米国産牛肉の輸入が、2月中旬ごろから急増しそうだ。BSE(牛海綿状脳症)対策として実施されている規制を厚生労働省が2月1日づけで大幅に緩和するからだ。マスメディアは無邪気に牛丼チェーンや流通業界の対応を伝えるだけだが、不安を募らせる消費者は少なくない。米国では昨年4月にBSE感染牛が確認されたばかりなのだ。米国産牛肉は本当に安全なのだろうか。
政府がいま規制を緩和するのは、TPP(環太平洋経済連携協定)への参加条件を整えるためだ。米国産牛肉の規制緩和は2011年9月の日米首脳会談でオバマ大統領が取り上げ、当時の野田佳彦首相が検討を約束していた。そのときの約束を果たした今度の措置は、TPPに関連する「食の規制緩和」の第一弾といえる。
◆なお警戒が必要なBSEという感染症
BSEは、牛が異常プリオンタンパク質という病原体に感染すると、脳の組織がスポンジ状になるなどして中枢神経が異常になり、やがて死に至る感染症だ。感染牛肉を食べた人は変異型クロイツフェルト・ヤコブ病(vCJD)を発症し、死亡する可能性がある。BSEは種の壁を超えて感染することが分かっているからだ。
BSEはまは英国で発生し、世界に広がった。その主な経路は、牛の骨などを原料にした粉末状の飼料(肉骨粉)を通してだったと考えられている。草食動物のウシに肉骨粉のような飼料を与えた人類が広めた感染症である。
その後、先進国では飼料規制を中心とした対策が進み、1992年には3万7000頭を超えていた世界の感染牛の年間確認数は、11年は29頭、12年は12頭にまで減少してきた。ただ、昨年12月にブラジルで初の感染が確認されるなど、途上国の感染状況は分かっていない(確認がないからといって、発生がないとはいえないのだ!)。また「非定型BSE」という新しい問題も登場しており、依然として十分に警戒しなければならない感染症である。
米国では2003年に初の感染が確認され、日本政府は直ちに米国産牛肉の輸入を禁止したが、米国で対策が実施されたことなどを理由に05年、「20か月齢以下」の牛に限って輸入を解禁した。これでは米国産牛肉の2割程度しか輸出対象にならないので、米国業界は規制の撤廃を求めていた。「30か月齢以下」に緩和されれば、全体の9割ほどが対象になる。
今度の措置はこの米国の要求に応えたものだ。ただ、狡知にたけた官僚たちは、米国産だけを特別扱いする印象を薄めようと工夫をこらした。だから厚生労働省による規制緩和は、対象を米国、カナダ、フランス、オランダ、日本の五か国産に広げ、国境措置と国内措置に分けて実施することになっている。
具体的には、いまは「20か月齢以下」(フランス、オランダは輸入禁止)しか認めていない輸入を「30カ月齢以下」に緩和する(オランダは同国の事情により「12か月齢以下」)。同時に国内措置として、全国の食肉処理場で実施しているBSE検査の対象を「20か月齢超」から「30か月齢超」に改める(実際には関係自治体が全頭を検査しており、今度の緩和の結果、どうなるかは不明)。
併せて「特定危険部位(SRM)」の除去を義務づける対象も「全月齢」から、回腸遠位部と扁桃を除き「30か月齢超」に改める。SRMとは、BSEの病原体が蓄積しやすい頭部、脊髄、脊柱、回腸遠位部、扁桃などのことだ。
◆米国のBSE管理は欠陥だらけ
この規制緩和に安全のお墨付きを与えたのが、食品安全委員会(熊谷進委員長)が昨年10月に決定した「BSE対策の見直しに係る食品健康影響評価」である。委員会の下部組織、プリオン専門調査会(酒井健夫座長)がまとめた評価は、規制を厚労省案通り緩和してもBSEのリスクは変わらず、人のvCJD発症は考え難いと結論づけている。しかし、この評価は二つの誤りを犯している。
一つは、欠陥だらけの米国のBSE管理を妥当と判断していることだ。
BSEの発生を抑えるため日本は、次のような対策を厳格に実施してきた――。1)肉骨粉について牛はもちろん鶏や豚にも与えることを禁じる、2)全月齢の食用肉からSRMを除去する、3)牛の個別識別システム(トレーサビリティー)で牛肉の履歴が分かるようにする、4)食肉処理場ですべての牛を検査し、感染牛を選別し排除する、の四つだ。
