経産省前での意思表示(ハンスト・座り込み)に参加を

2011年9月13日 連帯・共同ニュース第150号

■  結構緑も多いのだなというのが偽らざる印象だ。閑散としたビル街だと思っていた霞が関であるが、暮れなずむ光景は風情もある。夜には虫の音も聞こえる。この霞が関の一角にある経産省の本館まえでの4人の若者《男女2人づつ》がはじめた「将来を想うハンガ―ストライキ」も9条改憲阻止の会の面々による座り込み闘争三日目に入った。警察の撤去要求との攻防もあり何処まで続くかわわからないが、僕らはこれを貫徹するつもりだ。読者のみなさんは日々の動きに注目し、この僕らの意思表示に参加されんこと訴える。ハンガストライキや座り込み現場には毎日いろいろの人が訪れ意見交換などをして行く。原発問題への人々の怒りとその裾野の広がりを実感しているが、やはり「成り成りて…」というような伝統的日本的対応がこの問題では起きてはならないと思っている。日本の政治権力は、必要な政治的決断を避け巧妙に問題を先に送り込むことをやってきた。脱原発ではなく減原発であるという言葉を使いながら当面は「原発再稼働→原発保持」であるという戦略で事を運ぶのを僕らは許してはならないのだ。

■  脱原発の運動や動きは確かに裾野を拡大している。これは脱原発が時間を要する闘いであり、ある射程を要するものであり、決戦的な戦略で解決するものでない事を考えるとき重要なことである。僕らはあらゆる契機と方法でこれを広げることをやらねばならない。しかし、同時に僕らは何度も言うようだが、気がつけばいつの間にか(原発再稼働→原発保持)が既成事実として積み重ねられていたというような権力や体制側の動向は警戒しなければならない。だから、時には国民の意思が集中して表現できるような闘いが必要である。あるいは権力や体制の動きをあばき、それを知らしめることも大事だ。脱原発は国民の意思であることは明瞭であるが、これを実現し、あらゆる原発が廃炉になるのは権力や体制側との闘いにおいてであり、それを通してしか現実化しないことを確認しよう。どのような径路をたどって、どのような段階を経て脱原発は実現するのか(?)僕らは今そのためのどんな過程を経ているのか(?) これを僕らは絶えず自問自答しながら歩むしかない。この自問自答を大事にしながら、節目となる闘いを創りだそう。

■  9月19日に全国的な集会やデモを大きな国民的意思表示にしたい。だから、この経産省前の意思表示を続けて行きたい。読者のみなさんに時間の許す限り経産省前に顔を出しこの行動に加わることを訴える。テントは24時間保持されているのである。 (文責 三上治)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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