5月11日の新聞、テレビ等のメディアは、米・オバマ大統領が5月27日に広島を訪問する方針であることを報じた。まことに喜ばしい限りであると思う。広島平和記念資料館を訪問し、原爆死没者慰霊碑へ献花することが予定されている。広島市民も大変に評価し、歓迎することが予想されている。核軍縮に向けた大統領の熱意が伝わってくるからである。7年前にオバマ氏は、チェコのプラハで核廃絶を宣言したが、その後、核軍縮への具体的、現実的な道程はほとんど認めがたかったからである。
否むしろ反対に今年2~3月頃には、米・韓軍事合同演習に対抗して、キム・ジョンウン氏が米国に対して核兵器の先制攻撃を行うことを示唆したから、戦争が北朝鮮と米・韓の間で勃発するかもしれないと大変心配されたのである。
もし、キム・ジョンウン氏が今日のオバマ氏と自分を比較して考えるなら、どう思うであろうか。キム・ジョンウン氏は今日核開発を進め、ミサイルに搭載するために、核兵器の開発と実験に精力を集中している――もっとも少し以前は核先制攻撃論を唱えていたが、最近は核で攻撃された場合のみ、核で反撃するという戦略論に改めた――が、自国の国民を除けば外国人では誰もほめてくれる人はいない。今日の条件下で核開発を推進するなど全く時代錯誤も甚だしいだろう。これに対してオバマ氏が、核軍縮のための手段を少しでもとれば、たんに日本人のみならず、圧倒的多数の外国人もこれを支持するだろう。これは何か少しおかしいのではないのか、と思っても決して不思議ではない。それ故に将来においては、彼が現在における固い考え方を少しずつ変えていくことを強く期待するものである。核兵器というものは、現代の科学技術文明の粋を尽くしたものといってよいのだろうが、今日の世界では、科学技術文明が発展すればするほど、それが人間の幸福につながるものではなく、反対に人間生活の不幸を増幅させる要因に転化するケースもあり、その代表として核兵器をあげうるとみられるので、なんともいえないほど残念に思う。
私は、過去に核戦争に関して衝撃を与えられた2冊の本を読んだことがある。一冊は原子物理学者であった故高木仁三郎氏のもので、彼はその著作の中で、「今後もし核戦争が発生したならば、人間は、現在の人間とは違う動物となっているだろう。」といっているのである。この文章は私に強い印象を与えた。もっとも氏は自然科学者であったがために、「現在の人間とは違う動物」とはいっても、「人間を愛する天使のような動物」なのか、それとも反対に「人間に対して常に敵対的な猛獣のような動物」なのかについては明言していない。推測を推し進めれば、多分後者なのではないか、という感じを持つ。もしそうならば、核戦争が生じ、核の威力によって高層ビル・高層マンション等がバタバタと倒れコンクリートの瓦礫の山が築かれるような事態が発生するようならば、私なら自死を選ぶであろう。
いま一つの文章、言葉とは、米国の学者、ハーマン・カーンの述べたもので「将来の人間は、核兵器の脅威を避けるために地下で生きることを考えよ。」というものである。地下の核シェルターを都市のあちらこちらに作り、そこで日常生活を送るようにせよとの提言である。だが実際には、地下のシェルターで生活するなどということは、数日間という短期間であるならともかく、長期間にわたって暮らすというようなことは極めて困難なことであろう。先ず第一に食糧がなければ人間は生きてはいけないから、そのために地下にいても農業生産を行いうるように地上の農場を作り変えねばならず、そのこと一つをとっても、地下での生活はいかに困難を極めるかは明らかであろう。
そのような生活を余儀なくされる前に、人間は国家間において平和に生きられるように知恵を絞るのではあるまいか。
だが実は、今年2月~3月頃、北朝鮮が核の先制攻撃論などを展開していた頃、北朝鮮の首脳は、核で反撃されることも予想して、核シェルターに逃げ込み、地下で暮らすことを覚悟していたのではあるまいか。実際北の国には日本人には予想できないほどの多くの山岳地帯があり、また多くの地下施設があると聞いている(これは北朝鮮に限られたことではなく、他の国でもそのような国があるとも聞いている)。そのような場所に逃げ込み、身の安全をはかることも当然に考慮に入れていたのではあるまいか。そうでなければ、キム・ジョンウン氏があれほど強気の発言をすることは考えられないのではあるまいか。実際北朝鮮の人々の考えや感覚には、日本人の考えや感覚とかけ離れたものがある感じがする。
