第12回「ヘーゲル研究会」のお知らせ

 1月中旬、スイスのダボスで行われた世界経済フォーラム(WEF)年次総会(通称「ダボス会議」)の開幕式で、居並ぶ欧米の政財界のVIPたちを前に中国の李強首相が熱弁を振るった。李首相は、習近平体制の輝かしい経済成果をあれこれ列挙したが、そのなかの「3億人近い農民が市民化への過程にある」という一節が目を引いた。かつては「市民」や「市民社会」などという言葉は、左派系のサークル内では資本主義が自らの階級支配をカモフラージュするために中立を装った用語にすぎないと理解されることが多かった。しかし(建前として)社会主義を標榜する中国ですら、いまや西側基準の用語で自らのパフォーマンスを誇示するのである。
 もっとも李強氏が「市民化」にいかなる意味を込めたのか、いろいろ解釈しようはあろう。西側の文脈では、通常市民とは都市市民をさし、中産階級とも言い換えうる言葉であり、さらに市民社会とは、法治国家のもと人権感覚を身に着けた諸個人が自由に活動を行なう自治的な空間として表象される。だからこうした(法治)国家―市民社会の構造を近代に固有のものとして体系化したヘーゲルの法(権利)の哲学の先駆性を我々は賞賛してやまないのである。
 「農民の市民化」という表現には、中国共産党の政策のある種の自己矛盾が内包されている。李強氏が言いたいのは、遅れた農村の改革が進み、農民たちが都市市民と同レベルの生活水準を享受できるようになってきているということであろう。しかし市民化という言葉には、生活水準が上がり都市的生活様式が広がるという以上の意味がある。それは市民的人間的な諸権利の獲得というコンテクストから切り離せない。だから一方で農民の暮らしを豊かにさせつつ、他方かれらを極力国家の統制や監視下に置くべきだ考えるのは矛盾しているのだ。市民的自治という観念は西欧のみに妥当し、東洋には東洋流儀の支配の仕方があると言いたげであるが、そうであれば世界市民の多くは、世界の「中国化」に同意しないであろう。

                    記

1.テーマ:ヘーゲルの市民社会論
  中央公論社「世界の名著」の「ヘーゲル・法の哲学」から
  第二章 市民社会(§182~§256)を講読会形式で行ないます。今月は、§216からです。
★国内では数少ないヘーゲル「法(権利)の哲学」の専門家であり、法政大学で教鞭をとられた滝口清栄氏がチューターを務めます。
とき:2024年2月24日(土)午後1時半より(毎月の最終土曜日定例)
ところ:文京区立「本郷会館」Aルーム
――地下鉄丸ノ内線 本郷三丁目駅下車5分 文京区本郷2-21-7 Tel:3817-6618

1.参加費:500円
1.連絡先:野上俊明 E-mail:12nogami@com Tel:080-4082-7550
参加ご希望の方は、必ずご連絡ください。
※研究会終了後、近くの中華料理店で懇親会を持ちます。