経産省前広場の事案は、実定法上は、個別行政法の定める手続に依らず、「不法」に公有財産を占拠した「不法占用」として当該公物管理責任のある行政庁が不法占用を強制的に排するべく個別行政法に依る命令を行う手続に依ること無く、訴訟に訴える、と云うより穏健な手段で解決を図っているようです。
これは、行政手続法に依る聴聞手続を経て行政命令、そして行政代執行法に基づく代執行の一連の手続を採っても、「不法占用者」側が黙して従う筈も無く、何れかの段階で訴訟になるのが明白であったからでしょう。
どちらにしても、実定法上は、「不法」には違いが無く、訴訟には勝てる見込みは無いのでしょうが、市民側は、法廷に於いて、個別行政法に勝る唯一の法、憲法に基づく主張を行わねばならないでしょう。
この場合には、数種の主張が可能ですが、私は、憲法第16条に依ることが好ましいと思っています。
日本国憲法 第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
この条文は、嘗て、「請願権の現代的意義」として安保条約改定の時期に主張されもしましたが、憲法上は「不文」である「抵抗権」が暴力的手段による抵抗も許されるものであるのに比して、主権者である国民が当然の権利として各級行政庁なり国会なりに請願を行う権利を認めたものとして誰もが承服するのではないでしょうか。 但し、この場合には、実定法に「請願法」があり同法が「請願は、(中略)、文書でこれをしなければならない」(同法第二条)とありますので、他の物理的手段を採ってはならないのは明白です。 しかも、憲法学者の多数説は、憲法が直接に適用されるのでは無くて、全て実定法による間接的適用である、とされますので、ここでもその主張に反論しなければなりません。 肝心の憲法には、文書に依るべきとの規定も無く、憲法より下位にある実定法で憲法を制限するのは無効であるとの主張をされるべきでしょう。
こうして観ますと、この事案は、憲法訴訟として後世に残るものとなるかも知れない論点を多く含んでいることになります。 そもそも、原発と原発事故が憲法で定める人権の侵害に当たり、憲法上の人権侵害を、憲法自身が国民各自に期待した人権の守り手としての役割を果たすべくやむを得ず立ち上がり請願の挙に出たものとして違法性を欠き、その責めは、訴訟に訴えた当該行政庁にあるのでしょうから。