紹介:日本の教育と社会はどこへ行くのか(藤田英典 『世界 2014.7』より)

「原発は政治のみの力で動いている(何の合理性も経済性も倫理性もない)。だから政治を変えれば原発は止まる」、これは上関原発建設に反対する県民大集会(2014年3月)の折りに鎌田慧氏が演説で話した一節である。だから政治を変える、政権を変えることが、脱原発にとっては重要事項なのだが、しかし、そのことは、実は他の多くの社会問題についても言えるのだ。教育政策の問題もその一つである。

 

 

先週の日曜日、集団的自衛権と特定秘密保護法に反対して行われた新宿での大規模な市民集会&デモでは、先頭を歩く「コール」のリードボーカルは、ドラムや太鼓のリズムに合わせて、次のように大きな声を挙げていた。♪♪「安部、ダメ、ダメ、安倍、ダメ、やめろ」「安部がつくる未来はいらない」「さようなら安倍晋三」「さようなら自民党」「安部はやめろ、さっさとやめろ」♪♪ まさに、この「コール」の通りである。

 

今回は、安倍晋三政権が力を入れている教育政策について、いい論文を見つけたのでご紹介したい。著者は藤田英典氏、日本を代表する教育学者で東京大学名誉教授でいらっしゃる。

 

<日本の教育と社会はどこへ行くのか(藤田英典 『世界 2014.7』より)>

以下、簡単に、藤田氏の論文をご紹介する。

 

まず、著者の藤田氏とはこんな人である。

 

● ウィキpsディア 藤田英典

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E8%8B%B1%E5%85%B8

 

藤田英典氏は教育政策の世界では著名な人である。政府の審議会等(教育改革国民会議、中央教育審議会義務教育特別部会など)の委員を歴任し、どちらかと言えば、政府・文部科学省の政策方針に沿いながら教育政策を語り、各種の提言をされてきた人だ。この論文の最初のところでも「筆者は、アベノミクスと言われる経済財政政策には必ずしも批判的ではない」と書き、いわゆる革新派と呼ばれるグループの人ではないことを示唆する発言をされている。しかし、その藤田氏が、安倍晋三政権や大阪維新の会、あるいは石原慎太郎時代以降続く東京都教育委員会などによる教育への権力の政治的介入・特定の歪んだイデオロギーの押し付けに厳しい批判をされていて、この岩波月刊誌『世界』論文もその一環である。

 

この論文の結論は最初のところに書かれている。抜粋しておこう。

 

「現在の政治・政策動向は、教育だけでなく、司法や自由社会にも、以下の三つの側面で重大な危機をもたらしている。第一は経済財政政策と教育政策との違いに起因する危機、第二は教職員・学校現場への法令主義的・全体主義的な管理・統制の強化に起因する危機、第三は教育・教育行政の適切性と政治的中立性・安定性の危機である」

 

「筆者が安倍政権の教育政策「五本の矢」と呼ぶのは次の五つである。

(1)「教科書改革実行プラン」などの教科書政策に見られる「思想統制」

(2)全国学力テストの学校別結果公表や大学入試改革に見られる成果主義的・新自由主義的な「教育統制」

(3)「心のノート」改訂版や「道徳の教科化」案に見られる「人格統制」

(4)教職員数の抑制・削減方針と非常勤講師の増大などに見られる「財政的統制」

(5)首長の暴走を促進しかねない教育委員会制度改革(案)や幾つかの自治体で目立つ「行政的統制」」

 

「これら五つの側面での統制の強化、は、戦後60年かけて営々と築き上げてきた日本の教育の適切性・卓越性と自由社会の基盤を掘り崩し、深刻な危険にさらしかねないものである」

 

以上の藤田氏の主張に私も同感である。何とかして、この安倍晋三政権の教育政策の方向を改めさせなければならないのではないかと強く思う。そして、早く何とかしなければ、教育は現場から崩壊してしまうのではないかとも思うのだ。

 

以下、藤田氏は計10ページにわたり、現状の安倍晋三政権の教育政策の根本的な誤りを非常に的確に、かつコンパクトにまとめておられる。そのすべてをこのメールでご紹介するわけにはいかないので、下記では、私が特に印象が残った部分を書き写しておくことにしたい。みなさまには、ぜひ、この論文の原典にあたっていただきたいと思う。

 

(1)「大阪ほどではないにしても同様の管理統制は、都教委の、職員会議における挙手・採決の禁止(2006年4月13日付通知)や、国旗掲揚・国歌斉唱に関わる職務命令と実地検分の仕方に対して異議を述べ善処を求めた土肥信雄・三鷹高校校長(当時)に対する不利益処分(「学校に言論の自由を!」裁判として最高裁審理中)にも見られる。また、成果主義的な人事考課については、大阪府・市より先に都教委か一九九五年から管理職に導入し、2000年から全教員を対象に実施されてきたが、2000年の教育改革国民会議報告や2007年の教育再生会議・第二次報告でも提言されており、新しい教員評価システムを導入する自治体が増えている。