日本では飼料規制が強化された2001年10月以降、02年1月生まれの1頭を除き、BSE感染牛は確認されていない。四つのBSE対策が有効に働いている証(あかし)だ。したがって、(同じように飼料規制などの有効性が高いフランス、オランダとともに)規制を段階的に緩和していくことは感染症対策としては合理性がある。ただし、後に述べる非定型BSEの問題を除いてのことだ。
これに対して米国の対策はまことに頼りない。まず、肉骨粉の給餌は牛には禁じているものの、鶏や豚には認めているから、それらが牛の餌に混じる可能性がある。またSRMの除去は原則として30か月齢以上の牛に限っているし、トレーサビリティ・システムも導入していない。
しかも検査は(日本のように感染牛を選別するスクリーニングとしてではなく)国内の感染状況を継続的に監視するサーベイランスとして実施されているが、検査数は全処理数のわずか0・1%に過ぎない。検査対象は30か月齢超の「高リスク牛」(歩行が困難になった牛など)から選ぶとされているが、その抽出は恣意的に行われており、科学的な信頼性に乏しい。
だから米国では、年に3000万頭も処理されていながら、これまでの感染確認数はたった3頭だ(4頭の感染が確認されているが、うち1頭はカナダ生まれ)。処理数が年間120万頭ほどの日本で36頭確認されているのと何という違いだろう。冒頭でも述べたように、「確認ゼロ」は「感染ゼロ」を意味するわけではない。
米国で昨年4月に3頭目の感染が6年ぶりに確認されたとき、同国の食品専門家は「今回は偶然みつかったのであり、米国のサーベイランスは不十分なものだ」とコメントしている。
このように穴だらけの米国のBSE管理について食品安全委の評価書は、OIE(国際獣医事務局)の基準を満たしていることなどを理由に妥当と判断している。しかし、OIEは貿易を重視する国際機関であり、近年は米国の意向が反映される傾向がある。だから、その基準を満たしたからといって安全とはいえない(米国と市場が事実上一体化しているカナダについても同じことがいえる)。
米国のBSE管理は、2005年当時と大きくは変わっていない。米国産牛肉の輸入を20か月齢以下に限って解禁した05年の判断そのものが、科学的ではなかったのである。
◆非定型BSEという未解決の問題
食品安全委の評価の二つ目の誤りは「非定型BSE」の扱いだ。
非定型BSEは、病原体(異常プリオンタンパク質)が従来の「定型」とは異なるBSEのことだ。「ウェスタンブロット」という検査法で調べると、特定のタンパク質が帯状になって現れるが、その分子量と帯の位置が定型とは異なる。帯が定型より下に現れ、分子量が少ないのがL型、その逆がH型と呼ばれる。
日本で2003年に世界で初めて確認されて以来、これまでに14か国で60頭余りが確認されている。日本では06年にも確認されており(合計2頭)、米国の3頭はすべて非定型だった。
昨年4月の米国の感染牛について米国農務省の獣医主任は「非常にまれに発生する非定型(L型)なので、米国がBSEのリスクを適正に管理している国である状態に影響を与えるものではない」と述べた。この発言は「非定型は老齢の牛に自然に発生するもの(孤発性)で、感染性はない」という認識に基づいている。同じ認識の人は日本にも少なくないが、それは最新の知見に反している。
山内一也・東京大学名誉教授によると、非定型BSEはL型、H型とも牛に伝達(感染)されることが明らかになっている。とくにL型はある種のサルに脳内接種すると、定型の場合より短い潜伏期で発病しており、種の壁を超えやすいのではないかとみられている。
また、BSEの病原体に対して人と同等以上の感受性をもたせたマウス(人型トランスジェニック・マウス)に病原菌を脳内接種したところ、定型の場合より高い効率で伝達されている。これらの結果から欧州食品安全機関(EFSA)は、L型BSEは人に感染する可能性があるかもしれないという見解を発表している。
