米・キューバ国交正常化交渉開始の背景 -後藤政子・教授の講演から-

著者: 岩垂 弘 いわだれひろし : ジャーナリスト
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 米国とキューバによる初の国交正常化交渉が1月21、22の両日、キューバの首都ハバナで行われた。報道によれば、双方が関係改善の障害となっている問題を指摘し合う論点整理のみで閉幕し、次回協議は2、3週間以内に米国の首都ワシントンで開かれる見通しとなった。この両国による初交渉に先立つ1月20日、東京の日本記者クラブで、キューバの実情に詳しい後藤政子・神奈川大学名誉教授(ラテンアメリカ現代史専攻)の講演があった。演題は「なぜ米・キューバ関係改善か~キューバの現状から~」。その一部を紹介する。

 キューバにフィデル・カストロ氏を首相とする革命政権が成立したのは1959年である。革命政権が土地と産業を国有化するなど社会主義的政策を推進したため、米国はこれに反発。当時、世界は米ソ両大国が対立を深めつつあった時代で、米国から敵視された革命政権は旧ソ連と外交関係を結び、1960年には米国資本の企業を国有化した。これに対し米国は61年にキューバとの外交関係を断絶し、亡命キューバ人らからなる反革命軍をキューバ南部のピッグス湾に侵攻させたが失敗、62年には対キューバ全面経済封鎖に踏み切った。そして、この年、キューバ危機が起こる。
 したがって、米国とキューバによる国交正常化交渉開始は、両国の国交断絶以来54年ぶりのことであった。

 両国が国交正常化交渉を開始することで合意したというニュースが世界を駈け巡ったのは昨年12月17日のことだが、後藤教授も「驚いた。キューバ人もびっくりしたようだ」と語ったように、長年、両国の関係を注視してきた専門家にとっても衝撃的なニュースだったようである。報道によれば、この合意が成立するまでには両国間で1年半にわたる秘密交渉があったという。
 何が両国を動かしたのか。

 米国側に国際的孤立
 まず、米国側。後藤教授は第一に「国際的孤立」を挙げた。それについて、後藤教授は詳しくは述べなかったが、会場で配られた講演レジメには「国際的孤立」の文字の後に(LA(ラテンアメリカ)諸国を初め世界のほぼすべての諸国、国連など国際機関が制裁解除要求)と書かれていた。
 私は、このニュース直後の2014年12月21日、本ブログに「キューバ外交の勝利・アメリカ外交の敗北」と題する一文を書き、その中で「キューバ政府は……米国による経済封鎖の解除を国際社会に訴え続けてきた。国際社会は次第にキューバの訴えを理解するようになり、国連総会は、今年10月29日、米国による対キューバ経済封鎖の解除を求める決議案を賛成188、反対2(米国、イスラエル)、棄権3(マーシャル諸島、ミクロネシア、パラオ)の圧倒的多数で採択した。23年連続の採択であった」と指摘したが、後藤教授のレジメでの記述は、こうした事実を指しているものと思われた。
 次いで、後藤教授は「米国の世論・キューバ系移民・経済界・民主党議員(共和党のなかにも)の多数が関係改善要求」を挙げた。要するに、米国の各界、議会等でキューバとの関係改善を求める声が強くなり、それがオバマ政権を動かしたということだろう。

 経済界までもがキューバとの関係改善を望んでいるとは意外だった。カリブ海に浮かぶ小さな島キューバ。人口は約1100万人。こんな小さな国が、米国の企業にとって魅力ある市場となりうるのか。その点を後藤教授に質問すると、答えはこうだった。「国交が正常化すれば、あるいは対キューバ経済制裁が緩和されれば、米国企業にとってキューバは魅力ある市場となるでしよう。キューバはインフラ面で遅れているいるから、米国企業としてはそこが投資の対象となりうるのではないか。とくに住宅建設といった面に進出できると見ているのではないか」

 さらに、後藤教授は、米国にとってキューバはもはや軍事的脅威ではなくなった点を挙げた。

 キューバ側には慢性的な経済不振
 米国との国交正常化交渉開始に応じたキューバ側にも、さまざまな狙いがあるはずである。中でも、革命政権成立以来、ずっと続いている「経済情勢の悪化」から脱出したいという思いが強いのでは、と後藤教授はみる。
 