 

こうした教職員・学校現場の管理・統制の強化とその背後にある理不尽な学校批判・教師批判は、同僚性や協働性の基盤を掘り崩し、教師のモラルと学校全体のパフォーマンスの低下(モラル・ハザード)を招く危険性がある。また、教職員の使命感・誇りと専門性や自由閥達な意見交換・教育実践の基盤を掘り崩す危険性があり、もう一方で、憲法が保障する思想・良心の自由を不当に制約するものとなりかねない。」

 

(2)「また、上述のように〈等しく教育を受ける権利を有する〉竹富町の生徒に対して、その権利の享受を妨げる不当な措置を講じておきながら、あまつさえ是正要求を発出するというのは、見識を欠く権限の濫用と言えよう。

 

類似の政治的介入による教科書採択は、2005年に東京都杉並区が「つくる会」系の扶桑社版歴史教科書の採択を決定して以降、徐々に広まっている。2009年には横浜市の八採択地区で「つくる会」系の自由社版歴史教科書が採択され、2011年には横浜市の全採択地区に加えて、藤沢市、大田区、東大阪市でも「つくる会」系の育鵬社版が採用され、その採択率は2009年の1パーセントから4パーセントへと急上昇した。こうした現場教師の評価と希望を無視し、首長が特定の意向をもって選往した教育委員の歴史観・教育観や好みによって教科書の採択が左右される事態は、教育行政の政治的中立性・安定性と教育の適切性を脅かし歪め、授業と学びの充実を妨げることにもなろう。」

 

(3)「道徳の教科化はほぼ確実となったが、さまざまな観点からの批判も多い。たとえば、評価については、①行動や態度で評価されかねないことへの違和感や不安感、②知識・技能の習得状況の評価が基本となる他の教科とは違って、道徳の評価は人格の評価に通じる面があるだけに、子どもたちの人格形成や自尊心・自己肯定感の形成にネガティブな影響を及ぼしかねない、③教師と児童・生徒・保護者との信頼関係や豊かな人間関係を阻害することになりかねない、等の問題がある。また、学習指導要領に基づいて作成される道徳用教材の使用が義務化されることにより、④特定の価値観・道徳観を国が押し付けることになりかねない、⑤価値観の多様性と道徳の多面性が否定され、思想・良心・表現の自由などが抑圧されることになりかねない、⑤道徳用教材に埋め込まれた〈よい子の道徳〉が重視されると、反省会などでしばしば見られるように、反省すべき子どもが反省せず、反省しなくてもよいような子どもばかりが反省するという傾向が授業や学校生活で強まり、〈よい子〉を演じる競い合いと相互監視・批判が起こることになりかねない、⑦繰り返し〈良い子の道徳〉を強いられることにより疎外感・反発心やストレスが醸成・蓄積されることになりかねない、といった問題もある。こうした問題が起こる可能性は、全面改訂された新しい道徳教育用教材「私たちの道徳」を見ても示唆されるところである。同教材は、包括的で良くつくられた模範的答案という印象を受けるが、〈よい子の道徳〉〈押しつけ道徳〉で、児童・生徒にこれでもかこれでもかと反省を強いる内容・構成になっているからである。」

 

(4)「愛国心や郷土愛も含めて道徳は、教え込むものではなく、学校の内外での生活・活動・経験を通じて育まれるものである。その育みが豊かなものとなるためには、安全・安心が確保され、おおらかに過ごすことのできる、そして誇りに思える豊かな環境(学校・家庭・地域祉会・国民社会)づくりが肝要である。その基本を疎かにして、無闇に教え込もうとするようでは、日本の将来は危うくなるであろう。」

 

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昨今、私が目にした古い本を、下記にご紹介しておきたい。岩波現代文庫から上・中・下の三部作で、今も簡単に書店等で手に入るようだ。この小説には、時代の「逆流」の中で、生徒たちのことをひたすら思い悩みつつ、教員生活を続けていく教員の姿が描かれており、私はそのひたすらな教師の姿勢に胸を撃たれた。著者が故石川達三氏というのも少し驚きだった。現在は「壁」と言えば「人間の壁」ではなく「バカの壁」(養老孟司)であるが、しかし私は、その本の表題の時代の変化に、現代日本社会の堕落と低迷を感じてしまうのだか、それは筋違いなのだろうか。いずれにせよ、教育にご興味のある方にはご一読をお勧めしたい。

● 岩波現代文庫『人間の壁』(石川達三/著)

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