もっとも現在の北朝鮮の経済における生産力については、日本のメディアはやや過小評価してきたのではないかとの感をもつ。北は社会主義を目指している国である。それ故GDPの規模と言っても、資本主義国のGDPとは比較できないような生産力をもっているように感じられるのである。すなわち、通常の資本主義国であれば、GDPは各種の売却された総商品の価格を総計したものと捉えうるが、北朝鮮の経済体質においては、商品として生産されたものではない、物々交換に供給されたような生産物も多いであろうから、GDPに計算されないこれらの生産物の供給を考えると、北朝鮮は実際に公表されるGDPよりはより豊かな社会なのではあるまいかと推測される。日本のテレビに登場する北朝鮮の解説者には経済の専門家、特に社会主義の専門家はいないように思われるので、北朝鮮社会の実相を正確につかんでいるようには思われないのである。北の国は科学技術を尊重し、科学技術者を優遇している国であるから、計画経済の体制が成功していさえするなら、生産力が発展していく体制であることが判るであろう。
さて以上では北朝鮮における問題に限って考察してみた。
それでは核兵器を大量に保有する米国、ロシアやこれにつづく数カ国の核は今後どのような推移をたどるであろうか。この度オバマが訪日し広島へ来ることによって核軍縮の方向が見通せるからといって、めでたし、めでたしとばかりはいっておれぬであろう。現実はそれほど甘いとは考えられぬからである。しかし少なくとも、今日の世界では一国のリーダーとしての大統領や首相が核のボタンを押したならば、大変なことが起こるということは、誰でも知っている事実である。むしろリーダーたちは一発投下するだけで100万人の人を殺傷しうるような現代の非人道的な核兵器のボタンを押すような権能を与えられること自身に大変な重圧感を感じているはずである。(私なら絶対そのような地位につくことを拒否するであろう)一般の市民・大衆もそのようにすることを自国の指導者に容易に承認するであろうか。
最近になって第二次世界大戦中に、広島、長崎に原子爆弾の投下を命じた米・大統領トルーマンの措置が正しかったか否かと問われることが多い。当時としては、米国人の大半がこれに賛同しただろうと言われている。(もっとも最近は、これに反対だという米国人も出現するようになったと伝えられている)。米国人の大半は第二次世界大戦を止めさせるためには必要な措置だったというのである。ここではこの論争問題に立ち入るつもりは全くない。ここで言いたいことは、70年前の第二次世界大戦の頃と現代とでは、国際関係も核による軍事情勢も、あるいは各国の経済システムも一変してしまったということである。なかんずく今日の核兵器の威力・破壊力が過去の広島、長崎の核爆弾のそれの数倍、10倍に達しているということである。こんな爆弾を人間社会の上から落とせるわけがないであろう。今日ではこうした破壊力の大きな核爆弾を人間の居住地に落とすことを命じた者は、人間にありうべからざる行為を行ったものとして無条件に批難されることは当然である。神でない人間がそのような権能をもちうるはずがない。近年、米国の高官だった人がもはや核兵器は残虐すぎて使えない兵器となったと述懐していたが、今日では先進国の指導者層ですらこう考えているのであり、この事は全く当然とみられるのである。
他の核保有国の指導者たちも、同様に、即ち核は使えない兵器であると考えているのであろう。だがやはり核保有に固執している。それは核には他国から攻撃を受けない抑止力があると考えているためであろう。即ち先進国同士も相手国を心底から信頼していないのである。それ故、今後の世界においては先進国同士が相互に信頼関係を築く努力をしていかなければ、核廃絶の道程に乗ることは困難であろう。
更に現在既に問題になりつつある核保有国と非核保有国との対立を解消していくことが重要である。これも大層困難な課題であると考えられるが、こうした課題を一歩一歩着実に果たしていかなければ容易に人類に明るい未来は開かれないといえよう。
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