 後藤教授によれば、米国の対キューバ制裁はキューバ側にとって極めて重いものだという。後藤教授によれば、米国の対キューバ制裁は世界一厳しく、北朝鮮、イランに対する制裁よりも厳しい。そして、後藤教授は、特に厳しい点を4つ挙げた。
 第1点は、期間の長さ。キューバに対する制裁は事実上、キューバ革命直後の1959年5月17日に始まり、1962年2月4日から全面禁輸となった。したがって、制裁は半世紀以上も続いてきたことになる。
 第2点は、制裁法の精緻さ、適用・罰則の厳しさ。「一分のスキもない法律」と同教授。
 第3点は、制裁が経済制裁だけではなく、あらゆる部門を含んでいること。例えば、人的交流規制、亡命支援、人権非難、キューバ国内の「民主化勢力」支援など。
 第4点は、規制・制裁が第三国の政府、企業、個人に及ぶこと。例えば、キューバに寄港した船は180日間米国に入港できない。キューバを国際金融機関から排除するといった措置も含まれている。後藤教授は「制裁法は、国際法に抵触する内容を含んでいる」と言った。
 
 こうした米国による対キューバ制裁が、キューバのあらゆる面に大きな影響を与えてきたことはいうまでもない。とりわけ、経済の分野に深刻な打撃を及ぼしてきた。後藤教授によれば、米国の経済制裁はキューバに「資金・資源・物資不足」をもたらしてきたという。これでは、経済の発展は望めないどころか、経済的苦境が長く続くことになる。
 キューバ政府は、同国が米国による経済封鎖でこれまでに被った経済的損失は約1兆1200億ドルにのぼると、としている。

 しかも、同国の経済不振の原因が、米国による制裁だけによってもたらされたものでないことが、この国の経済運営を非常に困難なものにしてきた。後藤教授によれば、米国の制裁以外の原因の1つは、社会主義諸国の総本山であったソ連の解体(1991年)である。それまで社会主義圏の一員だったキューバはそれまで、経済的にはソ連に依存していた。それまでは、主要生産物の砂糖をソ連に輸出し、その代わりに石油や食料をソ連から輸入するという、いわばバーター貿易で国家経済を維持してきたわけだが、ソ連の解体で、主要な輸出先と石油・食料の供給先を失った。このため、キューバは深刻な経済危機に陥った。
 後藤教授によれば、同国はその後、「経済自由化」を進展させることで経済危機を乗り切ってきたが、なお「経済情勢の悪化」は続いているという。その原因として、同教授は「米国の制裁強化・経済危機の後遺症・国際経済情勢悪化・自然災害+国内経済システム」を挙げた。

 ここでいう「国内経済システム」とは、社会主義経済体制である。その基本をなす中央集権的経済運営体制は極めて非効率な経済システムであり、生産を阻害してきた。その結果、物資不足を招いた。社会主義の基本である平等主義も、労働意欲の低下をもたらした。そのうえ、「経済自由化」により導入した「部分的市場原理」も賃金の無意味化をもたらし、労働意欲の一層の低下を招いた。
 後藤教授によれば、ラウル・カストロ国家評議会議長は2012年1月の共産党総会で「経済発展が無ければ革命が崩壊する」と述べたという。このまま経済不振が続けば、革命の成果、例えば教育・保健は無料という制度も危うくなりかねない、ということだろう。キューバの指導層が、いかに経済を発展させるかに心をくだいているかがうかがえる。2011年4月に開かれた第6回共産党大会で採択された「党と革命の経済社会政策基本方針」も、キューバ経済の根本的な改革をうたったものである。
 こうした流れをたどってくると、キューバ指導部が国交正常化交渉に応じたのは、米国に対キューバ制裁を解除させるのが主眼であることが分かろうというものだ。
 
 「とにかく、米国による制裁が解除、あるいは緩和されると、キューバ経済はよくなる。制裁解除まではまだ道のりがありそうですが」。後藤教授の見通しである。
 

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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