係者)というものだった。
そして、声がかかったのが稲葉氏だった。打診があったのは12月最初の週末。12月6日の会見で稲葉氏が「迷っている暇なく(任命の)昨日が来た」と口にしたのもそのためだ。関係者の間では「“前田憎し”の官邸や自民党は、前田会長との距離が近いことを理由に(商社元会長の人選を)認めず、経営委員会に稲葉氏を推薦した」との見方がもっぱらだ。

 そもそも前田会長と官邸、そして自民党との間には、埋めがたい溝があった。NHKの経営委員会の委員は衆参両院の同意を経て任命され、業務執行の責任者であるNHK会長はその経営委員らが決めている。NHKに関する重要な施策は総務省や政治の意向を仰ぐのが不文律でもある。
 だが、前田会長のやり方は違った。2020年1月の就任後、「スリムで強靱な新しいNHK」をテーマに管理職の3割削減や、職員の昇進や昇格プロセスに関する人事制度改革に着手。その目的や経緯について官邸や自民党などに説明することなく進めたため“不評”を買った」

 すべては、公共放送NHKにおける権力からの独立性欠如の結果なのだ。新会長、果たして、この重い課題に取り組む意欲有りや無しや。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2023.1.27より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20702

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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