非定型は病原体が蓄積する部位も定型とは違っていて、定型が脳の中の延髄にまず蓄積されるのに対し、同じ脳でも別の個所に蓄積されるようだ。私たちが食べる骨格筋(筋肉)に蓄積されているとの報告もある。こうした事実が確定すれば、延髄の閂部(かんぬきぶ)から試料を採取して病原体の有無を調べている現行の検査法も、SRMに指定されている部位も見直す必要が出てくる。
これまでに非定型BSEと確認された60頭余りのほとんどは、8歳以上の高齢だった。多くの国では8歳以上の繁殖用牛と乳牛の多くが検査されないまま処理されたり死亡したりしている。このため、非定型の牛は確認数よりずっと多いのではないかとの指摘もある。
さらに非定型BSEは、これまで謎とされてきたBSEの起源についても解明の手掛かりを与える。非定型BSEを牛やマウスで継代(けいだい)していると、定型BSEに似たものに変わってきたという報告がいくつも発表されているからだ。この結果、最初のBSE感染牛は非定型だったが、これが牛の間に何代も伝達されている間に定型BSEが出現したのではないかというのが、いまでは研究者の多数説になっている。
以上のような事実が明らかになってきた非定型BSEについて、食品安全委の評価書は「人への感染の可能性はある」としながらも、30か月齢以下の牛なら問題はないと判断している。その理由として評価書は、1)非定型の牛のほとんどが8歳を超える高齢である、2)日本で非定型と確認された23か月齢の乳牛については、延髄の閂部に蓄積された病原体の量が非常に少なく、牛型トランスジェニック・マウスを用いた感染実験では感染性は認められなかった、などを挙げている。
この判断について金子清俊・前東京医科大学主任教授(元プリオン専門調査会座長代理)は、23か月齢での感染は明確に確認された事実であり、(たった一例で感染性が確認されなかったといって)30か月齢以下なら非定型に感染しないと保証できるのかと批判している(『日本農業新聞』12年9月5日)。
BSE問題は非定型の解明が進み、その封じ込め策が明らかになって初めて、真の決着へ向けて動き出す。それまでは予防原則に基づいて慎重に扱う、つまり規制をこれ以上緩和はしないのが、科学的な態度だろう。しかし食品安全委はそのような態度をとらなかった。
食品安全委は、政府の諸官庁から独立して科学的な判断をする機関として設立されたのだが、実際には農林水産省や厚労省の下請け機関になっている。今回もまた厚労省の方針を追認しただけだった。
◆今後も続く「食の規制緩和」
米国産牛肉の規制緩和は、TPPに関連する「食の規制緩和」の始まりである。米国の政府と産業界は、年間売上高が80兆円に達する日本の食品市場、なかでも売上高50兆円の加工食品市場へのさらなる進出をねらって、さまざまな規制緩和を求めている。その要求を日本政府が次々に認めていこうとしている。
一例が食品添加物である。いま米国では3000種類もの食品添加物が承認され使用されている。これに対し日本で認可されているのは約800種類だ。日本で認可されていない添加物を使った加工食品は日本に輸出できないので、米国は日本の認可添加物を増やそうと圧力をかけている。
厚労省はすでに食品添加物の「国際的な整合性を図る」との名目で、国際的に必要性が高い添加物を積極的に認可する方向で動いている。TPP参加論議の高まりを受けてその作業に拍車がかかることになるだろう。
だが、食品添加物には発がん性や臓器などに障害をもたらす疑いのあるものが少なくない。そもそも多種類の添加物を摂取したときの健康影響は全く調べられていないのだ。食品添加物の認可をこれ以上増やすべきではあるまい。
食の規制緩和に関する米国の要求は、農薬残留基準の緩和や遺伝子組み換え食品の表示撤廃などにも及んでいる。しかし、食品貿易拡大のため、そして米国との同盟強化のために、食の安全を犠牲にしてよいわけはない。
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