第4弾目の救援トラックは宮城県の石巻へ行ってきましたー連帯・共同ニュース

2011年4月19日 第107号

■ 4月16日(土)、トラック隊(長船・吉本)はパルシステムから提供していただいた野菜と果物、そして東日本大震災緊急救援市民会義が購入したタオル2600枚を積んで宮城県の石巻に行ってきました。朝の8時に福生を出発。① 福島県の二本松インターを午後の2時に下りて東和町に避難している浪江町の方々《福島第一原発20㌔圏内の住民》のところへ行きました。40人の方々に野菜・果物・タオルをお渡ししました。とても喜んでいただきました。② そして再び東北自動車道へ。宮城県の古川インターを午後5時30分ころ下りて、今日のトラック便の目的地の石巻湊中学校の避難所に行きました。「緊急救援市民会議の者です。野菜・果物・タオルをお持ちしました」とあいさつ。残りをすべてお渡ししようとしたら「40人しかいませんので」と、段ボール10箱を渡しました。とても感謝され、近くの湊小学校を紹介されました。
■ ③石巻湊小学校には午後7時30分ころ着きました。400人もの方が避難され、教室や体育館の電気が煌々とついていました。校庭には仮設の大きい風呂もありました。野菜・果物・タオルはすべてここにお渡ししました。名古屋から来られているボランティアの受付・担当の人や炊事担当のパキスタンボランティアの方々に「ありがとうございます」と感謝され湊小学校を後にしました。出来れば避難所の片隅のどこかに泊めていただこうかと寝袋も用意はしていたのですがご迷惑になってはいけないと石巻駅に戻りました。とっても寒い夜でした。松島は旅館がやっていると紹介されたのですが、どこも満員で4軒目に泊れました。松島には医療ボランティアや建設関係者が多く泊っているのです。④ 17日の朝6時半に起きて海岸を歩きました。大きく破損している船などはなく、松島湾の島々が津波から町を守ってくれたとは旅館の人の言でした。8時に再び石巻に行きました。昨晩は暗くてよく分からなかったのですが、凄まじい地震・津波の破壊力を目にして愕然としました。湊中・湊小に行き挨拶をしてようやく帰路につきました。
■ 石巻まで片道9時間の行程はきつかったですが、石巻では復興に向かうエネルギーをしっかり感じました。しかし、福島原発事故で避難されている人々の表情は暗くけわしいものを感じました。こころに残る印象でした。東京へ帰る高速道路の途中でバスや車から何度も手を振られるのはうれしいものでした。雪の残る蔵王の山々そして満開の桜、私たちの市民会議の救援トラックはまだ走り続けます。救援金は郵便振替口座 00150-7-742044に願います。(文責 吉本昇)

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