表題の「ABC」は、安倍政権を理解するための基礎知識という意味ではない。2001年にブッシュ政権がスタートした際、ワシントンで合言葉となった“Anything but Clinton”の頭文字である。爽やかな印象で国民の好感度も高かったクリントンに代わったブッシュ政権は、前政権を否定する政策なら何でも実行しようという空気だったという。安倍政権の高校授業料の徴収再開などの動きを見ていると、このABCを思い出す。その後のブッシュ政権は、根拠もなくイラクなどに攻め込んで巨額の財政赤字を作り、政権末期にはリーマンショックが発生するなど、アメリカの国力を疲弊させ、国民から見放されるかたちで任期を終えた。復帰した自公政権が同じような道をたどらないことを願うしかない。
さて教育でルワンダ、マダガスカル、日本の三か国に共通する点は、と質問されて答えられる人は教育問題によほど精通している人だ。正答は、国連人権規約の社会権規約第13条を長らく留保していた国であることだ。規約は1966年に採択され、その13条は教育権に関するものである。①初等教育を無償の義務教育とすること、②中等教育(日本では中学校・高校が該当)の無償教育の漸進的導入とすべての者への機会保障、③高等教育の無償教育の漸進的な導入と能力に応じてすべての者への機会保障、などを求めていた。日本政府は②、③を留保したうえで1977年に批准し、その後、国連社会権規約委員会からの勧告にも関わらず留保し続けていた。政府が理由としてあげていたのは、日本では高校教育は私学の比率が大きいので、公立学校の生徒にも負担を求めている、という奇妙なものであった。国連の委員会からは、さらに2006年6月を期限として留保を撤回するようにと指示されていたにもかかわらず、当時の政府はこれを無視した。
政権交代後、鳩山由紀夫首相は2009年の施政方針演説でこの留保の撤回方針を明らかにし、その年度のうちに高校教育の無償化法案を成立させた。2010年度初めから公立高校の授業料が廃止されたのは記憶に新しい。第13条留保の撤回が最終的に決定され、国連の委員会に通知されたのは、2012年9月、野田内閣によってである。
公明党は無償化法案に賛成したが、自民党は当初より、この政策を「バラマキ」と批判し、メディアの多くも、この法案が国連人権規約に基づくものであることを十分に理解していたとは思えない扱い方をした。なかには、「子ども手当」と並べて、「バラマキ政策」という言葉を無批判に使って、民主党攻撃を支持する向きさえあった。無償化の年には高校中退者が減少するなど、その効果は確実に現れたのであるが、自民党は昨年の総選挙で、高校教育の無償化の見直しを公約にあげていた。
これが何を意味するのか理解できる人材が自民党の中にはいないらしい。授業料の復活は、すでに批准した国連人権規約違反を犯すことになる。ちなみにルワンダはすでに数年前に留保を取り下げているので、日本は先進国でただ一つ、公立中等教育に授業料を徴収する国に戻ることになる。自民党議員の人権感覚や国際感覚の欠如は絶望的なレベルにあると言わざるをえない。
さて自民党は公約の「実現」に向けて動き出し、来年度には一定以上の所得の所帯からは授業料を徴収しようとしている。しかし大部分の都道府県は授業料徴収のシステムを廃棄し、担当部局の人員も廃している。授業料を徴収するためには、再度、システムを立ち上げ、すべての生徒の保護者から納税証明書の提出を求め、審査したうえで一定額以上の所得があるものに授業料の支払を課す、その作業の担当職員の配置もしなければならない。そこまでして、前政権の成果を否定したいのかという話である。
自民党は授業料を徴収して奨学金制度というような議論もしているようだが、選挙公約には幼児教育の無償化を掲げていて、2015年度の実現を目指しているという。高校の無償化が「バラマキ」で就学前教育の無償化が「バラマキ」には当たらない、という主張は成立しないだろうが、同じ無償化でも高校教育と幼児教育の金の流れの違いを考えると、自民党の思惑は理解できる。
公立高校は基本的に都道府県レベルの地方自治体の運営であり、約4分の3の生徒は公立高校に通う。授業料不徴収に応じて、国庫から授業料相当の予算額が地方自治体に渡ることになった。私立学校にも公立高校の授業料相当額を国庫から支払うことになり、授業料はそれだけ減額された。公立高校の授業料は年間12万円程度であり、政府の負担は。4000億円弱であった。この金の流れは利権を生まなかった。保護者たちの負担が軽減されただけである。
ところが幼稚園の場合は、園児の82%が私立に収容されている。少子化の進むなか、1998年に約14,500以上あった幼稚園は2012年には13,000まで減少している。13,000の中には廃園せず休園としている約500校も含まれているので、この15年ほどの間に15%近くの幼稚園が廃園ないし休園に追い込まれている。高校や大学を経営する私学と異なり、零細で経営基盤は脆弱である。保育料は地域によっても異なるが、月額25,000~30,000円程度とされ、高校の無償化よりも遥かに大きな予算措置が必要になるが、実現すれば経営者たちには大きな救いとなる。
しかも幼稚園は学校教育法に例外規定があり、「当分の間、学校法人によって設置されることを要しない」とされている。「当分の間」がじつに法律施行(昭和23年)以来、64年続いていることになる。学校法人以外には、仏教寺院やキリスト教会さらには個人の資格で経営されているものがあり、現在、宗教法人と個人が設置している幼稚園がそれぞれ約400ある。宗教法人の幼稚園にも公費を渡すことになれば、明らかに宗教組織への公金支出を禁ずる憲法89条に抵触する。もちろん日本には数多くの宗教系の学校が存在するが、それらはすべて宗教組織とは別の学校法人によって経営されており、運営や財務については厳しい透明性を求められている。
高校教育の無償化には、実現の遅れていた国際標準を達成する政策としての妥当性があったが、私学が大半を占めている就学前教育を全面的に公費で支える政策に妥当性があるとは思えない。多くの国で就学前教育は公立小学校のなかで提供されている。現在の日本では少子化により全国的に空き教室も増えている。就学前教育を公教育に取り込んだほうが財政的負担もはるかに軽いはずだ。
教育無償化には予算だけでなく、法的にも深刻なハードルがあるのだが、自民党の議員たちは、幼稚園経営者の陳情を受けながら政策の具体化に向けて励んでいる。彼らは国家百年の計からは程遠い旧態依然とした利益誘導型の政治によって教育を歪めようとしている。その志の低さを恥じることなく教育を語る政治家たちの姿は、戦後保守政治の在りようを象徴するものかもしれない。
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